L-cone

王生らてぃ

第一章「鷺宮千夏と魔法少女たち」

プロローグ「鷺宮千夏・放課後の邂逅」

   【White】



 その日は大和に連れられて、新宿に遊びに来ていた。金曜日の放課後は街が少しだけ、賑わいを増しているように見える。サラリーマンや学生の波にもまれながら街を歩くのにも、随分慣れてきた。



「いっぱい買っちゃった」と、大和は紙袋を両手いっぱいに持って満足気だ。「今月のお小遣い、もうほとんど残ってないや。でもこれで満足かな。ね、千夏はどう? 楽しかった?」

「うん」



 嘘じゃない。楽しかった。でも、大和にはその返事が上っ面のものに聴こえたようだった。



「いつもあちこち連れ回してゴメンね。ひとりより、ふたりのほうが楽しいから。ていうか、私がずっと一人で喋ってるばっかで退屈だったかもしれないけどね」

「そんなことない」

「この後、どうする?」

 陽は既に落ちかけている。

「どうするって?」

「私、この後ライブハウスに寄って行こうと思うんだ。今日、『Piscesピスケス』のライブがあるんだって。一緒に見に行かない? 千夏、ライブハウスとか行ったこと無いと思ってさ。どう?」



 そういう聴き方はずるい。

 私は大和の誘いを断らないことを、大和もちゃんと知っているのだ。



「ごめん」でも私は断った。「今日、お父さんが帰ってくるから。ご飯作らないと」

「そっか。残念だな」

「たまには、いいもの食べさせてあげないと。また今度誘ってよ」

「またね」



 駅前で大和と別れてから、帰宅ラッシュの中央線に乗って新宿を後にする。扉に張り付いて眺める外の景色は、太陽の光と、徐々に灯りつつある光とに彩られつつあった。東京の夜景を見るのが私は好きだった。たとえ人工の光でも、きらきらしていて、とても綺麗だからだ。

 星空を見ているよりもずっと好きかもしれない。星は遠くて、小さいから。



「この人、痴漢です!」



 次の停車駅でドアが開いた瞬間に、甲高い声で駅の雑音が一瞬、消えた。

 私の乗っていた中央線の6号車。ひとつ向こう側のドアのほうに、困惑するサラリーマンの手首を掴みあげる、若い女性の姿があった。私は降りる人の波に流されるがままになりながら――ほんとうはこの駅で降りるんじゃないのに――その光景を見ていた。



「ち、違う! 私じゃない!」



 サラリーマンは手慣れた様子だった。すぐに鞄を投げ捨てると両手を高く掲げ、



「弁護士を呼べ! 私はこれから誰も触らない! なにも触らない!」

「ほ、本当です! 本当にこの人が、私の……!」



 静寂はすぐに、ざわざわとした騒ぎにかき消されていった。その周囲にいる人々はみな、知らん顔をしてまた電車に乗ったり、駅の出口へ歩いていったりしていた。騒ぎを聞きつけたのだろう、駅員らしき人がそのふたりのもとへ駆け寄っていた。

 ふたりの周囲には、ぐるっと円形に人だかりができている。

 私はそれを少し離れたところで観察しながら、また電車に戻ろうとした。私の降りる駅はここじゃない。しかし、歩き出したところでドアが閉まり、電車は走り去ってしまった。

 ツイてない。



 こういうこともあるだろうと、鞄からヘッドホンを取り出し耳に引っ掛けた。十三歳の誕生日、お父さんが「なんでもいいから欲しいものを言いなさい」と無理に迫るので、私も無理にアイディアをひねり出して買ってもらったものだ。流れっぱなしの音楽プレーヤーから、力強い女性のヴォーカルと、荒々しいギターサウンドが聴こえてくる。

 別に好きってわけじゃあ、ない。

 大和に勧められたから。それ以上でも、それ以下でもない。他の理由もないし、かといって聴かない理由もなかったのだ。ヘッドホンを耳にかけていると、それだけで、なんとなく落ち着く気がする。



 横目で見ると、サラリーマンの人はまだ両手を挙げていた。

 初めて見た。

「この人、痴漢です!」と、あんなに力強く叫ぶ女の人を。まるで――お芝居かドラマの中みたいに。

 ぼんやり考えているうちに次の電車がホームに滑り込んできた。発車するとき、まだ、あのふたりはホームで言い争いの最中だった。






 中央線から乗り換えて、自宅の最寄駅で降りてから家までは歩いて十分くらいかかる。その途中のスーパーで夕食の材料を買っていこうと考えていた。

 お父さんはそろそろ仕事を切り上げて帰ってくる頃だろうか。お父さんは交番勤務の警察官で、今日の勤務を切り上げたら土曜、日曜と連続で休みが取れるらしい。これはとても珍しいことで、私が覚えている限りでは初めてのことだ。交番勤務は勤務時間が変則的で、帰ってこない日もあれば平日の朝から寝ていて、夜に出勤していく日もある。

 たまのゆっくりした休みなんだから、休みらしくゆっくり過ごしてほしい。



「疲れた時は、肉を食べるといいんだっけ。今日はお鍋にしようかな……」



 でもそれは明日でいいかもしれない。

 お父さんはきっと、今日も仕事、仕事で、お腹を空かせていることだろう。今日の夜は手早く済ませて、明日か、明後日の夜にちょっと奮発したものを作ればいい。疲れて帰ってきているお父さんはきっと、しっかりしたものを食べるより、手早く作れるものを食べたいことだろう。うどんとかでいい。



 陽はとっぷりと落ちて、線路沿いの道は暗い。ぽつぽつ灯る街灯の明かりだけが、寒々しくアスファルトを照らしている。すぐ横を、上りの電車がヘッドライトをともしながら、轟音と共に通り過ぎていく。

 それが通り過ぎたときだった。



 線路沿いに建つアパートとアパートの間から、ぬっと巨大な影が、姿を現したのだ。大体三メートル弱くらいある上背、錆びついた真鍮みたいな色合い、身体じゅうにステンドグラスのように張り付いた金属質な「うろこ」。瞳は信号機の赤に輝いて、ぎょろぎょろと周囲を見回し、――私を捉えた。ずん、と足音を響かせて、大きな腕を振りかぶる。

 まるで映画の中に出てくる怪獣みたいだけど、奇妙に、それは人型を保っていた。

 どうしよう。

 まだ夏は遠い。私の頬を汗が伝った。どうしよう。身体が動かない。こんなことは初めてだった。怪物が重々しい金属がきしむ音を立てながら、その右腕を振り上げた。どうしよう。あっ殺される、私これから死ぬ、ってそう思った。

 どうしよう。どうしよう――――



「ふせて!」



 という声と共に半ば反射的に膝が折れた。さっきまで私の頭があった場所を、金属の腕が通り抜けていった。アスファルトの地面が砕け、破片が私の腕や腰にぶつかった。

 いたい。

 身体を鈍いもので叩かれる痛み。凄く嫌な感じがした。その勢いのまま地面に肩をついた私の視界の端に、ちらちらと、白く光る何かが見えた。それは私の視野の中心に陣取ると、



「よかった、まだ無事みたいだね」



 はっきりした口調だった。また、私は驚いた。それは手のひらに立てるサイズの、ティンカー・ベルのような、白い衣服に身を包み、やわらかそうな羽を背中から生やした、妖精のような何かだったのだ。

 それは両手いっぱい、抱きしめるようにして抱えていたものを私の前に放り投げた。上半身を起こしてみると、それは白い――銃身のない拳銃のような形をした『ライター』だった。半透明の白いケースの中に、オイルのような液体がなみなみと注がれている。



「『変身』して」

「え」

「それを手に取って、スイッチを入れるんだ。それで君は『変身』できるから」



 白い妖精は私に一方的にそう言うと、わずか数メートル先にいる金属の怪物を小さな指で指し示した。



「あいつをやっつけるには、もう、それしか方法がない。『変身』して、あいつと戦って、やっつけるんだ」



 無我夢中だった。私は何も考えていなかった。言われるがままにそれを手に取る――ずっしりと、見た目以上に重たいそれを右手に持ち、立ち上がる。

 怪物はこちらにゆっくりと向き直り、もう一度、私に重たい腕を振り下ろそうとしている。



「スイッチを、入れればいいんだよね」



 返事を聞きたいわけじゃなかった。

 たぶんこれがスイッチだろうという部分を、人差し指で押し込んだ。すると、手の中で花火が弾けるような音と感触、激しい熱と光。手が吹き飛ぶかと思った。それは腕をのぼってきて私の身体じゅうに一瞬で広がった。

 服が、皮膚が、血液が燃えているようだった。熱い――でも、痛みを感じない。



「変身」

 するの?

 私が?






 眩しい光の向こう側で、大きく手を振りかぶる怪物の姿が見えた。咄嗟に左腕で受け止めた・・・・・

 そんな馬鹿な。

 衝撃が骨から足を伝わって、アスファルトが罅割れた。私の身体はびくともしていない。痛くもない。ちょっと力を入れて押し返すと、怪物はバランスを崩して、背中から地面に倒れ伏した。重たい地響きが、周囲にこだました。



「すごい……!」妖精らしき何かが、驚きの声をあげた。「そのまま、あいつをやっつけちゃえ!」



 言われるまでもなかった。いつの間にか右手に握っていた『ライター』は、真っ白な柄と鞘の日本刀へと姿を変えていた。左手で引き抜くと、それは文字通りの白刃となって、街灯の光をぎらぎら照り返していた。すごく、きれいだった。



 すぐ横の線路を、下りの列車が通り過ぎていく。立ち上がった怪物は怒りをあらわにするように、一層、赤い目の光を強くして、こちらに襲いかかってくる。身体が勝手に動いていた。刀を構えて、振り下ろされた右腕を一閃すると、重たい音を立てて腕が地面に落ちた。傷口からは、濁った油のような赤黒い液体が吹き出し、辺りを嫌な色に染めた。

 苦悶の叫びをあげる怪物の声は、思わず耳を覆いたくなるような金属音だった。



「うるさい」



 悲鳴と共に左腕で殴りかかってくるのをまた刀で切り落とすと、悲鳴がより大きくなった。



「うるさい――」



 なんだろう。この感じ。

 ああそうか、この感じ、私は初めてじゃない。怪物は両腕を失いながら、怒りに任せた様子で重たい足音と共に、アスファルトを蹴って飛びかかってきた。

 頭上に覆いかぶさって、押しつぶそうというのだ。

 街灯の影に隠れた私の視界が、一瞬だけ、暗くなる。今日は月も出ていない静かな夜だ。

 左手に持った刀で、心臓のあたり――これが人間ならだけど――を一突きにすると、怪物の身体からあの濁った油が大量に吹き出した。身体はバラバラになり、あちこちにその破片が散らばった。私の身体にも、それらが雨のように降りかかった。そのことがきっかけで私は、ようやく自分の服装が変わっていたことに気が付いた。中学の指定制服とは似ても似つかない、白くて、漫画の中から飛び出してきたような。



「すごいよ、きみは!」



 あの妖精が私の周囲を嬉しそうに飛び回っている。



「最初の戦いで、あの巨大なグローパーを倒しちゃうなんて」

「グローパー?」

「この怪物のことさ。最近、この辺りのあちこちに出没しているんだ。グローパーは人を襲う。見境なくね――それに対抗できるのはきみのような、力を持った人間だけだ」



 力。それを聞いて、私は左手に握ったままの白刃を見た。指先でなぞると、ちくっとした痛みと共に、指先から血が流れる。



「…………」

「ボクを遣わした人は、きみみたいな人間のことをこう呼んでいるよ。なんでも、それがこの風土には一番馴染んでいるんだろう?」

 その妖精はやたらと勿体ぶってから、得意げな表情で、

「魔法少女ってさ」

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