第28話「祈り」
「五年ぶりだな、翔」
「一体なんのつもりなんだ」突然現れた影に脳内で話しかける。
「久しぶりだというのに冷たいじゃないか」
プレイングでの活動が再開してから、プロとして本格的に動き始めた当初より使用させてもらっていた専属の稽古場を再び借りるようになった。この場所が一番落ち着くし、円と打ち合わせをする際にもこれまでの舞台のことを思い出しながらあれこれと踏まえて発想することができるのであらゆる面で好都合だ。自室では思い出すことのできない些細な出来事もここでなら思い出すことができる。解散後二年間、プレイングとしての活動はなかったものの根強いファンが俺たちの再開を待ち望んでくれていたようで、新作に前作との繋がりがあったりするとそういったファンが私はこの前の作品も観たぞと我が子のしぐさを思い返すかのように喜んでくださる。
そんな稽古場に一人でいる時にこれまで何の音沙汰もなかった影が現れた。
「お前がわけのわからない演技をしたせいで鴨間にまで迷惑をかけることになった。観客からの反応は薄かったし、俺はともかくとして、鴨間が今後舞台に立つ機会を奪ってしまった」
「安心しろ。鴨間はそんなことを気にする器じゃないし、そもそも次の舞台のことなんて一切考えていないぞ」影が全てを知っているかのように喋り出す。
「一体お前は何者なんだ」
「神様だったりしてな」
「死神の方だろ」
「あながち間違っていないかもな」透かした様子で影は続ける。
「あの芝居について言えば、鴨間は何も気にしていないし、あいつは元々芸能や芸術全般に興味がある人間だから、舞台一つができなくなったとしても何も痛くない。何ならあの時の観客も今となっては、むしろあ何とも捉えていない。ちょっと空回りしているくらいの認識だ。お前の理想が高すぎたんじゃないのか?」影が俺を否定する言葉で突き返してくる。
「残念なことに俺は演劇の世界ではプロとしてやっている。観客の求めるものにしっかりと答えることが俺の仕事であって、役者として酷い芝居をするなんていうのは絶対にあってはならないことだったんだ」影に対して厳しく言う。
「プロ故に観客の優しい視線や甘い反応には気が付けないってわけか。プロというのは随分と大味なんだな。こうやってお前の理想と現実がどんどん離れて行って最終的に自分だけの世界っていうものができていくんだ。だから演劇を生業にしているやつらはちょっとした選民意識を宿しやすいんだよ」影が強く返し、そして続ける。
「そういう意識は最初の内だけは良いんだ。みんながカリスマのように称えてくれるし、その期待に応えようとついてきてくれる。でもある時点でハードルがあまりにも高い位置に上がりすぎると突然みんなが離れていく。厳しすぎるだとか独裁だとか言ってな。お前も自意識だけが上がり過ぎているんじゃないのか。そういう考えしかできないようならいつか酷いどんでん返しをくらうことになるぞ」
「その節は薄々気が付いてはいるが、中々後には引けない。今更クオリティを下げても良いという妥協の方針には変えられない。だからこそみんなが離れて行くまで俺は自分の信じた道を進む」開き直って影に返す。
「まぁお前を攻めたところで何も始まらないし、どういう道を選ぼうがそれはお前の自由だ。お前の道はお前にしか進むことができないし、俺のアドバイスだって外れることもあるだろう」影がどうでも良さそうに言う。
「それで何をしに来たんだ?」
「おめでとう」影が言う。「その一言を言いに来た」
「何の話だ?」
「世界中での成功を称えに来たんだ」
「どこかから俺のことを見ていたのか?」
「見ているも何も」妙な間を置く。「俺は神だからな」
こいつが神であるわけがない。こいつは俺の分身のようなもので、俺の軌道を何らかの意志の下、捻じ曲げようとしている。しかしその意志は俺の潜在意識に端を発するものなのだろうか。
「どこまでが本当なのかはわからないが、こんなことができるんだからそういう類のものっていうのは間違いないんだろうな」諦めた体で影の話に乗る。
「ようやく信じてくれたか」
「何だかんだでお前がちゃちゃを入れてくれたからこそ俺たちはここにいる。そしてお前は神だと言う。そんな気がしないでもない」
「急に察しが良くなったな」
「だが礼は言わない」
あたかも影が神であるかのように振る舞う。フェイクなのか、事実なのかは影の態度からは読み取れない。
「そもそも神に礼など不要だ。それにここまでの道はお前たちが走って来たんだ。俺が何かをしたわけではない」
「そうじゃない。俺たちはたまたまこのステージまで来ることができたが、途中で何人もの人間が巻き添えをくらっている。初回はまだしも鴨間との二人舞台の時にはスタッフの評判を落とし、公演予定が決まりかけていたスタッフがドタキャンをくらったりもしている。お前にはずっとそれを言いたかった」
「それも安心して良い。そもそもその程度で評判を落とすスタッフはそれなりのレベルには達していなかっただけか、もしくは本人が舞台に乗り気じゃなかったかのいずれかだ」
「そんなことまでわかるのか」疑いの意味を込めて聞いてみる。
「わかるにしろわからないにしろ、結果として道が逸れた人間はそれなりの人生を歩んでいる。いずれにしても一つのきっかけになっただけで俺のせいでもなければ翔のせいでもない」
「そう思えば少しは気が楽になるな」
「俺の仕事は芸術を発展させることにあるからな。日本の芸術を担っていると言っても過言ではない」
「流石にそれは言い過ぎだろう」
「どう受け取るもお前次第だ。それじゃあ俺はここで。恐らくもう二度と会うことはないだろう」
苦情はいくらでも湧いて出て来るが、こいつにぶつけても仕方がないことだ。実体がないものに責任を取らせることはできない。
「それなりに楽しかったぞ、お前と過ごすのは」
「俺も楽しかった。幸運を祈っている」
「神様なのに祈るのか」
「神様だから祈るんだ」
「なんだそりゃ」
「俺にできることは束の間の介入をして、見守り、祈ることだけだ」
突然稽古場の入り口が開いたと思ったら円が入って来た。
「良い顔をしてるな。何か次のアイデアでも浮かんだのか」
「次の公演はこんなことをしようと思うんだ」
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