【第3話】嘘偽焦燥
「緋天さん達はあれからどうしてたんですか?」
半月前、廃神社の偽神祓いもとい狐祓いのあと緋天に家まで送り届けてもらってから二人には一度も会っていなかった。
幾度も商店街に通っては二人に会えるか内心ドキドキしていたのだが、不思議と全く出会うことはなかった。
「私達は相変わらず普段通り仕事をしてました……と言いたいところですが、生憎とお店には
「閑古鳥?」
そうですね、と苦笑した。
「つまりとても暇だった、ということです」
白状した緋天に十夜は慌てて謝罪した。
「あ、そ、それはなんか……すいません余計なことを聞いちゃって」
「いえいえ、普段から沢山舞い込むような仕事ではないので気にしないで下さい。それよりも……調子はどうですか?」
緋天の視線が足元に注がれて「ああ」と合点がいった。
「――足のことでしたら問題ないですよ」
ほら、と右足を屈伸させる。
「フフフ、緋天さん達があの狐を祓ってくれたからですね。もう足はなんともないですよ?」
ありがとうございます、と十夜は鞄から一つの白い布を取り出した。
「これ返すタイミングがなくて。ちゃんと洗ってあります、これもありがとうございました」
半月以上も借りたままだった向日葵の刺繍の入った白いハンカチ。
緋天の手を取って
「今日会えてよかったです、ちゃんと返せてよかった」
掌の上に置いた。
「……いえ、どういたしまして」
バレてない。
「それじゃあアタシはこれで、緋天さんもお仕事頑張ってください」
笑って、緋天の横を通り過ぎた。
きっとバレてない。
このまま何事もなく帰ってしまえば――
「貴女は強いですね」
ふと、そう溢した。
「……え?」
振り向くと緋天が笑みを浮かべていた。
「生憎と私に誤魔化しは効きません」
それはどこか邪なものを彷彿させる。
「誤魔化すって?」
素知らぬ顔して笑って見せた。
「御冗談を、表面上の繕いに長けた私にその笑みに気付かないわけがありません。それに私に触れた際の貴女の心拍の数値の異常、先程彼と歩いていた時にも左右の足のバランスに微かな差がありました。まあ普通の人なら誤魔化せたでしょう、ですが私は――私の聴覚と視覚はヒト以上なものでして」
「……」
アッシュグレーの瞳。
その裏には燃えるような色をした瞳があるのを知っていた。
ヒトとは異なる妖という存在。
吸血鬼。
それが彼のもう一つの姿。
「痛みが無くなったとはいえ怪我とは違う。その足では陸上競技には致命的でしょう。それなのに貴女はそれすらも何でもないことのように明るく振る舞う、他人に気付かれないように。そうして自分を偽るなんて」
緋天の眼差しが突き刺さる。
その強い瞳に十夜の口の端がヒクッとつり上がった。
「足、治ってなかったんですね」
崩れた表情は元には戻らなかった。
「はは、は、そんなって別に大したことじゃ――」
「どうしてそんな嘘を」
心配する緋天を真っ向から否定したかった。
「大丈夫ですって本当に……」
動けずにその場で立ち竦んでいた。
逃げ出した短い距離を緋天の長い足はすぐに縮まり。
「どうやら、これはまだ貴女のそばにいた方がよさそうですね」
返してもらったばかりの白いハンカチを十夜の前に差し出した。
「……緋天さんはずるい」
ハンカチを受け取った。
⁂
もう受け入れたつもりでいたのは本当だ。
「本当はアタシもう少し自分の事、強いと思ってた。受け入れたつもりだった。でも、でもやっぱりこんな足……全然受け入れられないよ」
あの狐祓い以降、十夜に危険が及ぶ現象はパッタリとなくなった。
代わりに――置き土産のように足への違和感はそのまま健在だった。
「結局呪いがあってもなくても、アタシの足はもうずっと前から駄目だったんだね」
部活に戻る前から微かな違和感だけはあった。それも気にならない程度に。
「でも日が経つにつれてどんどん重くなってって。前みたいに上手く動かせなくなった」
今はブランクもあるせいで隠せているが日が経つにつれて部員も周囲もきっと気付くだろう。
もう以前のようには走れないことに。
重くのし掛かる足は何度練習しても、幾らリハビリしてもどうにもならない。
現実を知った。
これ以上速く走れない。
この足はもう治らない。
「折角また部活に戻ったのにこれじゃあ離れていっちゃう、もしかしたら今度は亮平も、真莉だって」
「どうしてそんな」
「だって走れないアタシには価値なんてない!」
ヒステリックに頭を振った。
この時間帯の河川敷は人通りもまばらで様々な人がここを通る。
数人の通行人が何事かと目をしばたいているのも知っていた。
(これじゃあ別れ話かなんかだと思われてそう)
頭はどこか冷静だった。
それにそんな甘酸っぱいものでもない。
この足になってから見えなかった周囲が見えるようになった。
知らなかった感情も知った。
こんな足にも良いところがあるんだ、と思い込んだ。
だからこの足はもうこれでいいと。
そう――思っていた。
でも。
(全然受け入れてない、受け入れられるはずがない)
嘘で塗り固めても
どんなに見栄を張っても
慰めの言葉を幾ら吐いても
誤魔化して自分を納得させても
十夜の虚無は消えなかった。
「だからバレないようにしてきたのに」
(これじゃあまるで――責めてるみたいだ)
緋天の前では嘘は付けない。誤魔化しも出来ない。
思わず拳を握りしめた。
「……なんで治らないのかな?」
アタシそんなに悪い事したのかな、と誰に答えてもらうでもなく本音がこぼれた。
⁂
「我々が偽神を祓わない方が良かったですか?」
予想外の質問を浴びた。
「……え」
「もしあの場で私達のことを無視して偽神の手を取ることも出来た。そうすれば偽神の言う正式な手順もなく貴女の願いは簡単に叶った――」
「緋天さん!」
十夜の鋭い口調に緋天は口を閉ざした。
「もう……終わったことですから」
後悔していますか?
十夜の態度が言わせてしまった。
(言いたいことはそうじゃないのに)
「……すいません。ここまで回復出来たのも二人のお陰なのに。あの狐が何をしたかったのかよく分からないけど、きっとあのままにしておけなかったのは見ていたアタシにも分かります。あれは祓って良かったんだと思います」
自分の感情が制御できない。
言葉が尻すぼみになっていく。
(あの狐に未練があるみたい――)
どんなに時間を巻き戻したくても言ってしまってから後悔することばかりだ。
⁂
「すいません。今言ってたこと全部忘れてください」
気まずくなってしまった空気をどう修復しようか考えていると。
「どうも駄目ですね、私は。自分から振った話題で相手にそんな顔をさせてしまうなんて。八花さんのことを言えません」
緋天が深い溜息を吐いていた。
「違、違うんですアタシが!」
「聞いてください。偽神を祓った後、確かに貴女の足に取り巻いていた黒いもやも一緒に消え去りました。事実今でも貴女の足には妖の気配はありません」
その言葉に愕然とした。
「やっぱり……それじゃあこの足は本当に」
そうとも言い切れません、と首を振った。
「私達も出来れば貴女の足を完全に治して差し上げたかった。ですが人の思いというのは時に妖よりも強い呪縛で人を縛ることもあり得るのだと痛感しています」
「分からない、どういうことなの。分かるように教えてください」
子供のように縋る十夜を緋天はあやすように言った。
「殻を被るのはとても簡単で、殻を脱ぐことの方がずっと大変です。走れないと価値がないなどと、貴女を走れなくしてる人物は一体誰なのか今一度よく考えてみてください」
「……緋天さんは時々難しいです」
「そうですかね」
ハハッと歯を見せて笑った。
⁂
急に風が冷たくなった。肌寒く感じた通り少しだけ出ていた太陽もぶ厚い雲に隠れて見えなくなっていた。
「……緋天さん今時間ありますか?」
偽っていたことを緋天に見破られていたことが予想以上に恥ずかしかった。
何かないかと脳裏を巡らせ「あ」と何か思い出し、緋天を見上げた。
「大丈夫ですが、どうされました?」
急な話題にもすぐさま対応するのは知っている。
「前に言ってましたよね。あやかし堂は人に話せないちょっとしたことで来店してもいいって」
困惑している緋天を余所にちょいちょいと手招きした。十夜の背丈に合わせるように少し屈み耳を寄せる。
「閑古鳥っていうの鳴いてるんですよね? ならちょっと相談したいことがあるんですけど」
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