【第7話】外周開始


「あと半日かぁ~…」

 昼休みを知らせるチャイムが鳴ったと同時に、ざわめきだしたクラスメイトをよそに十夜は自分の机の上に突っ伏した。

「さすがに一週間のスマホ取り上げはキツいって姉さん」

 一夜にスマホを取り上げられてもうじき一週間が過ぎようとしていた。

 普段から電話か友達との連絡程度しか使っていなかったが簡単な調べ物も出来なくなるという、意外と不便だったことを痛感していた。

「十夜お弁当食べようよ」

 そろそろ来ると思っていた。十夜は机からのそっと顔を上げた。

「分かってるよ、待ってて今机片付けるから」

 「早くね~」と呑気な友達に何故か文句でも言ってやろうかと思ったがただの八つ当たりになるので止めた。

真莉まりも知ってるでしょ、アタシがスマホ取り上げられてるって」

「あれでしょ、家に帰る門限をとっくに過ぎてたのに連絡もしないで十夜のお姉さんに『使わないならいらないってことだよね?』って没収された話のこと?」

「う、うぅ…一週間前のことをよく寸分違わず言えたね君は」

 あの時の恐怖を思い出してブルブルと震え出した十夜の頭を「よしよし」とほんわか甘い匂いのする手に撫でられた。



 あのあと、音を立てないようにこっそり玄関を開けたにも関わらず十夜の前にはパジャマ姿で仁王立ちした一夜が「おかえり?」と待ち構えていた。

「あ、ただい、ま…」

 その穏やかに微笑む裏に般若を飼っているのを知っている。

 ふと、リビングの戸が開けられているのに気付いた。視線をゆっくり落とすと屍のように倒れ伏す朝日の姿があった。

「ヒッ!」と喉の奥から漏れ出てしまった。

「そんなに汚れて…こんな時間まで泥遊びでもしてたのか?」

 落ち切っていなかった汚れに十夜は天を仰いだ。

「こ、の…馬鹿、ぢから――」

 倒れていた朝日が口走った瞬間、一夜の鋭い足技が宙を舞った。本気でトドメを差すように。「ぐぇ」と呻き声を最後に朝日はピクリともしなくなった。動かなくなった兄の二の舞になりたくない。

「実はそうなの…、電話にも気付かないくらい泥で遊んでたの。久しぶりに触りたくなって」

 考えていた誤魔化しも吹っ飛び、急遽一夜に賛同することに変更した。

「ほ~う、電話にも気付かないほど、ね?」笑みが深くなった一夜を見て「あ、失敗した」と瞬時に悟ったがあとの祭りだった。

 余計なことを言ってしまったあとに十夜に下されたのは一週間のスマホ没収の刑だった。




 ちょうど十夜の前の席の子が「ここ使って」と席を立った。真莉がお礼を言ってそこに座った。

「まあ門限破ってしかも電話の一つもしなかったことについては擁護できないなぁ。それだけで一週間のスマホ没収だけで済んでよかったじゃん」

「他人事だと思って」

「何言ってるの、うちの家だって親が教師のせいでルールと勉強だけはやたらと厳しいの知ってるでしょ。成績落としたら即没収って言われてるし成績戻さないと返してくれないって言うのよ。期限付きなんて可愛いものだよ。だから私は意地でも成績落とせないの」

 よその家のルールは千差万別ということか。

「そっちも大変だね」

 勉強が苦手な十夜にはそれは苦行でしかない。

「でもさぁ~その日は悪い事ばっかりじゃなかったでしょ?」

「何の事??」

 うずうずしている様子をみても何のことか見当がつかなかった。

(なんかあったけ)

「惚けちゃって占いだよ占い、どうだったの? 行ったんでしょ木漏れ日の館、ねえねえなんて言われたの、良い事言われた?」

 どうして忘れていたんだろう。

「――あ、えっと…」

 十夜の顔から血の気が引いた。

 そうだった。その日はだった。

 無邪気に占いの結果を聞いてくる。それには悪意も、悪気もないのだから。

(死ぬかも、なんてとてもじゃないけど言えないよ…)

 はたしてそのまま笑って流してくれるだろうか。

「十夜? 何々もしかして恋愛相談とかしてきたの。だからあんなに頑なに私を付いてこさせないようにしてたの?」

 どう言ったらいいか考え込んでいると、どう勘違いしたのか真莉が見当違いな解釈をしてきた。

「……違うって。というかどっちにしろ真莉は塾だったじゃん。あの占い師は有名になりすぎちゃっていつ占ってもらえるか分からないって付いてこなかったのは何処のどちら様?」

「まあまあ細かいことは置いといて。んで何を占ってもらったの?」

「それは…」

「それは?」

「――…それは……今後のことかな。進路っていうか」

 嘘を吐いた。

「十夜が? 進路を相談??」

 大きな目をひたすらぱちくりさせていた。

「ま、まあ~ほら、このの事もあるし。見ての通り頭はからっきしだからねぇアタシだって考えることもあるの」

 納得がいったのかそうでないのか真莉からはそれ以上の追及はなく「……そっか」の一言だけだった。

 少ししんみりしてしまった空気を真莉自ら話題を変えた。

「まあまあもう少しでその一週間も終わるんだし、さすがにスマホ返してくれるって」

 十夜の机の上にドンッとお弁当が広げられた。

「ほ~ら、早くお弁当出して食べよう? 午後は合同で体育でしょ、今日は外周らしいから今の内に心決めとかないと」

 いそいそとお弁当の用意をする真莉をみて本当に申し訳ない思いを抱いていた。

(ごめん)

 占いをしにいった本当の理由を言えないまま。

「……ホント体育というか運動が苦手だよね、昔から」

 十夜もようやく鞄からお弁当を取り出した。

「それはお互い様でしょ、さっき自分で言ってたけど勉強苦手じゃないの」

「人には向き不向きというか、得手不得手とうものがあるのですー!」

「ほらね、それと一緒でなのでーす」

 少し膨れっ面の真莉が誤魔化すように「ほら早く早く」とせっつく。

「わかったわかったってほら、せーの…」

「「いただきます」」

 こうして少し遅れての昼休みが始まった。


 ⁂


 昼食後の体育ほどやる気が出ないものはない。それが【外周】であったのなら尚更だった。十夜の通う高校では二クラスが合同で体育授業を行うことになっていて、今回の女子が科目が学校の周囲を走る【外周】だった。

 校門をスタートに2車線の道路沿いを走り、道幅の狭い一方通行の路地を通っていき再び道路沿いに出て正門へと戻る。これを一人5周。これが男子だと強制的にあと2周追加させられるので運動が苦手な女子はまずよかったと思う。

 今は校門に集められた女子が各々のグループで集まり、教師の始まりの合図を待っていた。

「いつもながら5周って鬼だよ~」

 準備運動を入念にしている十夜の傍に隣のクラスからどんよりと歩いてくる暗い女子生徒が一人。昼休みの時よりもさらに表情の暗い真莉がジャージを脱ぎながら近寄ってきた。

 昼休みでは気合いを入れないと、と意気込んでいたものの直前になったらこの通り。

「2周目くらいで絶対吐くもん!」

(そんな意気込んで言わなくても)

 自慢にもならない。

「大丈夫だってたかが5周、すぐ終わるよ」

「それは運動部の言い分だよ…いいなぁ男子はサッカーで。よりにもよってサッカーだよ? まだサッカーの方がやってるフリをすれば休めるのに外周じゃあ走りきるまで終われないじゃん」

「ん? なんか聞き捨てならないセリフが聞こえたんだけど」

「……気のせいだよ。うぅ…」

(やさぐれてんなぁ、走るの特に嫌いだもんなぁ)

 しくしくと悲劇のヒロインに徹している真莉を非情だが現実に引き戻すため

「ほら先生が校門に行ったよ、もう始まるから準備運動しておきなって」と励ますように肩に手を置いた。

「…ううぅう、十夜は良いよね得意分野だし、なんだから外周の5周なんて楽勝なんでしょうけど」

 手が震えた。

 慌てて手を引っ込めたのがいけなかった。違和感に感じた真莉が振り返ってきた。

「十夜? どうし……あ、ごめん!」

 自分の失言にハッと口をつぐんだ。

「ごめん、私……軽率だった。させるつもりはなかったの、本当にごめんね」

 青褪めて後悔してる真莉の顔。

(今アタシどんな顔してるんだろうな)

 もしかしたらその真莉以上に酷い顔しているのかもしれない。

「……大丈夫だって気にしないで真莉。それにほら、そんなこと言ってる間に先生準備出来ちゃったみたいよ」

 集まれ~、と体育教師が笛を鳴らしてワラワラと女子生徒が校門に集まっていく。

「え! 嘘!!」

「ほら行くよ……って真莉どこ行くの?!」

 校門とは逆方向に逃走を計ろうとした真莉を同じクラスメイトが捕獲、無理矢理校門に引き摺っていった。


『…ううぅう、十夜は良いよね運動好きだし。なんだから外周程度楽勝なんでしょうけど』


 誰にも気付かれないようにソッと右足を擦った。黒のハイソックスの下に未だに癒えない傷を残したままピストルの音が空に響き渡る。


 無情にも在りし日のピストルの音と重なった。




 

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