§022 「私にもいつか大切な人ができたらいいな」
「なんかさ……雨の日っていろいろ考えちゃうよね」
彼女はそう言って傘から一歩前に出て道路にできた水たまりを蹴り上げたかと思ったら、今度はピチピチ・チャプチャプ・ランランランといかにも機嫌が良さそうに歌いだした。
「おい濡れるぞ」
「平気よ」
「なんだよその歌」
「『おじさんのかさ』を知らないの?」
更科がクルっと俺の方に向き直り、興味深々な目で俺を見つめてくる。
「お前、おじさんにまで傘を貢がしてるのか? 見境ねーな」
「素敵な雨の夕暮れが台無しね」
「さっきまで空を睨んでたやつが、言う台詞じゃないけどな」
『おじさんのかさ』は、国語の授業で習ったから当然知ってる。
確か、立派な傘が濡れるのが嫌で傘を差そうとしないおじさんが、ある雨の日に、子供たちの歌を聞いて、初めて傘を……
「思い切って広げてみたら、そこには、傘を広げなきゃ知らなかった新しい世界が広がっていた。もし、子供の歌がなかったら、知ることもなかった新しい世界。傘を思い切って広げなかったら、知ることもなかった新しい世界」
そこで、更科は言葉を切ると、まるで独り言のように問いかける。
「ねえ、新しい世界に飛び出すきっかけってなんだと思う?」
俺は自分に問いかけられているのかがわからず、ほんの少しだけ首を傾げる。
「私はね……『大切な人』の存在だと思うな。この人のためなら死ねる、この人の言うことなら信じられる、この人にならすべてを任せられるという尊い存在。それはね誰でもいいと思うの、親でも先生でも彼氏でもなんでも」
そこで、一度コクリと唾を飲みこむと、消え入りそうな声で言う。
「私にもいつか『大切な人』ができたらいいな」
そう言って更科は雨空を眺める。
『大切な人』……か……。
俺はふと、いつぞやの更科との帰り道を思い出す。
もしかしたら彼女は俺が思ってるよりもずっと弱い人間なのかもしれない。
「ねえ、私の考えは他力本願だと思う? もっと自分で頑張れよって思う?」
俺は更科の問いかけに、ほんの少しだけ考えてから答える。
「……思わないよ。人はひとりでは生きられないからな。誰かの助けが必要なら助けを求めればいい」
「……そっか」
「そう思うよ」
「じゃあ……ひとりで生きていくしかない人はどうすればいいんだろうね」
更科が寂しそうな、切ないような表情を浮かべる。
その表情を見ていると、なんだか胸がぎゅーっと締め付けられる想いになる。
彼女の心の奥底にある鬱々としたものが伝わってくるような気がした。
「……更科は何か助けが必要なのか?」
俺は意を決して更科に言葉を投げかける。
その言葉を聞いた更科がこちらに目を向けて、「助けが必要?」と反芻する。
「それはちょっと違うかな……」
彼女は言葉を選ぶように、間を取りながら、言葉を紡ぐ。
「『助けが必要』なんじゃなくて、いつか王子様が現れて私を助けてくれるのを待ってるんだと思う」
「更科から『王子様』って言葉が出るとは思わなかったな」
「比喩表現よ。『お金持ち』に置き換えてもいいわ」
「……ああ、納得したよ。お前って本当に素直じゃないよな」
「……女の子は複雑なのよ」
その後は、しばらく無言が続いた。
彼女は何か考え事をするように、俯きがちに、歩みを進めている。
なんだろう……言葉にするのは難しいけど、俺は確信してしまった。
更科はきっと何か大きな悩みを抱えているんだろうということに……。
そして……同時に自分の気持ちにも気付いてしまった。
この間の赤梨の言葉が脳裏をよぎる。
赤梨……ごめんな。
いくら赤梨の言葉でも……その言葉ひとつで更科を裏切るわけにはいかない。
俺は……更科のことを守ってあげたいんだ……。
「ねえ、未知人くん……」
更科の呼びかけに、ハッと我に返る。
そして、彼女に目をやると、いつになく神妙な面持ちの彼女がいた。
どうしたんだろう。そんな真剣な顔して。
「どうした? そんな顔して」
「……変なこと聞くかもしれないけどいい?」
「……ん?」
「未知人くんはさ……もし私が『助けて』って言ったら……私のこと……守ってくれる?」
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