【第14話】攻防


 勢いよくお冷を飲み干したのを見届けた緋天が「話はされましたか?」と聞いてきた。

「お客さんは君を待ってたんだよ」

 代わりに答えたのは八花だった。

「え?」

(ええぇぇ!?)

 思わず注いでくれたばかりのコップを取り落としそうになった。

 緋天は首を傾げて八花を見るが、わざとらしくニヤついているせいで余計に何を考えているのか見当もつかない。

「随分と信用されてるね緋天?」

「そ、そうでしょうか?」

 はにかむ姿はどこか幼さを感じさせる。

「君が来るまで得体の知れない私と一緒だったんだ。詳しいことは聞いてないけど怖い思いをしてきたんだろ? そんな状態でいつ帰ってくるか分からない君を健気に待ってたんだよ」

 誇張された内容にハラハラと聞いていた十夜と反対に、緋天はそのまま信じたようで「十夜さん」と真剣な表情で名前を呼ばれた。

「私はただの店員にすぎませんし、まだまだ知識も役に立てることも少ないです。店主である八花さんが彼女の悩みを聞くべきかと、白状すると話しやすいように少し時間を取ってしまいました」

 中々戻ってこなかったのは緋天が配慮してのことだった。

「未熟でもなんでも君もこの店の店員なんだから連れてきたお客さんの話を一緒に聞くのが筋だろう」

「そう、でしたね。すいません十夜さん気付かなくて」

 深々と頭を下げる緋天に十夜は慌てふためいた。

「お客さんたっての希望だからね。緋天話を進めてもらっても?」

「構いませんが。十夜さんもそれでいいですか?」

 うんうん、と頷いた。

「フフッ、それじゃあ役者も揃ったところで、始めようか二人とも」


 ⁂


「…――ではあの場には赤い服を着た子供がいて、その子供に十夜さんは背中を押された、と」

 数時間前の体育の授業中に起きた出来事を、緋天に見えていなくて十夜にだけ見えていた景色を全て話した。

「そうだと思います、アタシは直接見ていないけど背中を誰かに押されました。その時あの場所にはその子しか」

 流石にあの年齢の子供に背中を押された程度でよろけるような柔な体の作りはしていないつもりだった。

「脱いで」

「は?」

「服だよ、その服脱いで」

 唐突にそんなことを言われた。

 話を聞いていた八花がソファからようやく体を起こしたと思ったら、つかつかと十夜の目の前に立ち塞がり、制服の前を一気に捲り上げた。

「な、はあああああああ!?」

「あ、違った背中か」

 淡々と背中に回り込もうとする八花とちょっとした攻防になっていた。

「ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ。なんでそうなるの!!」

「背中を押されたんならあるはずだよ、その子供の手形が」

(そうなのかもだけど、ちょっと待ってよ!)

 ここには緋天もいるのだ。

 制服の裾を上げる八花にそれを阻止しようとする十夜。体格からいっても絶対に力負けするはずがなかった。

「ちょ、冷静に」

 緋天の制止も聞かず、抵抗の強い十夜に溜息を吐いた。

「はあ~もう面倒だな」

 裾を掴む力を緩め諦めたのかと安堵した途端、十夜の両手を一纏めにされ「ふぇ?」と呆気に取られている間にグイッ強い力でテーブルの上へと引っ張り上げられ手首ごと縫い付けられていた。

(う、嘘…?)

 いくら力を込めても、体を捩じっても、暴れても、八花の細腕からは想像出来ないほど強く拘束されて逃げることが出来なかった。

(どこにそんな力が…)

「あ~あるね、子供の手形。緋天見てみなよ、この背骨の下をってどこ見てるの?」

 緋天はというと「あ、いや、その…」と濁しながらそれとなく顔を背けていた。

 制服が捲り上げられたせいで背中がスースーするし、それにこの手首を拘束された状態では文句を言ってやろうにも顔を上げる羽目になるので、どうしても赤くなってる顔も一緒に晒すことになる。まさに俎板の鯉だった。

「緋天見ないの? ほらここ、ちょうど仙骨の少し上にくっきりと紅葉みたいな赤い手形があるだろう。 ……意外と君、肌が白いんだね、そのがより目立つよ。それに君のここに珍しい形のがあるんだね」

 途中から楽しそうに人の背中を弄んでいる八花に、自分でも知らなかった背中事情を露骨に暴かれていく恥辱にこれ以上耐えられなかった。

「ちょ、もういいです、説明しないで、謝るからぁぁ、さっきのことなら謝るから! だから見ないで、見ないでよーーーーーー!」


 ⁂


 乱れた制服を黙って直した。

 折りをみて緋天が申し訳なく「すいませんでした」と謝罪があったがこれには十夜も何も言わなかった。

(もうお嫁にいけない……)

 と心の中で嘆いていた。

 当の八花といえば十夜の体を充分堪能出来て機嫌よく元のソファに戻っていった。

「…」

「…」

 脱がせたのは緋天ではないのに気まずい空気が流れていた。

「……そ、それで、背中にはあったんでしょ、気持ち悪いけどその手ってのが。これで私が嘘吐いてないのも分かってもらえたと思うけど、それでも緋天さんは見ていないんですよね?」

「……残念ながら、私が着いた時には十夜さんが車道に倒れていく姿だけだったもので。慌てて助け起こしたのであまり周囲を見る余裕もなかった」

 双方顔が見れないまま話を元に戻した。

 ソファに戻った八花は背凭れから顔を覗かせながら

「君はその子供とやらに見覚えは?」

 と聞いてきた。

(ケロッとしちゃって)

 さっきの事を何でもないことのようにしれッと話に入ってくる八花に「ないです」ときっぱり言い切った。

「本当に?」

「当たり前でしょ、まだ疑うの?」

「最初から君のことは疑っていない。それでもちゃんと正面からその子供を見たのは君だけだ。それを簡単に捨ててしまえるほどそれほど情報も多くないから」

「そんなこと言われても」

 見覚えなんてあるはずは……。

(?)

 なんかあったけ。

 何か忘れているような。

 車道に倒れる前にあの子供の事で何か感じたものがあった気が。

「そっか本当に知らないならしょうがない。それじゃあ聞き方を変えよう、心当たりはないかな?」

「だ~か~ら~、見覚えもないんだから心当たりもないに決まってるでしょ?」

 同じような質問に苛立った。

(なんでこんなに苛立つんだろう)

 訳の分からない焦燥に駆られている、そんな自分を自覚して、違和感を思い出せない自分にさらに苛立った。

(これじゃあ八つ当たりだ)

 そう思うのに八花への苛立ちを思うように隠せない。

 八花が首を振った。

「違う、そうじゃない。今の質問は別の意味だ」

 言葉が足りないばかりか意味が分からない八花の問いに「何が?」と冷たくあしらった。

 そんな態度にも表情を崩さず八花はこう言った。

に何か心当たりはある? 例えば――とある噂を真に受けてその場所に行ったとか」


 バシャン


 滑り落ちたコップがテーブルの上を転がっていく。

「あ」

 気付けば零れた水がポタポタと床へ滴り落ちていた。

「大丈夫ですか、お怪我はありませんか?」

「……あ、あの、す、すいません、わ、たし」

 慌てて鞄からティッシュを取り出そうとした手が小刻みに震えていた。

「あ、あれ、おかしいな…」

 何度もようやく鞄のチャックを掴めたと思ったら被せるように大きな手が乗せられた。

「いいですよ十夜さんはそのままで。今タオルを持ってきますから」

 そう言って奥へと姿を消した緋天はすぐにタオルを数枚手に持って十夜に渡してから残りのタオルで床を拭き始めた。

「……冷た」

 気付かない内にスカートが少し濡れていた。その原因はテーブルの上で横倒しになっているコップ。

 まだ震えている手でそれを掴もうと手を伸ばした。

 コップに手が当たってカチカチと音を立てるだけだった。

「顔色が悪いね、どこか悪いのかな?」

 目の前でコップを拾い上げられた。

 八花だ。いつのまに同じソファ席に、テーブルを挟んで目の前に座っていた。

「べ、別に……そんなことない」

 ふ~ん、と拾い上げたコップをつまらなそうに見ながら。

「知らないようなら教えてあげよう、さっき言った噂の名前」


 


 言葉を詰まらせ何も言い返さなかったことを良い事に八花が続けた。

「そっか、知らないならしょうがない。私がその廃神社の噂を教えてあげよう」

「聞きたくない」

 拒絶しているのに八花は聞こえていないフリして話し続けた。

 「それはね」

「聞きたくないって!」

 耳を塞いだ。異常なほど怯える十夜を目にしても八花は止めなかった。

「聞いた方がいい、君の為にも」

 それは真剣な目だった。



 ――どちらも始まりは学生のよくある噂話。メディアにも取り上げられた『よく当たる木漏れ日の館の占い』とは反対に、知る人ぞ知る『願いを叶える神社』の噂があった。





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