復讐したイジメっ子が改心していた

ムーン

復讐したイジメっ子が改心していた

死ななかったから生きてきた。

生存するためだけに生きてきた。


大学を中退したから学歴はなくて、引きこもっていたからバイトの経験すらなくて、そもそも他人が怖いから就職活動どころか電車にすら乗れない。

それでも何とか生活費は稼いだ。ネットを使えば部屋から外に出なくても稼ぐ方法はあるし、日用品や食品も買える。配達の人との数十秒の会話の時にはまだ手や声が震えてしまうけれど、それでも同じ人ばかりだったからマシになってきている。


今のところ、俺は生きてる。

夢も趣味も何もないけれど、腹が減るから生きている。

好きな食べ物なんてないけれど、体調を崩すのは面倒だからバランスよく食べている。

何も楽しくない。幸せなんてどこにもない。


病気や寿命で死んだ著名人や不慮の事故で死んだ見知らぬ一般人のニュースを見る度思う。



羨ましい。



死にたいなら死ねばいい? 大丈夫、部屋にはちゃんと輪っかを作った縄を用意している。いつでも死ねる。

でも首を吊る勇気を出すならある日突然車に轢かれた方が楽じゃないか。別にどこにも出ていない感情だ、不幸な故人に羨望を抱いても誰も何も言わない。ただ自分で自分をクズだと思うだけ。


どうしてこんな人間になったか?

簡単な話だ、イジメだ。よくある話だろ。

鞄や上靴や制服や、何度買い直したか分からない。

風呂に入る度に傷が痛んで、毎日眠る前に目覚めませんようにと祈って、毎朝毎朝通学路にある踏切で迷っていた。


高校を生きて卒業できたのは奇跡だと思う。

第一志望の大学に受かったのも奇跡だった。

大学では虐められなかったし、物を盗まれたり隠されたりすることもなかった、陰口すらなかった。でも、それでも、ある日突然体が動かなくなって大学を辞めた。奇跡は多くは起こらないのだ。



で、本題。

俺を虐めていた連中は高校卒業後散り散りになって居場所が分からなかったけれど、なんとこの度そのグループのリーダー格を見つけた。

そこそこな人気の動画配信者らしい、マスクを着けていたけれど分かった。見た瞬間に脳より先に体が反応した。震えに発汗、動悸がなかなか治まらなかった。


俺は早速押し入れにしまい込んでいたイジメの証拠を引っ張り出し、片っ端から写真を撮った。嫌な思い出の品だったけれど残しておいてよかった、狙ってはいたけれど本当にチャンスが巡ってくるなんて思わなかった。


奴の土俵のSNSや動画サイトじゃ俺が炎上するだけだ、デマだとか何だとか言われて消えるだけ。

だから匿名掲示板にアップした。奴のファンは居ないだろうし、掲示板の連中は奴のような男を嫌う者が多い──と思う。何よりデマだろうが何だろうがとりあえず面白がってくれる連中だ、それなりの話題にはなるだろう。


ズタズタに切られた制服に、破壊された上靴、落書きされ破られた教科書に、机に突っ込まれた手紙類。

それを卒業アルバムの奴の写真と共にアップ。

当時の思い出を数時間語って就寝。



翌朝、想像以上の反響があった。

俺が居ないのにスレッドはどんどん立つし、まとめも増えていく。胡散臭いサイトがニュースとして喧伝している。

当然奴の味方も居る、囲いや信者と呼ばれる連中は予想通りデマとしてブチ切れてきている。きっと奴にも届いていることだろう。火消しにかかるか、放置するか、奴の動きを待ってみよう。


今日の分の仕事を終えて、俺が起こした一件を一番面白がっているまとめサイトを覗く。スレッドの増え方が異常だ、ドーナツの真ん中……には流石に劣るか。

少し遡ってみると、奴が昼にこの件に関しての動画を出していたことが分かった。


俺はそれについてのスレを見る前に動画を見ることにした、奴の顔を見て奴の声を聞くなんて考えただけで虫唾が走るが、奴がみっともなくシラを切るところが見たかった。

登録者の不安を煽るだろう黒バックに白文字のサムネイル。これまでの動画の再生数との違いに驚きつつ、クリック。


『……えー、今回の件に関して、俺……ぁ、いや、私からの説明を……』


嫌な声だな、イヤホンはやめておくか。


『私が学生時代にイジメを行っていたというのは』


事実無根でございます?

全くのデマです?

真っ赤な嘘です?

さぁ、どうくる、さぁ、学生の頃と変わらない狡猾さを見せて俺の復讐心を燃やしてくれよ、俺に生きる意味を与えてくれよ。


『全て事実です』


「は?」


『俺と……えっと、友人三人、計四人で、一人の同級生をイジめていました』


何言ってんだこいつ。


『…………酷いことをしました。犯罪……ですね、そうです、暴行とか……器物破損とかになるのかな』


待てよ。


『……馬鹿だった、幼稚だったとしか言えません。後悔しています』


どうして……あぁ、いや、そうか、反省しているフリをして逃れる気か。

炎上は炎上だが、これだけ真剣な顔を作れたなら「過去の過ちを認めて反省できるなんてステキ」なんてバカも生まれる。ファンは確実に減るが、残る者は根強い。この炎上が宣伝になった部分もあるだろうし──クソ、ちくしょう、やっぱり勝てないのかよ。


『申し訳ありませんでした……』


奴が見切れる。土下座をしているらしい。

カメラの角度にはもっと気を使えよ、そんなだから三流なんだよ。


「えっ……?」


数秒間頭を下げて、顔を上げた奴の顔にマスクはなかった。

外した? 何のために? 外れたのなら編集するはずだ、生配信でもないのだから。

何をしているんだ? 卒アルを晒されたからって隠す必要がなくなる訳じゃないだろ? 外を歩けなくなるぞ?


『皆様に……何より、イジめた──君に、心からの謝罪を……』


俺の名前はしっかり伏せられている。ピーッと電子音が鳴っていた。俺の名前なんか覚えているのか? どうせ忘れているだろう。伏せられなくては困るけれど、伏せられてはその確認はできない。

最後に再びの謝罪の言葉と土下座があって、動画は終わった。


「…………ふざけんなよ」


俺は早速新しいスレを立て、まだ書き込んでいなかったイジメエピソードを思い出せる限り語った。

本人降臨だとか、AAだとか、反応は上々、上々過ぎてスレを幾つも跨いだ。

動画の内容でのムカつきが少し薄れて、その日は風呂に入って眠った。


朝起きてすぐに奴のチャンネルを覗いたけれど、新しい動画はなかった。流石に昨晩の新しいスレへの反応はまだらしい。

しかし昨日の動画で一件を収束させられてはたまらない、どうにかあの反省は演技だと暴いてやりたい、奴のファンを根こそぎアンチに変えてやりたい。


しかしいい案は思い付かず、とりあえず朝飯を食おうとパンを焼いた。

テレビを点けると煽り運転のニュースをやっていた。高速道路で前の車が止まったかと思えば運転手が降りてきて怒鳴っている……


「減らねぇなぁ……」


煽る奴ってニュース見ないのかな?

そんな素朴な疑問を抱き──ふと、名案が浮かんだ。

俺の部屋にあるテレビそのものは小さいが、ニュース番組のスタジオにあるスクリーンは大きい。しかしドライブレコーダーの映像の画質が悪くて映っている者の顔が分からない、なんてことにはなっていない。


使える。


俺は早速兄に電話をかけた。


「……も、もしもし? 兄さん? あの……車、貸してくれない?」


『え? お前乗れたっけ?』


「ぁ……の、乗れない」


『……どっか行くのか?』


「し、知り合いに、会いに」


『会うような知り合い居たのお前』


どう言えばいい? どう言えば車を貸してもらえる?

兄とは数年間会っていないし、電話も数ヶ月ぶりだ。兄はどう言えば俺の頼みを聞いてくれる奴だった?


『てかさ、今すげぇ炎上してるやつ、配信者の。アレお前の同級生じゃなかった?』


「……ぇ、と……」


『やっぱ悪いことすると返ってくんなー、アイツお前以外にもイジメやってたんだな』


「………………いや、俺が、その」


『……え? 書き込み、お前?』


肯定の返事をし、俺は正直に車を貸して欲しい理由を話した。


「お、俺が言うところに停めてくれたら、兄さんは喫茶店でも行っててくれていいし、その金とガソリン代は出すし、車に傷は付けさせないから」


『…………おっけー』


電話の向こうで兄がニヤリと笑っているのが分かる、話すうちにどんな人間だったか思い出してきたようだ。


「ひ、日にち決めたらまた電話する」


次は奴に連絡しなければ。奴が乗ってきてくれなければこの作戦は始めることすらできない。

奴が活動しているSNSの捨てアカを作り、DMを送る。


『こんにちは』

『イジメについて書き込みをした者です』


数分待つと返事が来た。俺の名前にハテナマークを付けただけの返事だ。


『そうです』

『動画見ました』

『反省しているんですね』


次だ。次で決まる。

さぁ、乗ってこい。罠にハマれ。


『直接謝って欲しいので、会えませんか?』


『是非』

『と言いたいところなのですが。。。』

『本当に本人ですか?』


名前はデタラメだしアイコンも初期設定、名前を出したのも向こうから、そりゃ信用されない。

俺はとりあえずイジメグループ全員のフルネームを挙げてみた。


『本人確認になりますか?』


『分かりました』

『信じます』


同級生なら大抵分かるだろうに、馬鹿かコイツ。


『会えますか?』


『近いうちに』

『どこに住んでいるんですか?』


家なんか教えてたまるか、県すら嫌だ。

俺は兄の家がある街の名を挙げ、ここに来いと送った。


『分かりました』

『いつですか?』


『いつでも大丈夫なら、明後日で』


『大丈夫です』

『分かりました』


奴とのやり取りは終わりだ、冷や汗をかいた、風呂に入ろう。

風呂を上がったらもう一度兄に電話をかけ、奴とのやり取りについて話した。勝手に兄の家がある街を待ち合わせ場所にしたことを怒られたが、概ね順調だ。


そして明後日、兄が家まで迎えに来た。


「ひ、ひっ、久しぶりっ、に、兄さん……ドラレコ、ある?」


「こないだ買ったばっかの最新式だ、車内までバッチリ撮れる」


助手席に乗り、外の景色から目を逸らし、ラジオに全意識を集中させる。


「お前こんなとこで一人暮らしで大丈夫か? うち来てもいいんだぞ」


「と、ととっ、父さん、居るし、母さんもっ、居るし……兄さんの、家族もっ、居るし」


「……家族でもダメか?」


「お、おっ、俺なんか、いたら、娘の教育に悪いだろっ……父さんは俺嫌いだしっ、母さんは俺見たら泣くしっ……」


「まぁなー……いくら引きこもりだからって、一人で暮らせてるんだから俺はいいと思うけどな、父さんも母さんも古いからなー……」


話したくない。

ラジオの音量を上げた。


「…………美味い店あるんだよ、終わったら行こうな、個室あるから」


「ん……」


「……もっと連絡してこいよ、メールでいいから」


「ぅん……」


高速を越えて兄が住んでいる街に到着。兄に人通りの少ない道をいくつか提案され、一番良さそうな場所の住所を奴のDMに送った。


「じゃ、じゃあ、兄さんはどこかで時間潰してて、終わったら連絡するから」


「おっけー、早めに終わらせろよー?」


ケラケラと笑って兄は細い路地に入っていった。

運転席に座ってしばらく待つと奴らしき男が現れた。ドライブレコーダーを再度確認し、マスクとサングラスと帽子で顔を隠し、車を降りた。


「…………ぁ」


声が出ない。足が竦む。手が震える。寒い、怖い、冷や汗が止まらない、寒いっ……!


「──君?」


名前を呼ばれて総毛立つ。

声は出なかったが首を縦に振ることはできた。

この後の奴の行動が怖い。俺を殴るところを撮るために来た、その映像をアップして炎上させるために来た、けれどやっぱり痛いのは怖い。


「…………本っ当にごめん!」


「………………ぇ?」


バラしやがってと、お前のせいで炎上したと、殴るはずだろ? まさかコイツもカメラを?

「イジメた奴に謝ってみたwww」とかアップする気か? 冗談じゃない、何度も利用されてたまるか、どうにか煽って怒らせなければ。


「ごめんっ……謝って許されることじゃないって分かってるけど、それでもごめん! 写真見て、あれ読んで、自分が何やってたかもうホント怖いくらいでさ……」


「…………ぉ、おっ、お前のせいで、俺……色々」


怒らせなければ? どうやって? まともに声も出ないのに。

俺はとりあえず袖を捲り、右腕に残ったタバコの痕を見せた。


「……俺、こんな……ごめん、本っ当にごめん、いい病院探すから、治療費も全額出すし、ちゃんと治るように──」


左腕のリストカットの痕も見せる。これは自主的にやったものではない、やらされたものだ。


「………………ごめん」


「……ちっ、治療費、とかで、チャラになるとっ……おも、うな……」


「分かってる。慰謝料とかだよな? ちゃんと払うよ」


「そっ、そんなんじゃ、ないっ……金の問題じゃ……」


「土下座でも何でもする、今ここででいいよな?」


撮っているのに土下座なんかされては困る。


「そんなのしなくていいっ! ぇ、と……えっと、お、おっ、俺っ……は、えっと」


どうしよう。何を言えば奴は俺を殴る? どうすればその瞬間を撮れる?


「……ぉ、お前のっ、せいで、人がっ、怖くなって、大学……行けなくなった」


「あ……それなら、カウンセリングとか受けろよ、いいとこ探すから。それもちゃんと俺が払うから」


「そのせいでっ、就職もできなくてっ……」


「俺も今回の件でクビだからさ、地元帰ろうと思ってて……知り合いのおっちゃんの工場雇ってもらえることになったから、よかったら……その、一緒にどうだ? 資格とか要らねぇし、人と話すようなんじゃないし……」


早く殴れよ。しつこいって、何でもかんでも俺のせいにするなって、怒鳴って殴って蹴ってそれを晒されて社会的に死ねよ。


「…………ごめんな、本当に……俺あの時受験のストレスとかでどうかしてて」


「……受験なら俺も一緒だよっ! お前の大学俺が受けたのよりずっと下だろ! 勉強なんかしなくても入れるとこだっただろ!? しかも大学なんか何にも関係ない配信者なんかやってさぁ!」


これならどうだ、流石にこうやってバカにされたら怒るだろ?


「…………お前頭よかったもんな、多分それも気に入らなかったんだ……ホントごめん」


「ストレスがあったら、気に入らなかったらっ……人殴っていいのかよ」


「よくない……ごめん、ホントごめん、分かってなかったんだ、ガキだったんだよ」


「人を全裸にして校舎中引きずり回すようなのガキがどうこうで片付くと思うなよ! どう育ったらあんな中世の拷問みたいな真似できんだよ、どうせ親もお前みたいなクズなんだろうな!」


喉が温まってきた。

流石に親を出されたら怒るだろう? 家族と仲間は大事だろ? 野生動物みたいな生態してるだろ?


「…………ごめん」


奴が一歩前に出た。とうとう拳を振るかと身構えたが、また一歩前に出た。頭突きか何かかと混乱していると奴は腕を広げ、俺を強く抱き締めた。


「……ごめん、本当に、ごめん」


それしか言えないのか、そう怒鳴ることもできないくらいに硬直してしまった。

怖い、怖い、ダメだ動けない、体が動かない、意識が飛びそうだ。


「……離れろクソ野郎っ!」


奴が引き剥がされた──かと思えば道路に転がっていた。


「大丈夫か! 何された! 怪我は!?」


「に……さ、ん……?」


「お前……すごい顔色悪いぞ、もう車乗れ!」


どうして? 兄は喫茶店で時間を潰しているはずなのに、まだ終わったと連絡していないのに、どうしてここに居るんだ?


「……だ、誰だアンタ」


「俺はこいつの兄貴だよ! クソ野郎っ……ずっと、こうしてやりたかったんだ!」


座り込んだ奴の顔面に兄の足がめり込んだ。アスファルトに血と歯が落ち、俺に似た思い出を反芻させた。


「クソっ、クソ、ちくしょうっ……なんで俺は寮なんか……おい行くぞ! 早く乗れ!」


兄に腕を引っ張られ、助手席に押し込まれる。奴を避けて直進する車は制限速度ギリギリで走った。


「……大丈夫か? 病院行くか?」


首を横に振り、自分を抱き締める。

震えも発汗も動悸も治まらない、失禁までしそうだ。


「にっ、に、兄さんっ、なんで、居たの」


「やばそうだったら止めるために隠れてたんだよ。良さげなとこまで撮ったら一発殴ってやろうと思ってたし」


隠れていた?


「……お前が相談してくれてたら、学生の頃だって同じことしたのに」


「に、兄さん、滅多に帰ってこなかったしっ……」


四人全員を相手にすればいくら歳が離れていても適わないし、たとえ一発殴ったとしても寮に入っている兄をアイツらがずっと恐れたとは思えない。

兄に相談していたってイジメは終わらなかったし、きっと酷くなった。大人しくしていたのが一番良かった、そうじゃなきゃ俺に非があるなんてふざけた話になる。


「…………父さんもっ、母さんも、俺がどんなカッコで帰ってきても何も言わなかったし、俺の話なんか聞いてくれなかったし、兄さん帰ってきた日は兄さんばっかで俺は兄さんとは話せなかったし……」


俺は悪くない。

俺は被害者だ。

俺の周りの奴が全員加害者だ。


「……そうだったな」


「どうしようもなかった! どうしようもなかったんだ! やりようがあったならやらなかった俺が悪いみたいじゃないか! 俺は悪くない、俺は何にもしてない! 何にもできなかった!」


「あぁ……そうだ、そうだな、悪かった、兄ちゃんが悪かったよ、ごめんな……」


「謝るなよっ! 恨めないだろ、復讐できなくなるだろ! あの頃みたいにふんぞり返ってろよぉっ! せっかく炎上させてやろうと思ったのに、逮捕させてやろうと思ったのにっ、社会的に殺してやるはずだったのに……!」


兄と会話していたはずなのに、俺はいつの間にか奴を怒鳴っていた。

その日は兄が言っていた店には行かず、自宅まで一直線に送ってもらった。車を出してもらった礼だけ言って自宅の扉を閉めて、玄関に座り込んで泣いて、そのまま眠った。



翌日から俺は奴のSNSも動画も見ず、掲示板もネットニュースも見ず、仕事だけをして暮らした。

復讐は失敗した。また生きるためだけに生きる日々が始まる。父母に蔑まれているのを連絡の無さで感じて、兄に気遣われているのを連絡の多さで感じて、死者に羨望を抱えて生きていく。

兄からの着信を無視し、メールも読まずに、とうとう鳴ってしまった呼び鈴を無視し、扉を叩く音や俺の名を呼ぶ兄の声に耳を塞ぐ。そんな日々が続いた。


ある日携帯に来た通知を見れば、兄からのメッセージ。

開かずとも見れる通知には「生きてるよな?」とだけあったので、家に強行突入されてはたまらないから「生きてる」とだけ返した。それきり連絡は奴を見つける以前の頻度に下がった、一週間に一度生存確認をメールでするだけに。


数週間ぶりにテレビを点けると昼のワイドショーだった。特に興味はないのでチャンネルを変えるか電源を消すかしようとリモコンを持ったが、ニュースの内容を見てやめた。


ニュースの内容は奴の炎上騒ぎについてだ。テレビで取り上げられるような配信者ではなかったが、原因がイジメということでネタに困っていたのか拾われてしまった。


『──ということで、学生時代のイジメが原因で……』


フリップを見ていると、俺の卒業アルバムの写真が貼ってあるのに気付いた。どうして……俺は自分の写真はアップしていない、まさか奴が? それともイジメグループの他の奴? 傍観者共?

名前は……イニシャルだ。きっとネットには本名が出ている。


『また内容がねぇ……いやぁ惨いっ、ドラマでも見ませんよこんなの本当にあるんですねぇ』


フリップにあるのは俺と奴の人物像に顔写真、そして俺が掲示板に書き込んだイジメの内容と、俺に成りすました奴が書き込んだだろう嘘のイジメの内容。


『…………でもまこうやって何年も後に書き込むようなくらーい奴だから虐められたんでしょうねぇ』


失笑、そしてコンプライアンスを注意するボケ、また笑い。

何? 俺のイジメも俺の復讐も笑いの種でしかないの? あぁそりゃお笑いだろうさ、失敗したんだから。


「……っ、ぁああああっ!」


掴んでいたリモコンを投げると液晶は割れ、たった今大嫌いになった司会の顔がブレた。

壊れたテレビを見てすぐに頭に浮かんだのはテレビの値段だったが、まだ大嫌いな司会の声は出ていたのでコードを抜いてやった。


「片付け………………今度でいいや」


寝室は別だし、仕事道具のパソコンも寝室、食事のスペースまでは破片は飛び散っていないし、もうテレビは見ないからどうでもいい。


あの放送で一般的なイジメへの考えというのを改めて認識した。

加害者が十割悪いなんて口だけだ、誰もそんなこと思っていない。

暗い奴は、気持ち悪い奴は、虐めていい。誰も口には出さないけれどそれが常識なんだ。

きっとイジメは楽しいんだろう、だから消えないし、心から撲滅を願う奴はそんなに居ない。イジメの加害者を叩くのは羨ましいからだ、世間体を考えてできなかった楽しいことをやってのけたそいつが羨ましいんだ。

弱肉強食だって、心の中で思ってる奴は結構居るんだ。


俺は消していなかった捨てアカにログインし、再び奴に連絡を取った。治療や就職のことに関して話したいと、兄が殴りかかって申し訳なかったと、同じ場所で会いたいと送った。

すぐに返事が来て、日にちを決めた。



そして奴に会う日になった。

俺は震える手で切符を買い、肩に触れる見知らぬ人達に怯えながら、優しい人に顔色と発汗を心配されたりもして、電車を乗り継いで兄が住んでいる街にやってきた。

地図アプリでスポーツ用品店を探し、厳つい店主に怯えつつ甥っ子のプレゼントにと金属バットを購入。

兄が隠れていたと思われる物陰で奴を待った。


数十分の間人通りはなく、奴がやってきた。

奴はキョロキョロと首を回し、ポケットから携帯を取り出した。俺にメッセージを送るつもりだろうか、暇潰しにゲームでもしているのだろうか。どっちでもいいが、俺に背を向けて立ったのが運の尽きだ。


音を立てないように忍び寄り、バットを振り上げる。影で俺に気付いた奴が振り返ったが、構わずにバットを振り下ろした。


「……っ、ぐ……ぁ……」


側頭部に打撃を受けた奴が倒れる。俺はすぐに後頭部を殴打した。


「死ねっ……! 死ねっ、死ね、死ねっ……死ねぇっ!」


背骨を狙って何度も殴った、首を狙って何度も殴った。


「はぁ……はぁっ、はぁ……」


呻き声を上げ、手をピクピクと動かしている奴を見下げ、少しも気が晴れないことに疑問を抱いた。

スッキリすると思ったのに、弱肉強食なら俺が食ってやろうと思ったのに、イジメは楽しいことだったはずなのに、何も楽しくない。

不意に呻き声が俺の名前であることに気付き、顔の近くに屈んで虚ろな瞳に映ってやった。恨み言が聞けると思ったんだ。


「……ご、め……ん」


「…………なんで謝るんだよ」


謝らなかったらこんな事しなかったのに。

炎上させて社会的に殺して、あぁスッキリしたで終わりたかったのに。


俺はバットをその場に捨て、救急車を呼び、走って駅に向かった。

家に着く頃には暗くなっていたが、警察が先回りしていたなんてことはなく、出た時と変わらない家に出迎えられた。

鍵をかけ、チェーンもかけ、寝室に飛び込んだ。

床に落ちていた縄を拾い、ドアノブに引っ掛け、首吊りの準備を進めていると電話が鳴った。恐る恐る見てみれば兄からだ、生存確認はメールだったはずなのに、電話なんて珍しい……最期だし出ておこう。


「……もしもし? 兄さん、何?」


「…………なんでもない」


「……は?」


「いや、なんか……かけなきゃいけない気がして」


「何言ってんの……切るよ」


奴のことではないのか。


「待て! なぁ、約束してた店、予約したからな。絶対行くぞ、明後日だ、いいな?」


「急だね……分かった」


「…………予約したんだから、絶対だぞ」


「うん、もう切るね」


電話を切り、しばらく待ってみたが再びかかってはこなかった。

虫の知らせ? 兄弟の絆? 勘のいい人だ。

明後日……か、どうしようかな。とりあえず今日は寝よう。



翌朝、ネットニュースを流し読みしていると奴の記事を見つけた。

路上で襲われて重体、障害が残るだろう……と。


「…………やった!」


ここに来て狙い通りだ。脊髄を狙ってやった。願わくば全身麻痺、次点で半身不随、せめて死亡──その狙い通りだ。詳しい症状までは載っていないが狙い通りだ。

犯人の目星もついているようだ、バットは買った直後だし当然だな。指紋もべっとりついていることだろう。


俺は帽子とサングラスとマスクで顔を隠し、電車に乗り、兄の家に向かった。

兄は驚いていたが俺を別の店に連れていってくれた。個室で、とても美味しくて、改めて兄は敬愛すべき人だったんだなと認識した。


「美味しかったー! ありがと、兄さん」


「あぁ……うん、なぁ、今日泊まってくか?」


「うぅん、帰る。明日また来るよ」


「そっか……」


兄は俺が犯罪者であることを知っているのだろうか?

その話題は食事中には出さなかった、電車に乗れるようになったんだななんて褒められた。


「……明日の店はもっと美味いからな、寝坊せずに来いよ」


「分かってるって」


「………………笑えるようになったな、よかった」


「何泣いてるの……大袈裟だなぁ。じゃあね!」


「あぁ、また明日!」


駅前で別れ、改札を通り、ホームのベンチで兄にメールを打つ。

明日の店は家族の誰かと行って欲しいこと。

絶対だと約束したばかりなのに反故にする謝罪。

これから犯罪者の家族として扱われることへの謝罪。

明日以降迷惑をかけることへの謝罪。

そして、今までありがとうと、心の底からの感謝。

メールを送信した直後、特急が通り過ぎる知らせが響く。


俺は慌ててベンチを立ち、線路に飛び込んだ。

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