13 味方・3

「よーしっ、こんなもんかね!」


 更に舞台は変わり、ヨロ国。ドンと積まれた鎧を前に、ベロウは不敵な笑みを浮かべていた。

 そんな彼に、おずおずと一人のヨロ国兵が尋ねる。


「あ、あのー……本当にこんなんで上手くいくんですかね? あんまりピンとこないっていうか……」

「いく! お前さん、ミツミル国の『ドバッポル戦記』読んだことねぇ? これは名将カーテラスも敵地で使った有名な策だ!」

「はぁ……」

「まぁ見てろ。お前さんらは、オレ様についてくるだけでいい!」


 サングラスの位置を直して、ベロウはフフンと兵士に胸を張る。


「――見せてやるぜ。戦場が沸くってヤツをな!」

「ベロウさん、足が震えてますが」

「これは戦女神パロンディーヌの息吹だ!」


 “戦女神パロンディーヌの息吹”とは、日本語でいう武者震いと大体同じ意味である。










 そのミツミル国軍兵は、疲弊しきっていた。

 反乱者への処罰、内乱の鎮圧、そして今、ノマン王国からの要請に従ってのヨロ国侵攻。

 自国が荒れきっているというのに、何故ノマンの下で他国に攻め入られさねばならないのか。それが理解できる者は一人とていなかったが、逆らえる者もいなかったのである。

 逆らえば皆、殺されてきたのだ。

 あの暴臣ヴェイジル=プラチナバーグに。

 彼の機嫌を損ねれば殺された。それどころか戯れに殺された者もいる。彼の視界で躓いただけで、家族全員が処刑されたこともあった。

 ミツミル王が健在であった時には、彼は英雄そのものであったというのに。ああ、今思えばあの頃が一番良かった。彼を恐れ犯罪や内乱は激減し、国は平和であった。

 しかし王と王妃が病に伏せると同時に、ヴェイジル軍大臣が幅を利かせるようになり始めたのである。

 ――もしや、王らは既に彼の手で殺されているのではないか。誰しもそう思っていたが、口には出せなかった。ヴェイジルが恐ろしいというだけではない。あの太陽のような王と王妃が亡き者となっているかもしれないという可能性は、それだけで民の心を挫かせるものだったのだ。

 故に、皆最悪の事態だけは考えないようにしながら、ただヴェイジルの手足となるしかなかったのだが……。


「――!」


 ノマン王国軍が放った不気味なゴーレムが崩され、それらが復活するまでミツミル国軍中心となり前線で戦わねばならなくなった。その、喧騒の中。


「――と……れ……!」


 誰かが、叫んでいた。

 構うものか、どうせ敵か自軍の兵の悲鳴だろう。とにかく今は、この冷たい地獄を切り抜けねば……。


「わ……ことばを……!」


 若い男の声だ。そういえば、王と王妃には一人子供がいたっけか。二人に似てとても美しく、将来が楽しみだと皆で言い合ったものだが。

 生きていれば、十六歳。本来なら、王家に伝わる宝を受け継ぐ“抱宝祭”が執り行われるはずだった。

 けれど、それも結局無かったのだ。その事実は、より一層王の死の予感を民に深く抱かせていた。


「……」


 声が止む。力尽きたのか、諦めたのか。そちらに気を取られていると、右から飛んできた矢に気付くのが遅れた。けれど別のミツミル兵が間に入り、防いでくれる。見覚えのない顔だったが、礼を言い、先に進む。


 そうだ、走らねば。故郷に帰りたければ。

 殺さねば。家族の顔を今日も見たければ。

 生きねば。生まれたばかりの子供を抱きしめたければ。


 ――しかし、これ以上生きたところで。


「――海中の虹よ!」


 突如響いた凛とした詠唱に、思わず頭を上げる。今にも日が落ちそうなどんよりとした空に、自分の息が白く溶けた。

 目前に迫った、ヨロ国の城に。その城壁に、何者かの姿があった。


「その身を空に捧げ、雲の隙間を泳げ! 数多の光を降らし、地を照らしたまえ!」


 ヨロ城から眩い光が溢れる。眩しくて目を開けていられなくて、思わず顔を伏せた。

 敵の攻撃か? いや、それにしては、なんて暖かな……。


「おい、空を見ろ!」


 さきほど自分を助けてくれたミツミル兵が、声を上げる。つられて自分も空を見上げて、ハッと息を呑んだ。

 あれほど厚く覆っていた雲は消え、そこには真っ青な空が広がっていた。まるで端など無いかのような大きな虹がかかり、雫のように光の粒がキラキラと落ちてきている。


「……これ、は……?」


 あまりの驚きに、武器を取り落とす。しかし、それは自分だけでなかった。周りの者も、まるで虹に魅せられたように口を開けて空を眺めていたのである。


「――皆の者! ミツミル国の兵よ! 私の血よ!」


 そして一瞬にして静まり返った世界に、“空鳴らしの声”をかけられた声が届いた。


「どうか、私の言葉を聞いてくれ!」


 声の主は、城壁に立っていたあの少年であった。……誰だろう。金色の髪の、ミツミル王によく似た秀麗な面立ちの……。


「……王子?」


 先程のミツミル兵が、ぽつりと呟く。そしてそれは、あっという間に大きな波となって兵の間に広がっていった。


「王子……! 王子だ! リータ王子だ!」

「生きてらっしゃったのか!? ああ、大きくなって……!」

「お隣にいらっしゃるのは、魔法大臣のクリスティア様ではないか!? 殺されたとばかり思っていたが……!」


 歓声が大きくなる。城壁に立っていたリータは、刹那年相応の怯えを見せたものの、すぐにまた胸を張った。


「いかにも! 私はミツミルスの正統なる後継者、リータ=ミツミルスである! 長きに渡り空いた玉座を埋める為、今日ここに帰ってきた!」

「……やっぱり、王子なのか……!」

「私はかつて、ヴェイジルに命を狙われ、自らの命を守る為に国を去った!  ……父も母も、ヴェイジルに殺された。私は、臆病で無力であった!」


 目を背けていた事実を突きつけられ、ショックで呆然とする。「ああやはり」と誰かが力無く呟いた。


「だが十六歳となった今、こうして再び皆の前に立つことができたのだ! 見てくれ! 今の私は、ミツミル国に伝わる宝珠もこの通り操れるまでになった!」


 王子が黒色の宝珠を掲げると、そこから真っ赤な炎が立ち上る。確か、あの宝珠は力が強大すぎて十六歳になるまでは使えなかったはずだ。それを、あそこまで自在に扱えるとは……!


「皆の者、すまない……! この五年という間、私の無力のせいでどれほど多くの血が流れたことか! 憤懣やる方なく、哀哭尽きることはない! 私は、この五年を一生悔い責めるだろう!」

「……王子」

「しかし、もう私はどこへも行かない! ミツミルを統治する為、皆を率いる為! 戦士の王として、二度と皆に背を向けぬと誓おう!」


 リータの美しい両目には炎が宿っている。夕陽の光が、リータの髪色を照らしている。その神々しさは、まるで『テミュニベル戦記』に描かれた騎士ゼップライのようで。


「この数年の暴虐、よくぞ耐えてくれた! 幾度と無く誇りを踏み躙られ、道理無き剣を振るわされても! 今ここに皆が生き延びてくれた事を、私は心から嬉しく思う!」

「……ッ!」

「約束しよう! 私が玉座につくからには、二度と私の血肉たる皆を苦しませるものか! 二度とその血を無益な血に染めさせるものか! 二度と、戦士としての誇りを折らせるものか!!」


 目から溢れた涙が、頬を伝う。胸が熱い。もはやミツミル兵の誰一人として、剣を構える者はいなかった。


「ここから先は、私がミツミルの王として先頭に立つ! 誇り高き戦士の国の兵達よ! もはや同盟国たるヨロ国と争う理由は無い! 守る為に、帰る為に、そして終わらせる為に!! 今一度、ミツミルスたる我が声に続いてくれ!!」

「おおお、おおおおおおおおおおおおおおお!!!!」


 歓声は、止むことなく膨れ上がっていく。熱は伝染し、沸き上がり、僅かにいたノマン王国兵すら圧倒していた。

 ――皆が不安であった。皆が苦しんでいた。だからこそ、埋まった玉座と光明の見えた戦争に、ミツミル国軍の士気は噴き上がったのだ。

 故に、歓声の中で交わされたこの会話も、誰にも気付かれることがなかったのである。


「……よーし、この辺でいいだろう。引き上げるぜ、ミツミル兵ごっこのヨロ兵さんよ」


 ミツミル国の鎧を着たチンピラが、同じくミツミル国の鎧を着たヨロ兵に声をかける。ヨロ兵は頷き、近くにいた別の兵にそれを伝えた。

 ベロウは、事前に数十人のミツミル兵を捕らえ、その鎧を頂戴していた。そしてヨロ兵に着させて、あらかじめミツミル国軍にサクラとして潜ませていたのである。

 全てはこの時の為。リータの演説を盛り上げ、ミツミル国軍を酔わせる為に。


「しかし、流石百枚舌のベロウさんですね。リータ王子に偽の宝珠まで持たせるなんて」

「なんでもパフォーマンスは必要だからな」

「それでも、こんなにうまくいくは思いませんでしたよ」

「へへん、薪ってのは火をくべられるのを待ってるもんだからな。ちょっと周りでパチパチ言ってやりゃ、あとは勝手に燃え上がるのさ」

「それにしても素晴らしい。この功績は、間違いなくミツミル国の歴史に長く語られるでしょう」


 感心したように頷くヨロ兵である。しかし、ベロウは少し考えると「いや」と首を横に振った。


「オレ様は、フーボのしがねぇチンピラだよ。そんな奴が、こんなチンケな手で王の歴史に名前を残しちゃいけねぇ」

「ですが」

「それに、こいつぁオレ様の功績じゃあねぇよ」

「というと?」


 不思議そうな顔をするヨロ兵に、ベロウはサングラスをかけながら手を振る。


「オレ様の策は、ミツミル兵が前王やリータに期待してなきゃ成り立たなかった。だから、姿が無くてもミツミル兵の王であり続けたミツミル王族の力がでけぇんだよ」

「……」

「オレ様は、せいぜいその王様を皆に案内してやっただけだ。礼を言われても、褒められるようなことじゃねぇ」

「……ベロウさん」

「ま、そういうわけだ! そんじゃオレ様先に帰るね!」


 そう言い捨てると、ベロウはご自慢の逃げ足で誰より先に戦場を後にした。照れてしまったのだろうか、その足取りは少し覚束ないものになっていた。

 ――しかし、その謙虚なる勇姿は、リータ王子から聞いた『テミュニベル戦記』で騎士ゼップライを助け続けた商人ショテイルスのようだと。背中にニャンニャン医療隊の一匹を貼り付けたベロウを追いながら、ヨロ国の兵は思ったのである。

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