第2章 第15話「後押し」
本居は世界を広げた。それは神の力によるものなのか、あくまでも神は後押しをしただけで全てが本居たちの実力だったのか、そこまではわからない。この業界はマスコミのごり押しと、その人物の魅力のどちらが先立つものか不透明な部分がある。
しかし間違いなく本居には他の者が持っていない才能があった。身近で触れていて分かったことだが、恐らく脚本は全て本居が書いている。折口は脚本と演出を兼ねているように見せかけて、実のところは演出としての指示出ししかしていない。プランニングも含みほぼ全てを本居が決めている。本居は自身の考え出した世界にいかにして観客を引き摺り込むかを常に考えている。その公演ごとのキャパシティと客層を敏感にキャッチし、その情報をベースにしてホームページの作り込み、美術系統から受付まで全てをその世界に馴染むように構成している。その中で指示出しを求心力のある人物に任せることで本居の世界は成立している。一人芝居をしていた時は指示を出す相手もその指示を受ける人間も本居本人だったし、私を舞台に立たせた時は実質私しか指示を受ける人間がいなかったということもあってなんとか成立していた様に思われる。その後、本居は折口と再びチームを組むことになり、誰かとも、もちろん一人でも舞台に立つ機会がなくなった。
何も折口がお飾りだと言っているわけではない。彼は彼でその求心力を存分に活かし、一人になってからも必死に舞台づくりに挑んでいた。脚本はその時の主催者から渡されていて、脚本を受け取る度に舞台での狙いを細かく聴き込んでいたらしい。それまでは本居がプランニングを組んでいてくれていたからこそ、折口も最初は単独で演出プランを組むことが困難だったのだろう。雰囲気は掴めていても、具体的な練り方がわからない。それでも脚本家に狙いを聴き、主催者と趣旨の打ち合わせをすれば、後は本居ならばどうしたかを考え出すだけで自ずと方向性は見えてくる。
彼は全くのお飾りだったわけではない。お飾りには徹しないという自身への表明として、彼は一人立ちをすることにした。一生本居の下で働くということに諦めと限界を感じたのだ。彼だけでもやっていけるということを証明したくなったのだろう。それから二年程は晴れ晴れしい成功を収めた。誰かの言葉を頼りにするのではなく、自身で全てを決定するということにも随分慣れたようだ。そこでもう一度本居とチームを組みたくなった。ゼロからのスタートだったようなものとは言え、世間からすれば引き続き演出をしていたようにしか見えなかった。しかし彼自身はさらなる高みに行きたいと考えていた。そうなったときに海外進出を思いついた。日本で彼に敵う演出家がいないのであれば、今度は海外に出て未知なる世界で戦っていく以外に道はない。
しかし国内でのコネクションこそあれ、海外にはいかなる伝手も持っていない。作ろうと思えばいくらでもパイプを見出せただろうが、彼は最も信頼できる本居を頼ることにした。正確に言えば本居から声を掛けたのだが、何にしてもお互いに最高のタイミングでの合流となった。本居は本居で神のひと押しがあったおかげで次のステージに進もうという気になった。複数人での芝居はプレイングでこれまでやってきたし、そこでは本居が裏で統率を取っていた。一人芝居では小回りを存分に活かしてそれまで以上に自由にやってきた。新しいステージに行くとしても国内はもう攻めるに攻めたので、それならば海外に目を向けようという腹積もりだったのだろう。
コネクションはなくとも手探りでも何とかやっていける。彼はこれまでだってそうしてやってきた。大学で演劇を始めたときからそうだった。元々あった体制の中で、かつ趣味の範疇で取り組む演劇には何の価値も見出さず、プロとして継続していけるだけのシステムを作りたかった。その為に彼はできる限りの人脈を築き上げ、足りない部分は全て自身の感性で補った。脚本と演出と制作方面での戦略がそうだ。後は求心力のある人間を手元に置けば本居の国が完成する。公演を行えば行う程に規模が大きくなるような仕掛けと、足枷を作り出した。次々と外部の役者やスタッフを呼び込み、その人物のグレードも徐々に上げて行く。一度上げたグレードは下げられないし、声を掛けられた側も自身の立ち位置がわかる。ある程度の領域に達するとプレイングからお呼ばれすること自体に価値が出てくる。それと共に劇団の格も上がる。そういった連鎖を作るのが本居は巧みであった。雪だるま式に膨らんだ劇団もその内に巨大化の限界が訪れ、本居は折口を手放すことになる。
しかし本居の中では再び折口と一緒に芝居をする日が来るという確信があったはずだ。折口には演出としての真の実力を付けるための修業期間というメッセージがこめていたはずだし、自身には独力で全てを作り上げていくという試練を与えたのだろう。
お互いが潰れることなく成功を重ね、再び合流することになった。そのきっかけを神が作った。海外で公演をするのは最悪一人でもできる。本居は今まで通りの流れを海外向けにアレンジすればきっと単独でも成功したし、折口も何らかのパイプを作れば現地の劇団で演出をすることもできただろう。
しかし本居はチームとして演劇をしたくなった。それは神の後押しによるものだ。国内でできないことはないだろうが、常に挑戦をし続ける彼にとっては国内で活動の規模を広げることが必ずしも挑戦にはならなかった。折口にとっては現地の劇団に入り込むという真似はしたくなかった。ゼロから劇団を作り上げ、日本の劇団が海外で戦うということにこだわった。そこに本居が話をもちかけたので再結成をする流れが生まれた。その結果、今の彼らがいる。
どこまでが神の狙いかまではわからないが、後に引けなくなった彼らを第一線のさらに前方へ送り出したかったのは間違いがない。
これまでも神は他の芸術家たちにも同じような後押しをしてきた。神の文化面での貢献は計り知れないものがある。しかしどれもこれも神が直接念じて動き始めたのではなく、君はこの道に進みなさい、あなたはこういった行動を取りなさいと指示をしたわけでもない。ただその対象者に憑依して何らかのアクションを取り、それぞれがずっと心に宿していた理想の方面へ進んでいける後押しをしただけだ。
本居の場合も同じで、神が本居の行動に介入しただけだ。全てそれぞれの芸術家たちにインタビューをした上での共通項を見出した結果であり、本居に至っては直接神の行動を観測したのだから疑いようがない。
ただし記事にしてみたところでオカルトの要素しか孕んでいないし、そんな突拍子もない現象を誰が信じてくれようか。だからこそ記事にはしていないし、今後もどこかに公表するつもりはない。ただ真実を追いかけたいという一心であれからもずっと取材を行っている。神の追っかけはあくまでも趣味の範疇でしかない。
私には文化を担っているという自負はあるが、神は私自身には何のアクションも取ってこない。私も向上心は持ち合わせているはずだが、ライターとしての最終目標はこれと言ったものがない。文化を追い続け、何が起こっているのかを取り上げて世間に知らしめ続ける。強いて言うならばいつまでも最前線を目撃し続けるということが目的であり、その過程で神が見つかれば、神を探すことに注力したいと考えているだけだ。心に宿すものが小さな私を神が標的にすることはない。
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