第2章 第17話「御礼」
円とプレイングを再結成することになり、第一回目の公演をアジアの国で行うことになった。その国で公演を成功させ、日本でも同じ内容の公演を上演する。何ヶ国かをツアーで周れるのであればそれに越したことはないが、俺たちにまだその力はない。まずは一つの国で舞台を立ち上げて、それを日本に持ち帰る。演劇の手法をその国に合せるのは良いが、ベース自体は日本に置いておかないと継続して発信していくことができなくなる。そういった意味で海外で行う公演は必ず日本でも上演することを約束事の一つとした。
最初に選んだ国は東南アジアに属する国だ。この国には演劇文化がない。正しく言うと文化というものの大半が時の首相によって剥奪された歴史がある。人が集まるというのは独裁政権を広げる上で邪魔以外の何物でもなくなるためだ。ある程度の年齢層には辛うじて文化の芽が残って入るものの、若者には文化の培地がない。しかしそこの間隙を狙って他国の演劇文化を押し付けるのは、少なくとも俺たちの道徳には反するので、あくまでも新しいスタイルの他国の文化だということはあらゆる面で強調して誤解を生まないような配慮をした。
現地では芝居を観るということについて金銭を払って静かに観るという習慣はなく、どちらかと言うとコンサートに近い催しが流行りやすい文化圏だった。そんな事情を含め、どういった演目を行えば良いのか、まずはその国を調べるところから始まった。
ミュージカル形式の芝居にはしたくないが、その手法の方が受ける。そうとなれば音楽を題材にした内容にするべきだ。さらに舞台自体も屋内で行うものについてはある程度所得のある層の特権のようなところもあるので、なるべく屋内という雰囲気を出さないようにしつつ、かつより手作りに近い素朴なものにする必要がある。加えて催し自体にお金を払うという点についてもしっかりハードルを超えておかなくてはならない。地元レベルのミニコンサートであれば収穫祭の中で自発的に行われるものであるので当然お金はかからないが、無料公演で人を集めるというのは俺たちのやり方に反する。学生の時こそ無料公演から出発しているが、それは学内サークルレベルでの話だ。プロを意識するようになってからは全て有料公演でやってきた。誰でも気軽に観ることができるというのはとても大切なことではあるが、そこに時間以外のものを差し出すという緊張感がないとプロの演劇公演にはならずただの趣味で終わってしまう。だからこそ有料公演を行うことにこだわった。そしてその金額設定も良く注意しないと誰も観に来なくなる可能性がある。元々富裕層向けの高額な催しか、お祭りに付随する無料の集まりかのどちらかが主になる為、映画を観に来るような気楽さで足を運んでもらえるだけの工夫が必要になる。もちろん、映画を観ること自体が大きなハードルになる層もいるのだから、その辺りへの配慮も必要だ。
役者を集めるのにも工夫が必要であった。そもそも演劇の文化がないので舞台役者というものを良くわかっていない層が多かった。現地の芸能プロダクションに声を掛ければテレビや映画に出てくる役者を集められるだろうけれど、手作り感のあるものにそういった人たちを連れて来て一体何になると言うのだろう。
村人に協力を仰ごうにも、彼らにも仕事がある。生活が大きく掛かった仕事を放り出してまで俺たちに協力してくれるような人はそう多くない。そこで思い切って町にいるゴロつきに声を掛けることにした。普段から他人の農作物に勝手に手を付けて生きている連中で収入の当てがないのだから、こちらから役者として正式に雇うことできちんとついてきてくれる。さらに日本公演での話にも乗ってくれた。詐欺ではないかと疑われた節もあったが、根気よく説得している内に理解を示してくれた。
これだけのコミュニケーションを取るために現地の言葉を習得するのにも骨が折れた。円と打ち合わせをして国が決まってからはその国の言葉を必死に学習した。文化を知り、言葉を知り、その国のバックグラウンドを知り、時間がいくらあっても足りないような状況ではあったが、いざとなったら何とかなるものだ。
脚本については日本公演も視野に入れていたのでなるべく台詞を発さないものを考案した。ほぼ無声の劇で、設定もどちらでも通ずるくらいにシンプルなものに落とし込んだ。世の中の常で、世情を表したもの程良く売れる。それを踏まえてその国の文化的な背景を盛り込んだが、日本での公演も控えていたので日本にも当てはまるテーマを取り入れた。世界で起こることは意外と共通項があるものなのだ。
日本での準備と円の待機で三ヶ月、現地での準備に三ヶ月、わずか半年で上演に至ることができた。人材はすぐに集まり、脚本の構想もすぐに浮かんだが、場所の確保に最も手間取った。演劇をできそうな空間はいくらでもある。何といってもテントを組んで桟敷を作って椅子を並べて照明を灯せばそれだけで簡単な劇場が完成する。音響だってスピーカーがあればどうとでもなる。凝った舞台演出を考えてみたところで、現地の圧倒されるくらいの楽器演奏には遠く及ばないことがわかっていたので、爆音で勝負するという線を捨てることにした。それでも熱狂で包むという部分だけは捨てられなかった。細かいニュアンスを取り入れて複雑な芝居にしても仕方がなかったので展開はなるべく素朴になるような工夫を凝らした。台詞回しに小難しさを取り入れた時点で観客が離れて行く様も想像できたので、台詞も簡単なセンテンスで組んだ。その脚本は一度日本語で組んだものを現地の言葉に訳し直した。
しかし今度は現地の識字率の問題がある。この国で言葉を読み書きできる者は八割未満だ。都市部で富裕層相手に行う芝居であれば全編英語で上演してしまうというのも手だが、俺たちの狙いは一般市民であり、富裕層がターゲットではない。村で公演を行い、チケット代を払ってでも観劇したいというニーズを生み出すのが目的である。 村の広場で公演を開催できれば集客は期待できるだろうが、数ヶ月前に初めて来た外人の良くわからない目的のためにそのような場所を提供してくれるわけもない。味方にできたのは街のゴロつきだけなので、関係者は交渉の材料にはならない。仕方がないので街の外れにテント張り、そこで公演を行うことにした。街の外れであれば使用して問題ないという許可を得ることができた。そこは長く続く民家の終わりのような場所であり、街の中心部からは二キロ程も離れていた。
稽古については想像以上にはらはらしたものとなった。朝と昼は各自で台詞を詰める時間にして夕方の二時間だけ集まって稽古をすることにした。稽古場はテントを張る予定の場所、つまり本番に舞台が立つ場所だ。この村に稽古場なんて存在しない。演劇をしたことも観たこともない彼らに演劇の常識を教えても仕方がない。それに新しいスタイルの演劇を作ろうというのだから古い慣習を覚えることには何の意味もない。彼らには台詞以外のことはとにかく自由にやってくれて構わないと教えた。楽しく、大胆に。それがこの国での俺たちのモットーでもあった。
しかし自由にも限度というものがある。稽古中にゴロつきの仲間たちが乱入してきて一緒に騒ぎ合ったり、時間という概念が希薄な為に欠員がいる中で稽古を進めたり、台詞をきちんと覚えて来なかったり、そういったトラブルは続いたし、天候によっては稽古自体が中止になることも多々あった。稽古期間を長めに確保しているとは言え、思いの他準備が遅れ気味になった。
それでも彼らは根本的には真面目であった。初の試みを良い結果に終わらせる為に一度も下を向いたことはなかった。どんなことがあろうともいつでも楽しくという雰囲気を絶やすことはなかった。楽しければそれで良い。さらに彼らは宣伝を行ってくれたし、幸いにもテントでの公演を許可してくれた村の長までもが宣伝をして回ってくれているというのだ。
何か面白いことが起きそうだぞ。そんな空気が街に漂っていた。
本番は闇夜の中で行われた。客席は満員になった。三晩連続の公演予定だったのだが、村民たちからの声もあって一週間連日のロングランとなった。
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