169話 好きって言えない








アスの館から帰る時、イシルは終始無言だった。

大変、やりにくい。それでも手は握って離さないんだもん。


家に帰ると、イシルはソファーにどっかり座って 不機嫌そうに本を開く。

なんだこの空気は……重い、重いなぁ……

このままなんていやだ。だって、悪いことしてないし。


サクラは伺うようにイシルに声をかける。


「イシルさん、怒ってますか?」


「……怒ってませんよ」


沈黙が流れる。

イヤイヤ、怒ってなくないよね?


「感じ悪いですよ」


「そんな日もありますよ」


とりつくしまもない。

「あの日ですか?」とでも言ってやりたい気分だ。


こんな日に限ってランはまだ帰ってこない。

くそっ、使えない猫め、いざという時に帰りが遅いなんて!


どうしてくれようかとイシルを見つめるサクラに、イシルが睨み返してきた。

くそぅ、睨んでてもイケメンすね!ハートを射抜かれそうですよ!


「僕にも、言ってください」


「?」


「笑えるように」


「は?」


「『ウイスキー・大好き』って」


んなっ!それか!不機嫌な理由は。

ぐっ、かわいいとか思ってはイカン!


う~ん、『ウイスキー』はいいが『大好き』はちょっと……

いや、『大好き』じゃなくても『ー』の形で何か……


「私が笑わせればいいですか?」


イシルがパタンと本を置く。


「そうですね」


わかった。やってやろうじゃない。


「では、失礼します……」


サクラはイシルの隣に座り、手を――――


手を に置き


″むにっ″


おもいっきり横に引っ張った。


「サクラさん!?」


「うははは!イシルさん、ウイスキーでグロッキー!」


変顔である。

イシルがたじろぐ。


「なんて顔をするんですか!女の子なのに……」


「ダメですか?じゃあ、これは?」


今度は引っ張った顔を寄せる


「ラッキー・クッキー・ハッピー!」


「ぷっ、、」


「あ、笑った」


「……笑ってません」


「その言葉……後悔しますよ」


サクラは最終手段に出る。

頬から手を放すと、手をわきわきさせながら イシルにつめより――――


「?」


がばっ、と、イシルに飛びかかった!


「!?」


″こちょこちょこちょ……″


わき腹をくすぐる。


「ちょ///サクラさん、やめ///」


「わはははは!どうだっ、イシルさん、くすぐったいでしょ!」


調子に乗ってイシルの膝の上に乗り イシルが逃げないよう固定してくすぐりまくる。


″こちょこちょこちょ……″


「そんなこと///」


どうやらくすぐりに弱いらしく、イシルが身をよじって逃げるようにソファーに倒れかかる。

いや、くすぐりよりも 膝の上がヤバい……


「ファンキー・モンキー・ベイビー!」


サクラは逃がすまいとイシルに覆い被さり、手を脇へと滑らせてくすぐりまくった。


「あははっ、やめ……っ///」


笑った!


「わははは!イシルぅ~笑えぇ~」


″こちょこちょこちょ……″


サクラはきっと、自分が今どういう状態かわかっていない。

イシルにのしかかり、じゃれるようにくすぐっている。

サクラの柔らかい体とぬくもりがイシルを襲う――――


このまでは違うところが反応してしまう……

イシルはたえきれず大声をあげた。


「っ///っサクラ!やめなさいっっ!」


サクラはぴょいっと飛び退く。


「笑わせましたからねっ!お休みなさい~」


サクラは怒られないうちに パタパタと階段を駆け上がり、部屋へと逃げ込んだ。

バタン、と扉の閉まる音。


「……なんてことするんだ///あの子は……」


サクラに、襲われるなんて……


「……負けた」


イシルはそのまま くったりとソファーに沈みこんだ。





◇◆◇◆◇





サクラは 部屋に入り、ドアを閉めると、夜着に着替えるために制服を脱ぐ。


胸の上、丁度心臓の上に うっすらと赤い跡……

イシルの残した朱の刻印キスマークが まだ、消えないで残っている。


見るたびに思い出す。


異世界こっちで恋愛したくなったら 僕として下さい″


他の誰かとする気なんてない。


″貴女の心臓ココロに 僕のしるしを、刻みました″


「っ///」


″貴女は予約済みです″


「冗談でも『好き』なんて言えるかっ!!」


好きだからこそ軽々しく口に出せない。

自分がたった今、それ以上の事をしたという自覚は サクラにはないらしい。





◇◆◇◆◇





次の日、バーガーウルフの仕事が終わる頃、アジサイ街に行っていたラルゴが帰って来た。


「サクラちゃ~ん!!」


「あ、ラルゴさん、お帰りなさい」


「やったよ!オレ、やったよ~」


「実演販売、うまくいったんですね」


「うん!した!ほら、見て!予約注文もこんなに!」


ラルゴが予約の注文用紙の束をヒラヒラさせる。

完売しただけでなく注文までとってくるなんて、余程ラルゴの売り方が良かったのだろう。

やはり、ラルゴは実演販売に向いていたのだ。


「完売!凄いですね!サスガです」


「サクラちゃんが教えてくれたおかげだよ」


ラルゴがちょっと涙ぐむ。

嬉しいんだね。

うん、特訓きつかったしね。

よく二日でマスターしたよ!


「いえ、ラルゴさんががんばったんですよ」


しみじみと喜びを分かち合う。


「今日はモルガンも呼んで慰労会するって、イシルさんが組合会館で準備してるよ」


ああ、じゃあ手伝いに行かなきゃ……


「それから……」


ラルゴがもじもじしている


「約束、おぼえてるよね?」


「約束?」


ラルゴが頬をつき出して とんとん、と、指で叩く。


「あ……」


ラルゴが頬を染めて えへへと笑った。


「じゃ、あとでね~」


やべぇ、忘れてた……






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