10 犠牲
ガルモデとピィの上空を、真っ白な影が横切る。それが、二人がその姿のルイモンドを見た最後だった。
ピィがヨロ国にたどり着くや否や、クリスティアがすっ飛んできた。
「よくぞ戻られたの、魔王殿! 無事で何よりじゃ!」
「ああ、クリスティアも存命で良かった。他国の戦争だというのに、巻き込んでしまってすまないな」
「なんの、巡り巡って王子を守ることに繋がりますでの。それより魔王殿、あのエキセントリックな科学者がお主を呼んでおりましたぞ。急ぎ研究室に向かってくだされ」
「エキセントリックならヒダマリの方か。分かった、すぐに行く。……だが、一分だけ時間をもらってもいいか」
「何をなさるので?」
「だいぶ魔王城でサボってしまったからな。少しだけ、皆に貢献する」
そう言うと、ピィは大きく息を吸い込んだ。何もない場所で両手をこねて体内の魔力を集めると、一瞬にして薄灰色の塊を練り上げる。
「巡れ、雲花……注げ雨槍!」
ピィが片手を勢いよく突き上げると、一気にグレーの雲が空を覆った。途端に、ゴーレム共目掛けて激しい雨が降り注ぎ始める。魔力が含まれた雨粒にあたったゴーレムは、グズグズに溶けて崩れ始めた。
「おお……! 感謝するぞ、魔王殿!」
「うむ。すまんがクリスティア、ここから先はまた任せる」
「ええ、どんと来いですじゃ。ありがたいことに、頼もしい味方も大勢おりますでの」
「人間さーん! なんか知らないけど泥人形めちゃくちゃ倒れてるよ! チャンスだよ! 弱った奴から仕留めて行こう!」
「わ、分かりましたスライムさん! では、弱っている奴がどいつか教えてください!」
「全部!」
「全部かー!」
なんだか賑やかな味方勢がクリスティアの背後を駆けていく中、再び彼女も戦場に身を投じていく。相当お年を召しているだろうに、パワフルな人だ。
「そいじゃ、あのヤベェ奴のとこに行きゃいいんだな?」
「ヤベェ奴で何も間違ってないが、そろそろ名前を覚えてくれ、ガルモデ」
「さっきルイが飛んでったのも見えたしな。アイツもそこにいるだろ。飛ばすぜ、ピィ!」
そして二人は、ヒダマリとネグラの待つ研究室へと急いだのである。
「……これは、どういうことだ」
しかし、ピィとガルモデを迎えたのは、あまりにも衝撃的な光景だった。
ピィはガルモデから降りるや否や、透明なガラス容器に駆け寄る。そして、その向こうにいる存在に声を張り上げた。
「なんで、お前がそんな所にいるんだ!」
ピィの悲鳴が研究室を満たすも、ガラス容器の中にいる美しい魔物――ルイモンドはピクリとも反応しない。まるで標本のように目を閉じて、黒い泥と赤い液体の混ざる海に身を委ねていた。
「……る、ルイモンドさんが、そう望まれたんです」
心乱されるピィに声をかけたのは、意外にもネグラだった。
「と、突然、研究室の壁をぶち抜いて入ってきて。で、自分の体についた泥を、分析してくれと僕とヒダマリに言ってきたんです」
「なら、泥だけ取ってルイは解放してやれば良かっただろ! なんでこんな……体ごと……!」
「……ここに来た時点で、魔物型のルイモンドさんの体は大部分が泥と一体化していました。全ての泥を無理矢理剥ぎ取れば、それこそ命が失われていたほどに」
「……!」
ピィは息を飲み、青ざめる。そんな今にも崩れそうな彼女の手を握ったのは、友人であるヨロ国の王女だった。
「ピィちゃん、気をしっかり持ってらして」
「マリリン……」
「大丈夫。まだルイモンド様は生きてらっしゃるわ」
「……生き、て……?」
「ええ。お兄様が作ったこの溶液の中にいれば、泥の浸食の進行を遅らせることができるのです。勿論、根本的な解決にはならないのですが」
「……進行を」
マリリンの言葉に、ピィはガラスの中のルイモンドを見上げる。確かに、よくよく見れば呼吸するようにゆっくりと胸が上下していた。
「本当だ……生きてる」
「はい」
「でも、なんでヒダマリはそんな都合のいいものを?」
「元はネグラ様の為に作られたものだそうですわ。珍しい竜族の変異体である彼のツノや翼の一部をこの溶液に入れておけば半永久的に保存ができると考えてのことで」
「ヒダマリはどんどん気持ち悪くなるな」
「普段は素敵なお兄様なのですけど……」
だが、その変態気質のお陰でルイモンドは一命を取り留めたらしい。感謝すればいいのか呆れればいいのか分からなかったが、とりあえず頭が冷えたピィはヒダマリにお礼を言った。
けれどヒダマリは、無表情に首を横に振る。
「礼は不要ですよ、魔王殿。我が国を襲うゴーレム共の生きた検体、しかも魔物の侵食過程を観察し分析できる機会をいただいたんです。……この状況下で、いち早く敵の次の一手を知れたのは大きい。お礼を言うのは、むしろこちらの方です」
「そこはルイの判断を褒めてやらねばならないがな。あれが人間を……いや、純粋に他者を頼るのは珍しいから」
「……」
「……なぁ、ヒダマリ」
「はい」
「コイツを調べれば、泥の正体は解明できるのか。そうすればルイは助かるのか?」
「……そうですね」
ピィの問いに、ヒダマリはチラとルイモンドに目を向けて返す。
「もしかすると、泥がどういう仕組みで生物の細胞を侵しているかという点は分かるかもしれません。ですが、助かるかどうかまでは明言しかねます」
「そうか。……せめて、この泥を外してやることができれば良いのだが……」
「おうおう、それについちゃ一つオレ様に心当たりがあるぜ!」
突如割って入ってきた明るい声に、一同の視線が研究室の入り口に集まる。そこにいたのは、意外な人物であった。
美少年に支えられた背の高い一人のチンピラ。彼はピィに向かって「よ」と片手を上げると、ニィと笑ったのである。
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