9 ヴェイジル=プラチナバーグ

 ヴェイジル=プラチナバーグは、恵まれた人生を送ってきた。

 父はミツミル国の軍大臣の一人であり、母は愛情深く美しい人だった。故にヴェイジルは、幼い頃よりいかに自分が特別で、選ばれた者であるかを教え込まれてきたのである。

 地位を得ることの重要さと、それ以外の人間がいかに劣り愚にもつかない存在であるか。それをよく理解していたヴェイジルは、常に自身が完璧であることを証明してきた。

 だから彼が初めて人を殺した時も、父と母は息子を抱きしめて褒め称えたものである。


「素晴らしい。この人間は、毎日酒を浴び道行く人に暴言を吐くろくでもない人間だった。誰かが殺さねばならなかったのだ」

「これは人間に生まれてきたのが間違いだったのよ。あなたは間違ってないわ」


 人を殺すのは、とても気分がいいものだった。父と母に褒めてもらえるし、劣った人間がこの世から一人消えるからだ。


「浮浪者を二人殺したのか? 素晴らしい、あれは生きているだけで景観を損ねる。いずれ誰かが排除せねばならなかった」

「あんなみじめな姿を晒すぐらいなら、死んだ方がいいにきまってる。あなたは間違ってないわ」


 なのに、彼の手はいつも震えていた。常に吐き気を堪え、頭痛に耐えて。毎日、血に塗れた手が自分の首を絞める夢に飛び起きた。

 ……きっと、まだ足りないのだ。もっともっと減らさなければ。自分よりも劣った人間を。


「家庭教師を殺したのか? ……そうか。いや、構わない。アレも所詮は、身分の低い所から一代でのし上がっただけの者に過ぎないからな」

「ええ。しかもアレは、先日ヴェイジルのことを叱っておりましたのよ? ヴェイジルが間違えることなどあるはずないのに」


 彼は、常に完璧だった。剣の鍛錬も怠らず、時折行われる国の剣技大会も出場するたびに優勝していた。


「……ヴェイジル。お前は今回も優勝したのだな。直前に、お前と戦う予定だった子供が何者かに襲われたということだが……。お前には、関係の無い話だ」

「ええ、そうよ。ヴェイジル、あなたはいつも完璧でなければいけないもの」


 完璧だった。ミツミル国の軍大臣である父と、美しく愛情深い母。そして、礼儀正しく優秀な息子。それは、誰もが羨むような完璧な家族であった。

 しかしそんなある日、父が軍大臣を解任された。

 王は父の老いを理由として上げ、今後は新しい軍大臣を支える立場になれと指示した。父は抗議したらしいが、結局決定は覆らなかった。

 同時に、それは父が劣った人間側に落ちた瞬間であった。

 故に息子であるヴェイジルは、父を殺したのである。自分は若い。かつ選ばれた人間であるので、これから王にも目をかけられ確固たる地位を手にするだろう。だがそんな輝かしい道に、“選ばれなかった”父の存在など不要なのである。

 だから、排除したのだ。

 そしてそんな父に縋りついて助命を乞うた母も、殺した。息子と夫、その選択を間違える女など、母ではないからだ。


「なんで……? ちゃんと……愛情をこめて、育ててきたのに……」


 人間未満の肉塊が何か喋っている。なんて臭く、醜いのだろう。

 ああ、それにしても頭が痛い。割れるようだ。血に染まった手が何本も何十本も地面から生えてきて、自分に向かって伸びてくる。


「この……失敗作め……」


 汚らわしい言葉を放つ、肉の喉を裂く。噴き出した血を浴びて、酷く心が落ち着いた。

 ――これでよかった。正しかったのだ。劣った人間を殺した自分は、また褒められる。完璧でいられる。完璧でいられるのだ。


 こうして父と母を排除した後も、ヴェイジルは間違えることなく出世街道を歩んでいた。しかしその裏では、自身の震えと吐き気を止める為変わらず人を殺し続けた。兵として、国を守る者としての名目を掲げて。

 その中でも、魔物という存在に気づけたのは僥倖だった。害なる魔物を殺したというだけで、周りからは感謝の念を向けられるのだ。その魔物が、たとえ罪を犯していようといまいと、構わずに。

 そしていつしか彼はその功績を讃えられ、ミツミル国の軍大臣にまで登用されるようになったのである。かつての父と同じ地位だ。ヴェイジルは、それが当然と思いつつ己を誇らしく思った。

 しかし、ここから先が実にやりにくくなった。ミツミル国の新たなる王は馬鹿真面目な男で、ことヴェイジルの動きによく目を光らせていた。ヴェイジルは幾度となく、もしや王は自分を間近で見張る為にこの地位を与えたのかと勘ぐったほどである。


「ヴェイジル、人は変われるんだ」


 王は、ヴェイジルをまっすぐ見て言った。


「人の上に立つ者は、選ばれた人間でも偉い人間でもない。我が身を分けたように他者を信用し、かの者の責すら負う覚悟をした者なのだ」


 その汚れを知らぬ目は、ヴェイジルにはあまりにも煩わしいものだった。

 しかし、ヴェイジルは王を排除できなかった。王とは、自分より地位が上の者。地位が上の者は、絶対であるからだ。こんな他者から見れば鼻で笑われるような理屈が、ヴェイジルには何より重要な基準であった。

 けれど、それが決定的に覆る日が訪れたのである。


「――やぁ。君がミツミル国のヴェイジル軍大臣かい?」


 その美麗な男は、夜の闇の中に立っていた。


「実は、君をスカウトしに来たんだ」


 それが、ヴェイジルがノマンに出会った日であった。









 ノマンに寝返ってからは、楽であった。誰を殺しても何人殺してもノマンは許してくれる。許すどころか、笑って褒め称えられるのだ。

 まるで人間だった頃の父と母に再び出会ったかのようだと、ヴェイジルは思った。

 だが、殺しても殺しても変わらずヴェイジルの胸の内は渇いていた。息が苦しくなる。頭が割れそうに痛む。血の腕が追いかけてくる。……まだ、足りないのだ。逃げねば。殺さねば。血を見ねば。もっと。もっと。


「――まったく、片腕をもがれるとは、君も落ちたものだね」


 荘厳な光を放つ宝珠に手を突っ込み、笑いながらノマンは言った。


「新しい腕をつけてあげねばならないけど……せっかくだし、もっと強い存在になってみる?」

「……それは、どういう」

「何、簡単なことだよ」


 ずるりと、真っ黒な泥が水晶から引きずり出された。


「君は、一度泥を外から纏わせて肉体に馴染ませたことがあったよね。……今度は飲むんだ。そして、内側から同化させる」


 抵抗した。ノマンの下についてから、初めて声を上げて暴れた。だがすぐに周りの者に魔法で押さえつけられると、その泥を浴びせられたのである。

 泥の心地は、想像とは大きく違っていた。外から内から自分を包む泥は、まるで母の胎内のように温かく快いものであったのだ。

 この体で、出来損ないの人間や魔物共の血や臓物をぶちまける。それは、この上ない幸福のように思えた。


「お前は……ヴェイジル=プラチナバーグだな?」


 それなのに、あの魔物の小娘はまだこちらに立ち向かってきたのである。

 不思議だった。殺されたいのかと思った。ならばお望み通り、腹を裂いて臓物を引きずり出し、血を見てやろうと思った。

 しかし、小娘は小癪にも攻撃を避け、あまつさえ世間話をしてきたのである。

 これには流石に面食らった。いや、それ以上に動揺を誘ったのが……。


「じ、実は吾輩元々は人間でな! 訳あってこうして魔物になったんだ! どうだ、初めて知ったろ!?」


 小娘が、元は人間だったという事実だった。

 そんなことがありえるのか、というより、“人は魔物になれてしまう”と思い知らされたのである。そしてその事実は、心地よい泥の呪縛を揺さぶった。

 ――まさか、まさか、まさか。そんなはずはない。そんなはずは。

 自分は、人間だ。ミツミル国の軍大臣で、能力を買われてノマン王直属の戦士となっている。皆が自分を敬い、憧れ、詩にまで謳う、完璧な……。


「……そうか……」


 ああ、それ以上言うな。言わないでくれ。そんな目を、まるでかつてのミツミル国の王のような、いつかのリータ王子のような目を、俺に向けないでくれ。

 しかしヴェイジルの願いとは裏腹に、彼女の口は動いた。


「――お前も、もう人間には戻れないのか」


 ああ。


 ああああ。


 ああああああああああああああああ。

 あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。


 あああああ。


 ああ。




 ――父様。母様。

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