第15話 エレサの正義

———アルバ海運都市は、シン王国の教会聖都に続く、ミクラ大河の河口にある。東側沿岸の村や小都市からの物資は、一度ここに集積されて、川船に積み替えられ聖都に運ばれる。つまり物資の中継地点として、商業が非常に発達した都市である。そして、シン王国、建国当初からファリー家がこの地を治めていた———


「これはこれは、陛下に於かれましては、益々ご壮健のこと、臣下として、これ以上、大変喜ばしいことは御座いませんぞ。また王妃様も何時までもお美しく、ご健勝のご様子。そして、エレサ様、おお、大きくなれた。輪郭は陛下似でしょうか。目鼻立ちは王妃様に似ておられる。それにそこにおられるのはナント様でしょうか。これまた見ないうちに大きくなれた」

とでっぷりと太ったファリー大公が、この忙しい時に訪ねてきた。笑ってない目元は、喜ばしいなどと、つゆほども思っていない事は明白だ。エルフ属の血が混じっているとは思えない醜さだ。


「大公も、何時までも若々しく何より。また、アルバの発展に尽力されていること、余も喜ばしく思っておる」

と私は、自分でも歯の浮くような言葉で返礼をした。


「今回、臣下が参ったのは、この所、王都で何やら不穏な動きがあると、風の噂に聞きましてな。何かお手伝いすることがあれば、このガバルに何なりとお申し付けくだされ」

と胸に手を当てて跪いた。


 なにが手伝いだ。どうせエレサの目と昨今の死霊魔術について探りに来たのだろう。


「いや、今のところ、大公のお手を煩わせる様な大事は起こってはおらぬ。勿論、そのような事が起きたときは、真っ先に大公に相談する。その時はよろしく頼む」

と干渉無用を出してみたが此奴は分かっていても、引き下がらないだろう。よく見ると大公の横で突っ立っている子供がいる。ファリーの孫だな。


「さあ、子供達は、政治向きの話は退屈だろうから、奥で遊んでおいで」

と私は、メイド達に合図を送り、子供達を内庭に連れて行くように命じた。


   ◇ ◇ ◇


「私、エレサ、貴方のお名前は? 」

とエレサは、スカートを広げて挨拶したあと、その少年の名前を聞いた。


「へっ、お前には関係ないだろ。お前 …… そっちの目、何か変だな。何だその白い目」

とエレサの顔をマジマジとのぞき込み、からかい始めた。少年は頭一つ分、エレサより背が高い。


「生まれつきなの。時々痛いけど、あまり気にしてないわ。それより、お名前はなんて言うの? なんて呼べば良いの? 」


「だから、お前なんかに関係ないだろ。教えねぇよ、白目のバーカ」

と少年は、自分の左目を手で覆って馬鹿にし始めた。


「もう、良いわ。名前が呼べないじゃ、遊べないじゃない。ナント、行くわよ」

とエレサは、まだヨチヨチ歩きのナントの手を引っ張り、花畑の方に行こうとした。


 少年は、性悪く、ここでエレサが泣いてメイドのところにでも駆け込むと踏んでいた。そうやって女の子を見ると虐めて遊んでいたのである。しかし、今回は期待外れでエレサの毅然とした態度に腹が立った。


「おい、何だよ。俺様の前から居なくなるときは、お辞儀していけよ」

とエレサの手を取って引っ張ろうとしたが、エレサはタン老師から習っている護身術の初歩を使い、さっとすり抜けた。


「止めて! 」

とエレサが声を上げて抗議した。


 少年は少し驚いたが、

「へん、白目の馬鹿女、お前左側、見えないじゃないのか? 」

と言いながら、今度はエレサの左肩をどついた。エレサは、それは躱せずに、よろけて倒れた。


 今度こそ泣くだろうと思った。泣いたらもっと、からかってやろうと準備をしていたが、その期待はまたも外れる。


「何するのよ! 」

とエレサはさらに大きな声で抗議した。


 倒れたエレサを心配してナントがしゃがみ込んで、

「おねえちゃま」

と手を取って助け起こそうとする。


 少年は泣かそうした女の子が反発する上に、チビがその女の子に肩入れするの見て反感を覚え、

「おい、ちび助、そいつに手を貸すな」

と、ナントをエレサから引き離そうと突き飛ばした。その衝撃でナントは強く尻餅をついて、泣き出した。


 するとエレサは、

「ちょっと、止めてよ」

と拳を握りしめて、仁王立ちになった。


 それに少年は少なからず驚き、

「な、なんだ? やるのか? お前の方がチビのくせに俺に喧嘩売るのか? 」


「それ以上、ナントを泣かしたら許さないわよ」

とエレサは吠えた。


「えー、やってみろよ。チビの白目の化け物が」

と座って泣いているナントをまた押した。


 このとき、エレサの中で何かが弾けた。

 

 エレサの髪の毛が逆立ち、

「貴様」

と言いながらナントと少年の間に割って入り、手を広げて阻止しようとした。そして少年はさっきのようにエレサの左肩を押そうとしたとき、


 ガツ

と音と供に鼻に鈍い痛みが走り、

「痛って! 」

と言って、鼻血を出してそのまま仰け反って倒れた。


 そこに、さらにエレサが馬乗りになり、少年を殴り続けた。


「ごめんなさい、ごめんなさい」

と少年は顔を手でかばいながら、謝罪の言葉を言ったが、エレサは一向に止める気配がない。


 少年の体格からすれば、エレサを撥ねのけることは容易いはずだが、頭突きの一発で戦意消失し、細腕のエレサの拳を避けるだけで精一杯であった。


 そこへ、メイド長のロッテがやって来て、

「まー、なんてこと。エレサ様、エレサ様、おやめください。近衛殿、近衛殿、姫様をお止めください」

と暴れまくっているエレサを止めようとしたが、仮にも一国の王女である。近衛も中々手を出しづらい。


 そこへ、メイド達の騒ぎを聞きつけて、近衛たちの修練の指導にやって来たタン老師が、音も無くエレサの後ろに立って、脇の下に手を入れて抱き上げた。


「姫様、御免」

と暴れるエレサの力をすべていなして、静かに猫を抱くようになだめた。因みにユアンジア家は猫属の亜人の血が濃いため、身体がしなやかで、犬歯が少し見える。


   ◇ ◇ ◇


 タン老師の仲裁もあり、ファリー大公はあまり抗議しなかった。


 特に

「男たる者、女に手を上げることは恥でござるな。その点、ガザル殿はエレサ姫に手を上げずにおられた。騎士たる者、こうでなければならない。ファリー大公様は良いお孫さんをお持ちじゃ。これでファリー家の将来が前途洋々ですな」

と大げさな口添えしたことが大きかった。


 しかし、エレサはサスリナから、たっぷりと、お小言をもらったことは言うまでもない。


   ◇ ◇ ◇


「先生、ごめんなさい」

とエレサは、しょぼりとして、タン老師に謝った。サスリナから沢山怒られて、先生にも謝って来なさいと言われたのだ。


「エレサ様の正義感は、このタン、とても感心しましたぞ。して王妃様からは、どのように言われましたか? 」


「女の子らしくしなさいと言われました。でも、これは何時もです」


「ハハハハ、そうか。そうじゃな。王妃様の言われることは最もなこと。何せ、エレサ様は王女様、じゃからな。父王様は、如何じゃったか? 」


「お父様は、ナントをかばって助けたのは良いが、その後、殴り続けたのは良くないと言ってました。でもエレサ、ここがよく分からないの。悪いのは彼奴なの。何で殴ったら行けないの? 」

とエレサは腕を後ろに組み、足で字を書くようにして、腑に落ちていないことを身振りで語った。


「そうじゃの。実はそこが、大人でも難しいのじゃ。ナント様をかばって助けた、ここまでは正義じゃが、その後、謝っているのに殴り続けた、これは、正義と見なされん場合が多いのじゃ。相手が心から謝罪しているとき、その謝罪を受け入れ、許すのが正義じゃろう。ただ、大人でも、こうも綺麗に出来るかどうかは分からんがな。ちょっと難しかったな」

とタンも後ろに手を組んで、エレサと横並びになって話をした。


「じゃあ、相手が謝るまでは、殴り続けて良いのね」

とエレサが答えた。


 タンはちょっと驚いて、エレサの方を向いて、

「まあ、王女様であるエレサ様としては、殴るのも女の子らしくないと思うがな」

と少し、軌道修正をした。


 するとエレサは、

「王女って、難しいのね」

と答えた。


「難しい。ハハハハ、これは参ったな」

とタンは笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る