2 父さん

 心地の良い浮遊感と、目眩。周りの景色がぐにゃりと歪み、移り変わる。

 そうして気づいた時には、ピィの体は薄暗く狭い場所に押し込まれていた。


「……」

「みょ」


 ……結局、ケダマもついてきてしまった。定員一名でも、このサイズ感ならノーカンだったということだろうか。頬に擦り寄るピンクのふわふわを撫でて、ピィは体勢を直した。


「ここは、どこだろうな……」


 手探りで少し辺りを確かめてみる。すると、縦に細い光が差し込んでいる箇所を見つけた。膝立ちの状態で近寄り、その隙間に指を差し込んで力を込めてみる。

 スッと戸が開く。眩しい光に目を細めたピィの前に、現れたのは――。


 こちらを覗き込む、白衣の女性の姿であった。


「……ッあばばばばばだぁっ!?」

「ぎゃああああああああぁっ!!?」


 双方飛びのき、ピィは後頭部を強打する。痛みに悶絶している間に、女性はダッシュで逃げ出した。


「うぉっ……ま、待て……!」


 ――まずい、何の説明もできなかった。そりゃあ、何か音がして開けてみて魔物がいれば驚いて逃げ出すに決まってる。彼女を責めることはできない。

 だが、今の自分はたった一人敵地に乗り込んでいる身だ。モロモロドリに囲まれたゴッポポガエルのごとく――つまり、あの女性を起点に騒ぎになると非常に困るのである。


「させるかっ!」


 痛む頭を押さえてピィは飛び出すと、逃げる女性の前に回り込んだ。突如現れ両腕を行く手を阻んだ魔物の姿に、女性は短く悲鳴を上げその場にへたり込む。

 ……服装は、ヒダマリのものとよく似ていた。研究者の一員であろうか。ならば即刻誤解を解き、協力してもらいたいのだが……。

 しかし、何をどうすればいいのだろう。


「……えー、と……」

「……ひっ……!」


 ……ま、まずは魔王と名乗るべきか? いや、逆効果か。そもそも魔物ってだけでこうなのに、より怖がらせてどうする。ならば味方だと言うか? いや、そんなもん突然言われて信じられるはずないだろ! ど、どうしようどうしよう……!

 そ、そうだ! これは昔、我が父が助けた人間の子供に怖がられた時と全く同じ状況ではないか! ならばあの時の父と同じことをすれば良い。ちょっと恥ずかしいが、いくぞ! 見ておれ人間! せーの!!


「……に」

「に?」

「……に、にゃあーっ……!!」

「……」

「にゃにゃ、にゃぁーっ……ふるふるにゃーっ……!!」

「…………」


 よしっ! ポカンとしてる! チャンスだ!

 ピィは猫の手ポーズを取っていた手を下ろすと、腰を抜かした女性と同じ目線になり、両掌を上にして差し出した。


「お初お目にかかる! 吾輩はピィフィル=ミラルバニと申す者だ!」

「……え? え?」

「見ての通りの魔物だが、断じて害をなすつもりは無い! ここには、ヒダマリという科学者の作った空間転移装置で来た! すまないが、しばし吾輩の話を聞いてくれないか!」

「え……ヒダマリさんの……?」


 虚をつかれた所に入り込んできた名前に、驚いたのだろう。女性は、すんなりとピィの説明を聞いてくれた。


「……なる、ほど……。事情はわかりました。ヒダマリさんは、無事にヨロ国へたどり着いたんですね」


 そして恐らく、元々彼女がヒダマリの狙いを知っていたことも功を奏した。ピィの話した内容に、女性は何度も頷いていた。


「ですが、申し訳ありません。実はここは、ノマン王国ではないのです」

「え、どういうことだ?」

「ヒダマリさんを逃した後、私達は罰を受けました。ノマン王国を追放され、隷属国であるサズに作られた研究所に押し込まれたのです」


 見ると、女性の手首と足首には赤茶色の枷が嵌っていた。


「よって、ここはサズ国になります。……この枷をつけられた私共は、もう半年も陽の下を歩いておりません。結界が張られた研究室所内から、外に出られないのです」

「……すまない。もっと早く来ることができれば良かったのだが」

「いえ、時間のかかることとは承知しておりましたから。むしろ我らの救出の為に、全てを水泡に帰させてはいけません」


 涼やかな目元の女性は、しっかりとした口調で言う。その顔つきをどこかで見たような気がして、ピィは首を傾げた。


「……もしやお主、バリュマ=シタレードの身内の者か?」

「……! 弟のことを知っているのですか!?」

「ああ、色々と世話になった」


 目を見開く女性に頷いてみせる。バリュマ=シタレードとは、以前ノマンに姉を人質に取られ、スパイをしていたヨロ国の兵士だ。一時はダブルスパイをしていたが、今はヨロ国に戻っている。

 そんなバリュマの顛末を聞いた女性は、なんとも悲しそうな顔をしていた。


「私は、バリュマの姉のネリンと申します。……そうでしたか。私のせいで、あの子はそんな目に……!」

「そ、そんなに気に病むな。なんだかんだで彼は元気にしてるし、あなた達はちゃんと助かる。憂慮は綺麗さっぱり消え去るぞ!」

「……それもそうですね。ありがとうございます」

「とはいえ、まだここには吾輩一人しかいないがな。後で応援が来るが、それまでに他の研究者や技術者と話をしておきたい。彼らは同じ建物内にいるのか?」

「あ、はい。ですが、会うのは難しいかと」

「どうして?」

「先客が来ておりまして。……いえ、もしかするといいタイミングかもしれませんね。ピィフィル様、こちらです」


 ネリンは立ち上がると、先に伸びる廊下を手で指した。この建物は広いようだが、あちこちから隙間風が漏れ、妙な虫や小動物が走っている。口が裂けても、良い労働環境とは言えそうになかった。


「……我々も、ただここで手をこまねいているわけではありません」


 廊下を進む中、ネリンは言う。


「何とかノマンの裏をかいて、ギャフンと言わせてやろうと画策しておりました」

「それは頼もしいな」

「はい。そしてヒダマリさんが向こうから援軍を送ってくれると同時に、我々も動こうとしていたんです。だから私は、定期的に空間転移放置の様子を確認しに来ていました」

「ふむ、そしてたまたま吾輩が現れた瞬間に出くわしたと」

「てっきりヒダマリさんが現れると思っていたので、心臓が止まるかと思いました」

「それはすまなんだ。……ところで、件の先客もその作戦については知っているのか?」

「はい。彼は、サズ国の奴隷で構成された奴隷軍を率いる方。この作戦の要であり、とても慈悲深く人望の厚いお人です」


 ネリンがぴたりと足を止める。どうやら、この物置部屋のような場所が密会場所のようだ。

 その戸を五度叩くと、彼女は耳を寄せた。


「……サミザンの葉の毒を煎じて飲めば?」

「カッパラドンド、トゥミパッパ」

「よし、入れ」

「何その合言葉」


 物置部屋の戸が開かれる。埃っぽい匂いと、すえた匂い。まるで視界を塞ぐように積み上げられた荷物避けて、ピィ達は奥へ行く。

 しかし、そこにいた男にピィの体は固まった。


「……え? なん、で……」


 存在が信じられなくて、かの者の魔力を探る。……近い。近いどころか、全く同じだ。けれど以前のような強さは無い。一山越えて建物に入ってしまえば、すぐにわからなくなってしまうぐらいの。

 服の中にしまっているケダマがモゴモゴと動く。懐かしい魔力に反応しているのだ。

 ――彼だった。温かくて優しくて、死ぬほどモテない彼そのものであった。


「――父さん?」

「にゃ!? ピィ!?」


 今や骨ばかりとなった巨大な顔がこちらを向く。ピィの目に、大粒の涙が溢れた。

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