第3話 鬼、第一関門に挑まんとす。
★
――すえた臭いが鼻につく。
自然石を組み合わせて作られた均一でない階段を一歩一歩確かめるようにして踏み締めながら、大竹丸はその端正な顔をしかめていた。
「ダンジョンに掃除を求めるのは酷かもしれぬが、もう少し清潔には出来なかったものか……」
「うひゃあ!」
「どうした、小鈴?」
「壁に手をついたらぬるっとしたぁ!」
「岩壁を伝って水が流れておるようじゃ。壁だけでなく足元にも気を付けよ」
「う、うん」
事実、小鈴が持つLEDランタンの明かりは足元の階段がしとどに濡れていることを白色の光を以て教えてくれる。それに加えての淀んだ空気は物の痛みや腐敗を加速すること、この上無しだろう。今はまだ一直線の階段も街灯のような便利な明かりは存在せず、一寸先は闇のような状態だ。一歩道を外れた暗闇の先に『何かが朽ちていた』としてもおかしくはない。
それが分かるからこそ、大竹丸は小鈴を気遣ってゆっくりと歩を進めるのであった。
「あの、タケちゃん? 私が前に出ようか?」
さわさわと水の流れる音だけが続く空間に耐えられなかったのだろう。小鈴が恐る恐るそんなことを尋ねる。
だが、大竹丸がその意見を肯定することはなかった。
「そのランタンとヘルメットの明かりを持つが故に先行するというのなら止めておけ。妾の夜目の方がよっぽど遠くまで見渡せるからのう」
「そうなんだ」
「ほれ、そろそろ階段も終わるぞ」
「え? ……あ、本当だ」
小鈴がランタンの明かりを向けると、確かに灰色の石畳が見えていた。延々と階段を降りるようなギミックのあるダンジョンではなくて一安心である。
「じゃが、周りには明かりを向けるでないぞ。色々と見たくないものも見えるじゃろうからな」
「ゴメン……。見えちゃった……」
階段を降りると、そこは円形の空間が広がっていた。まるでパンクラチオンの闘技場のような空間に物珍しさが手伝って、小鈴はついつい明かりを向けてしまったのだ。
そこには、大竹丸たちが降りてきた階段と同じような出入口が複数並んでおり、その手前の石畳には同じように迷い込んできたのか、半ば白骨化した動物たちの死骸が複数転がっていた。
「何で死んじゃっているのかな……?」
「出口が無いからじゃろうな。ほれ」
大竹丸が降りてきた階段に向かって、その場で拾った小石を投げると、金属製の打楽器を叩いたかのような甲高い音が響いて光の壁が一瞬だけ白く浮かび上がる。
「行きはよいよい帰りは怖い、か。恐らく、一方通行でしか通れぬ結界術の一種であろう」
平然と言い放つ大竹丸であるが、それに気付いていなかった小鈴の動揺は大きい。
「ど、ど、どうしよう!? 私たちダンジョンの中に閉じ込められちゃったよ!?」
「案ずるな。出口へのヒントならば、ほれ、目の前にあるじゃろう?」
「え? え? え? あ、本当だ」
小鈴がLEDランタンを翳すと、すぐ目の前に不気味な装飾がなされた銀の扉が立っているではないか。両開きのそれは、まるでその空間に固定されたかのようにどっしりとその場に佇んでいる。
「何か、おどろおどろしいデザインだね。死神と髑髏が重なりあって、まるで地獄の門へと通じているみたい……」
「ふむ。これで動物たちが死んでいた原因も推察出来るのう。恐らくは、このダンジョンは鈴鹿山の周辺にその入り口を複数持っておるのじゃろう。そこに動物たちが迷い込み、此処に来るに至ったが最後、扉を開けて先に進むという発想が無かった為に、此処で朽ち果てて死んだ、と。まぁ、妾たちは扉を開ける故、こうはならぬだろうがな」
「……開けちゃうの?」
「むしろ、開けぬと進めぬであろう?」
さも当然とばかりに大竹丸は言う。むしろ、小鈴が何を不安がっているのか、その理由が分からない。
「でも、不気味なレリーフが彫ってあるし、絶対ろくでもないことが待ち構えていると思うよ?」
「そうは言っても、帰り道が塞がれているのじゃから進むしかあるまい」
「うぅ、嫌だなぁ……」
暫しの逡巡の後、心の迷いを断ち切るかのように小鈴は気息を整える。そして、
「臨・兵・闘・者・皆・陳・列・在・前……!」
「心を落ち着ける為の九字印か。悪くない選択じゃのう。小鈴も成長したものじゃ」
「ふー……。――落ち着いた。タケちゃん行こう」
「うむ。いざ、参らん」
ぎぎぃと軋む扉を両手で押し開きながら、まずは大竹丸が扉の先に飛び込む。その後を追うようにして飛び込んだ小鈴の片手には、まるで命綱のように小通連の柄が握られていた。
「何もおらぬようじゃが?」
「な、なんだ……。警戒して損しちゃったよ……」
そこは、先程までの瘴気すら感じられる円形の空間とは違い、寒々しいくらいに静謐な空間であった。LEDランタンの明かりでも見通せぬ程の広大な闇が広がり、物音ひとつしない様は生物の存在自体を否定するかのようだ。
とりあえず、モンスターハウスのように大量のモンスターに囲まれなかったことを安堵する小鈴だが、それも長くは続かなかった。
「ようこそ、オイデマセー……。我が主のダンジョンに……」
「ひぃっ!?」
その存在は一体いつからそこにいたのか、それとも暗闇に目が慣れたから見えるようになったのか。闇に浮かぶようにして白い仮面が大竹丸たちと対峙する。
「ほう、ピエロか。生で見るのは始めてじゃのう。奇術でも見せてくれるのか?」
大竹丸の言う通り、その仮面は普通のものではない。半面が怒りの表情、半面が泣きの表情で別れており、実に統一感の無い……だからこそトリックスターとして成り立つのであろう存在であった。仮面はゆっくりと傾き、軽く礼をしてから喋り出す。
「まずは、ボクちんの自己紹介を……。ボクちんは
「!? タケちゃんっ!?」
小鈴が悲鳴のような声を上げる。
殺人道化師の長い口上には、恐らく意識を逸らす意味合いもあったのだろう。気付いた時には暗闇から滲み出るようにして現れた湾曲した刃……恐らく鎌……が背後から現れ、大竹丸の首にピタリと掛かっていた。気配も、存在も、全てが希薄な鎌の刃はまるで鶏の頭を落とすかのように、すっと大竹丸の首に沿って引かれる――。
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