東へ向かう亀

きてらい

東へ向かう亀

ザザザザ……


前も後ろも海、海、海。この大海原の上を何日進んだだろうか。

ボートは進み続けるが、一向に何も見えないでいる。

食糧の残りは少ない。明らかに補給が必要だった。しかし次そんな場所にありつけるのは一体いつになるだろうか。

「この前泊まった村でもう永住しちまえばよかったかな……」

しかし後悔先に立たず。いや、後悔などしていない。

まだ見ぬ新天地を求めて、自分は旅立ったのだから。


しかし覚悟はしていたが、それでも腹の虫が鳴る。ボートの曳き手に働いてもらえなくなったらいよいよおしまいだ。それだけは避けたい。

そんなことを考えあぐねていると、ふと、濃い霧が出てきた。くそ、こんなときに天候不順か。


船を止めるわけにはいかないので構わず霧の中を進み続ける。一体これはいつ抜けるのだろう。新天地を探さなくてはいけないのに。これでは何も見えないではないか。

すると、霧の中に、何か影が見えた。

あれは何だ。別の船か。いや、それらしい音は聞こえない。

じゃあ何だ。陸地か。いや、そんなはずもない。

正体を見極めるために影が見えた方角へそっとボートを寄せる。おかしいな、この辺に見えたはずなんだが。きょろきょろとあたりを見回すと、そこに、なんとも奇妙なものがあるのを発見した。


海の上に、梯子がはるか空から垂れ下がっていたのだ。


何だこれは。こんなものは見たことがない。上には何がいる。人か、怪物か。もしかしたら梯子をのぼるとそこには優しい人たちが何人もいて、食料にもあり付けるかもしれない……などと考えてはみたものの、正直、何の保証もない。腕を組んでしばらく悩む。

しかし補給できるチャンスなど空恐ろしくなるほどに希なのだ。これを逃したら二度と遇えないかもしれないのだ。そう考えるとこれを逃すわけにはいかない。

上に何がいようとも、それを辿るほかに手は無かった。


梯子を登った先にあったのは、驚くべき光景だった。


家が立ち並んでいる。人が歩いている。海の上を旅していたはずなのに、一体どうしてこんな場所があるのか。

やがて人がこっちに気付いた。

「誰かやってきたぞ」

「本当か」

「新しい仲間か」

「もてなせもてなせ、目いっぱいだ」

「今日は宴会だ」


あっけに取られていると、霧が晴れてきた。ぼやけていた全体像が、ゆっくりと判然としてくる。

小高い丘、いや、甲羅のアーチ。立っている足場はその上に整備されていた。右手に見えたのは巨大な頭。左手に見えたのは巨大な尻尾。

自分は、巨大な亀の背中の上に立っていた。

後ろを振り返る。あの梯子は甲羅の横の端から垂れ下がっていたのか。


そうこうしているうちに村人と思われる人らにたちまち囲われてしまった。

「歓迎するよ、この村へようこそ」

「君どっから来たの」

「大変だったでしょここまでくるの」

「いくらでも美味いもん食わせてやるからな」

「今夜はゆっくり休みな」

勢いにまくしたてるので戸惑いながら連れられると、村の中央の集会場で飲めや歌えの宴会が始まった。新参にはそうする決まりらしい。


「もっと飲め、飲め、いくらでもつぐから」

「もしかして兄ちゃんこういうの苦手か」

「いやあ、いきなりで戸惑ってるだけ……」

「ハハハハそうかそうか」

空腹は最高の調味料と言うが、それを差し引いても出された食事はべらぼうに美味しかった。正直、今まで食べた中で一番かもしれない。

彼らの熱気にさすがに気疲れしてしばらく外の空気にあたることにした。集会場では村人だけでも大いに盛り上がっている。よっぽどお祭り好きな人々らしい。

すると後ろから、村長だけがひょこっと付いてきてくれた。

「ああいうのは嫌いかね」

「いいえ、むしろ好きですよ。少し疲れてしまっただけで」

「はは、ゆっくりするとええ」

ちょっと村の散歩でもしてみようかと、と村長に伝えると、村長は「ぜひ見せたい物がある」といって案内を申し出た。


連れられたところは亀の顔辺りに作られた足場の上。

そして村長はこの村と巨大な亀の成り立ちを説明し始めた。

「昔、東から西へ向かって全てを押し流す大波があったのはご存じじゃろう」

「ええ、あれには俺の故郷も巻き込まれかけました」

「この村もそれに巻き込まれて、危うく西まで流されてしまうところじゃった」

「ははあ」

「そのとき村人総出で用意したのがこの東に向かって泳ぐ巨大な亀じゃ」

確かにコンパスを見るとこの亀は、東に向かって泳いでいた。

「村を丸ごと乗せてこの亀が窮地を救ったんじゃな。今ではもう大波も収まり本当はいくつか錨を沈めておくだけで十分なのじゃが……その後も村の人々はこの亀と生きていくことにした。今では村の守り神のような存在として親しまれておる」

「そんな過去があったのか……」

「君も餌やるかね」

「いえ、いいです」

村長は巨大な亀の餌を口に放り込んで与えた。すると亀は少し泳ぎを速めた。


集会場に戻ると宴会の続きに加わった。

村人たちと、この村の名所や特産の話からこれまでの自分の身の上まで様々なことを話す。

「するってえと兄ちゃん、この村もしばらく留まったらまた次の場所に向けて発っちまうってことか」

「いやあ、どうかな。俺は新天地を求めて旅していたんだ、着いた場所が性に合うようならそこに永住するつもりで旅してきた」

「この村はどうだ」

「ああ、ここが自分の求めていた場所かもしれない」

宴会は夜まで続き、やがてみんな酔いつぶれて寝てしまった。


夜中、何か嫌なうなりを感じて目が覚める。他の村人たちはまだ気付いていない。寝ている彼らの体を避けて外に出ると、暗闇の中でやはり不吉な音がした。ゴゴゴゴゴ、という海のうねり。

まさか。昼間村長から聞いた大波の話を思い出して亀のあたまの方へ向かう。

辺りを見回して海の様子を見るが、波が激しく打ち付けているような様子はない。むしろ流れが亀の頭から離れていくように……

はっとして尻尾の方へ向かった。まさか。まさか。

大波が亀の後ろに打ち付けている。激しく飛沫が上がって顔にかかる。顔が蒼白になった。

「西から東へ向かう……大波……」

村長も気付いて起きたらしい。

「なんじゃ、この音は何事じゃ」

「大変だ、西から東へ向かう大波だ」

「なんじゃと……」

村人たちも続々と起き上がった。あの大災害を思い出し、半ばパニックになって騒いでいる。

自分は村長に向かって言った。

「おい、どうにかしないとまで流されるぞ」

「分かっておる」

「亀の向きを変えろ」

「それは無理だ、不可能なんじゃ」

「じゃあ早くこの亀を殺せ!まだ間に合う」

「お、おう、そうだな……よし、聞け、みんな聞けえっ」

しかし、村人は耳を貸さない。亀にありったけの餌を持っていく。

「もっとだ、もっと持っていくんだ」

「あの時と同じように、亀に引っ張って行ってもらうのよ」

「聞いてくれ、みんな聞いてくれえ」

自分は甲羅を滑って駆けるように梯子を降りた。ピュウッと指笛を吹くとボートが寄ってくる。

「「ク・クーッ」」

意気軒昂なイルカの鳴き声。結局はまたこいつらに頼ることになるのか。

急いでボートに乗り込み声を張り上げた。

「俺はここから逃げる、あんたも逃げろ。もうひとりくらいは乗る余地がある」

しかし村長は乗ろうとしない。彼は返答する。

「……無理だ」

「なぜ」


亀の背中に、大声で叫ぶ彼の姿を見た。

「私の妻も」

「娘も」

「友人も」

「ここにいる」

「離れることは出来ない……」


自分はボートの係留ロープを切った。

それから自分は三日三晩大波と嵐に揺られることになる。ボートの蓋を閉めても凌ぎきれないほどの時化だ。果てない豪雨から明けたときにはもう、亀の姿はどこにも見当たらなかった。

コンパスを取り出して東の方を見る。晴れ渡る、焼けたような赤い空。あの向こうのどこかに彼らはいるのだろうか。一体どうなったのだろうか。

きっと知る手段はない。

「無事を祈る……」

そっとそれだけつぶやいた。

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