第25話「神格化」
円と再び演劇をできることになった。そうは言っても円自身も演劇の公演をいくつも抱えていて次から次へと演出をつけていかなければならない身であるので、一緒に公演を打つことができるのは当分先になるとのことだ。
半年後から動き始めて一年後の実現というのが大筋になるとのことである。円の方でも俺と組む際の段取りは絶えず考えてくれていたらしい。
しかしそこで奇妙な話を聞くことになる。
「そういえば円は今何を目指しているんだ?」核心を突く質問をしてみる。
「目指すものを探せるような自分を目指してるよ。ぶっちゃけた話、俺は演劇界の頂点を極めたと思っている。少なくとも演出家としてはこの年齢で一番でかい作品を作り上げたんじゃないかなって」円はこともなげに話始める。
「もちろん翔相手だから話せる話だ。他のやつには零せないし、ましてや雑誌なりなんなりで取り上げられでもしたら確実に顰蹙を買うことになる。だけどこのことを思い上がりだとも思っていない」一呼吸置いて円は続ける。
「でもな、そうやって現実を受け止めておかないといつか足元を掬われることになる。過大評価と過小評価は紙一重なんだ。出来過ぎていると思っていたら大きなつまずきに出くわすが、過小評価をしていたらいつまで立っても景色は変わって来ない。過小評価こそが美徳だという見方もあるが、俺は決してそうは思わない。自分自身を過小評価をするやつはただ臆病なだけで変化を恐れて殻の内側に引きこもっているだけだ」円は自論を話す。
この自身に溢れつつも立ち位置を見失わない辺りが円の魅力の一つだ。その魅力が全く色褪せていなくて心のどこかで安心する。
「翔と組んでいた時はチームだからここまでのことができるんだろうみたいな目で見られることも多かった。それでも比較的まともに評価はされていたと思うけれどな。でもお前と一旦離れることでこれまでの舞台上の評価を独り占めできるようになった。そして実際に演出家として独り立ちをしたら予想以上に上手くいった。もちろん翔なしではここまで来られなかったというのは事実だ。脚本だって全部書いてもらっていたしな。それでも誰かと一緒にいるだけでその評価は半分こになる。当時はそれで良かった。翔と二人で芝居を作ってそれぞれが平等に評価される。公平に見られるというのは良いことだ。しかし脚本家として休止する代わりに演出として突き詰めていくというスタンスは周りから見たら全部一人でやっているという感じが強く出るんだろうな。チームで動いていたときよりも活動の範疇が狭くなった一方で、評価だけはドンドン上がっていった。器用貧乏っていうのは本当にあるんだな。一つのことしかできないみたいな顔をしていた方が世間の受けも良いんだ」円がさぞ残念そうに続ける。
「こうして俺は演出家として、少なくとも国内では頂点を極めたかのような見られ方をされている」
「俺はどこかで円の演出ありきで脚本を書いていたから自然と円っぽい雰囲気に上がっていたけれど、他の脚本家の作品の書く円とは全く関係のない作品すらも演出一つで円色に染め上げていたよな。実は円が演出をつけた公演をこれまでずっと見ないように避けてきたんだ。でも思うところがあって最近、円がやってきた演劇を可能な限り観てみたんだ。そうしたらその全てに円の雰囲気が醸し出されていて正直驚いたよ。脚本を円に合せなくても、円が脚本を引き寄せていた。それこそ現代の作家の作品だけでなく、古典なんかもしっかりと持ち味を出していて恐れおののいた。こんなにすごい奴なら円専用の脚本を渡さなくても良かったんじゃないかって」自嘲気味に俺は話す。
「そんなこと言うなよな。翔が脚本を書いてくれていたからこそ今の俺がいるんじゃないか。全てはお前に教わったみたいなもんだよ。俺の色なんて言うが、正しくはお前の想像する俺の色だ。本当に感謝しているよ」円が真剣な顔をして言う。
「なんだか照れくさいな。そう言ってもらえるだけで十分嬉しいよ」言葉少なに円に話す。
「演出としてこれだけの観客や役者やスタッフに恵まれている。そんな俺には選ぶ道が三本ある。一つは現状維持だ。このままふんぞり返っていてもきちんと成功さえしていれば偉大な演出家として偉ぶることができる。ある程度までは真剣にやらないといけないが、ある領域を踏み越えれば後は勝手に神格化される。憶測でしかないが、成り上がりさえすれば適当に演出をつけてもきちんと本番さえ迎えられれば観客が自然と称賛し出す。折口円の演出だからすごいに決まっている。理解できないのだとしたらそいつがおかしいってな。鰯の頭も信心からってやつだ」円は何気ない感じで言う。
「でもそんなのはお前らしくないだろう。キャラクターとしてはそれぐらいの勢いがありそうだけど実際のお前はもう少し謙虚だし向上心だってきちんと持っている。それに意外と細かい」
「まぁその通りだ。例えそういった領域に進めたとしても適当な演出を付けたりはしない。俺は意外と細かいし、うるさい。それにここまでの立場までのし上げてくれた演劇に対して失礼だし、好きなことをそんな風に冒涜するのは俺のポリシーに反する。そうなると残りは二つだ。わかるか?」円が楽しげに問いかけてくる。
「脚本家としての自分を復活させると言いながらも脚本家への初挑戦をするというのが二つ目だな」毒をこめて言う。
「良くわかっているな。俺にとって世間に見せられる脚本を書くというのは大きな挑戦になる。これまで翔とやってきた芝居は全てが俺の手によるものだということになっていたからこそ、新しく脚本を書くというのであればクオリティを翔以下にすることはできない。だが俺には脚本のセンスがまるっきりない。やるなら文章の書き方をゼロから学んでいく必要があるし、小学生じゃないから今更文章を直せるとも思わない。こんなのは流石に負け戦にも程があるからこの線はあまり宜しくない」うつむき加減に円が言う。
「なんだ違うのか。てっきりその線があると思っていたからお前に声を掛けるのをためらったのに。脚本を自分で書くから俺がいるとかえって邪魔になるんじゃないかなと心配していたんだよ」本心から言う。
「邪魔かどうかはむしろお前の都合だろう。何にせよ脚本家としての道はまだ志していないだけでいつかはきちんと向き合うつもりでいる。やってやれないことはないはずだ。だが今は別の目標がある」
「お前らしいな。可能性があるなら全ての道を洗い出してそれぞれの道を進む方法を考える。そしてその中で最もお前が進みたいと思う方向に足を進める。俺でもきっとそうするな。ところで、その三つめの道っていうのはなんなんだ」想像のできない答えを尋ねてみる。
「俺が狙っているのは」心持ち神妙な顔をして円が口に出す。
「海外での公演だ」
想像の遙か上を行く答えがやって来た。
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