第3話 相反
オオカミ野郎との戦いから3日、俺はラジオが置かれている簡素な丸いテーブルと2つの椅子、大きなベッドがあるだけの薄暗い自宅アパートの自室にいた。古びたベッドに座り、左頬の絆創膏にそっと触れる。オオカミ野郎につけられた傷は既に完治している。だが、誰にも見向きもされなかった「ブレイブレオ」を、守るべき人間の1人が心配してくれた。1人の存在として見てくれた。この絆創膏が、誰かが俺に関心を向けてくれた何よりの証に思えたからこそ、絆創膏をまだ剥がしたくなかったんだ。
俺は今まで知らなかった。自分を見てくれる者がいることが、こんなに嬉しいのだと。
ふと、右手首に巻いている安物の腕時計に目を向ける。
「そろそろ出ねぇとな。バイトに遅れちまう」
俺の収入源は資材搬入アルバイトだった。異世界から来訪した俺は、当然だが人間の文化に慣れていない。鍛え抜いたこの身体が、人間の世界で食いつないでいくための唯一の武器となっている。
自宅アパートを出てしばらく歩いた場所にある横断歩道。赤の歩行者信号で立ち止まり、何となく反対側にいる歩行者に目を向けると、通学中のアキラが見えた。
この辺に住んでいるのか?
やがて、信号が青に変わり、アキラや周りの人間が歩きだす。
アキラは、俺の人間としての姿を知らねぇ。当然、俺に気づくはずもなく、通り過ぎればすぐに忘れる存在としか俺を見ていない。
この姿だと、気づくわけねぇよな……。
俺は歩いてくるアキラをその場で見ていたが、突如信号無視の車がアキラ目がけて突っ込んでくる。
「危ねぇ!!!」
咄嗟にアキラの方へ、俺は走り寄る。アキラは恐怖心からか、その場で凍りついているようだった。
全力で走ったが、半獣人体の時に比べて半分もスピードが出ねぇ! クルマか、人間体の状態でぶつかられたら……いや! アキラを失うよりは怖くねぇっ!!
俺はアキラを身体に抱きかかえた状態で、歩道まで滑り込んだ。右腕の前腕を強い痛みと共にガリガリと地面にこすらせ、やっと止まった。
「ハッ、ハァッ……気をつけやがれ!!」
激しく息を荒げ、そのまま通り過ぎて行った車に叫ぶ。呆然としているアキラを立ち上がらせて、アキラが怪我をしていないか確認する。幸いにも、怪我をしたのは自分だけだったらしい。
強張っていた身体から力が抜け、安堵の息が思わず出る。
「これからは、もっとクルマに気をつけろよ。じゃあな」
俺が背を向け立ち去ろうとした時、アキラが後ろから呼び止めてきた。
「あっ、ちょっと待って。おじさん、腕に怪我が!!」
「これくらいの怪我なら平気だ。普段から怪我をすることが多いんでな」
「駄目だよ!! 少しの傷でも、放っておけば治るのが遅くなるじゃないか。俺、包帯と傷薬を今持ってるから、せめて傷の手当てくらいさせてよ!!」
「何で、そんな物を持ち歩いているんだ?」
「……おじさん、獣人達から俺達を守ってくれるライオンのおじさんを知ってる? 俺、前にそのおじさんに助けられたことがあるんだ。もし、今度助けてもらうことがあったら、次はちゃんと手当てしたいから」
「……気にかけているのか? そいつを」
「まだ、完全に信じたわけじゃないけど、ね。そんなことより、傷を洗わないと!」
近くの公園で傷を洗い、アキラが傷薬と包帯で手当てをしてくれた。俺は自分の傷より、アキラが無事だったことに内心、安堵していた。
「これでいいかな。俺もそろそろ学校に行かないと。おじさん、本当にありがとう!!」
アキラはそう言うと、学校への通学路を走っていく。
信じたわけじゃない。そうは言っていたが、気にかけてくれているのは確からしい。
「礼を言うのはこっちの方さ……。俺も、早くバイト先にいかねぇとな」
***
夕方、獣人達との戦いを終えて自宅アパートに戻ってきた後、以前会ったアキラの母さんがアキラと共に俺の部屋を訪ねてきたのには心底驚いた。何でも、アキラの母さんとアキラは母子家庭で、家賃の安いこのアパートの1階に引っ越してきたらしい。
その時、思わずアキラの名前を口に出しかけたのには焦った。ブレイブレオの姿ならまだしも、人間としての姿「ゴウキ」の時にはまだアキラの名前を知っているはずはないのだからな。
形式的なやり取りの中で、アキラの母さんから今朝アキラをクルマから助けた礼も言われた。かなり素っ気ない印象を受けはしたが。だが、それも無理はないかもしれねぇ。獣人達との戦いで身体に負った傷は隠せても、顔の傷までは流石に隠し通せねぇ。そりゃ、会うたびに顔に傷を作っている大柄で筋肉質な男に親しみを持てというのは無理な話だ。おそらく、アパートの住民達に何かしらの噂でも聞いたのだろうな。
獣人達との戦いを終えて疲れ果てていた俺は、ひとっ風呂浴びた後眠りにつく。戦士と一般人の二重生活は、半獣人の俺でも流石に厳しかった。
また、アルバイトを途中で抜け出しちまったな。罵倒されて辞めさせられてばかりでは、この先食べていけるかどうか。……だが、守るって決めちまったんだ。明日になったら、また時間の短いアルバイトを探さねぇとな。
***
「ごぉー、ぐぉーー。……ん」
深夜、妙に寒さを感じて目が覚めた。部屋のカーテンが、風も吹いてねぇのに揺れたように見えたが……。
「……気のせいか」
俺は再び目を閉じ、眠りにつこうとした。だが、突如何者かに首を強く絞められる。
「ガッ、ハッ!! な、何もんだ、てめぇ!!」
目を開くと、赤く目を光らせながら不気味な笑みを浮かべる大きな人影がいた。
いつ侵入しやがった! 疲労していた上、人間体だったから足音を聞き逃したのか? 突然のことに驚きながらも、なんとか侵入者の手を引き剥がし、ベランダに放り投げる。
ガラスの割れる大きな音が響いたあと、月明かりに照らされた襲撃者を見据えた。
「なっ!!!」
襲撃者の姿を見て、俺は驚愕する。なぜなら、その姿は俺の人間体、ゴウキと瓜二つだったからだ。だが、投げ飛ばされベランダに叩きつけられたショックからか、俺と瓜二つだった姿は組織の戦闘員へと姿を変えやがった。
「てめぇは!! 一体何のつもりだ?」
「クククッ、人間風情に教えたところで何の意味も無いだろう? だが驚いたな。人間の割には力がある。お前はいい実験体になるだろう。このアパートにいた他の人間共同様、貴様も我らの組織で実験体になってもらうぞ!」
戦闘員は俺に飛びかかり、俺を捕らえようとする。俺は握り拳を胸の前でぶつけ、半獣人体に瞬時に変身すると向かってくる戦闘員を容易くあしらい羽交い絞めにする。
「き、貴様は裏切り者の半端者! あれが普段の姿だったのか!」
「……答えろ。実験体ってのはどういう意味だ?」
憤激を押し殺し、俺は静かに詰問する。
「お、教えるものか、半端者! こ、これで俺を拘束したつもりか!! この部屋に侵入した時と同様、身体を霧状にすれば貴様の拘束など!!」
「……俺が炎使いだと知らねぇのか? 身体を霧状にしようが、俺の異能でてめぇを蒸発させる事は簡単なんだぜ。さぁ言え!! さもねぇと、てめぇの命はねぇぞ!!!」
俺は羽交い絞めにした腕に、相手の骨が砕ける寸前まで力を込める。
「わ、わかった。教える。これは我らビーストウォリアーズの新たな作戦、人間と我ら戦闘員を入れ替え、無数に潜伏した我ら戦闘員が獣人と協力して貴様を数で圧倒し始末するという作戦だ。獣人達を手こずらせている貴様を始末し、同時に人体実験に使う人間を確保しようというのが組織の計画だ」
「戦闘員共と入れ替えた人間達をどこへ連れ去った!! このアパート以外の場所にも手を出しやがったのか!!」
「そ、それだけは……」
「言いやがれ!!!」
「こ、この街の南にある廃工場の中だ。そこに今まで入れ替えた人間達が捕らわれている。このアパート以外の場所には、まだ手を出していない」
「嘘じゃねぇだろうな?」
「下級戦闘員の俺でも命は惜しい! 本当だ!!」
「……約束は守りてぇが、てめぇは俺の正体を知っちまった。だから、お前には消えてもらう」
戦闘員が抗議の言葉を放つ前に、俺は奴の首をへし折った。光の粒となり、戦闘員が消滅する。焦燥感に駆られる心を必死に押し殺し、俺はアパートの自室を飛び出した。
頼む、間に合ってくれ!!!
***
「な、なぁ、これからここには実験体の人間達が、沢山集まるんだよな? だったら、1人くらいなら俺の食糧にしてもいいだろ?」
「草食動物を元に強化改造された獣人なのに、人間を食べたいのですか? 駄目なものは、駄目です!!」
「ヒェッ、そ、そんな怒鳴らなくてもいいじゃねぇか」
「首領様がなぜ人間達の人体実験にこだわるのかはわかりませんが、まだ指示された人数の半分も集められていないのですよ。それに、あなたは我々の護衛の意味でこの場所にいるのです!!」
「そ、そんなこと言ったってよ……。見ろ、あの人間のガキなんかかなりうまそうで我慢できねぇよ」
廃工場の中で茶色いまだら模様の身体をしているキリンの獣人と、白衣を着たネズミの獣人の1人が俺達から少し離れた場所で話している。後ろ手に縛られている手が震えているのがわかった。
「そ、そんなこと言ってられるのも今のうちだ。お前らなんか……」
「……フン、あの半端者が助けに来てくれるってか?」
キリンの獣人は仲間の獣人にはあんな弱気だったのに、それが嘘のように余裕を見せてくる。
さっきのやり取りを見ても、この獣人がライオンのおじさんみたいな強い存在だとは思えない。でも、そんな小物が相手でも歯向かえば簡単にひねりつぶされるんだ。悔しくて歯をくいしばってみたけど、結局俺には何もできないんだ。
ライオンのおじさんは、確かに俺達を守ってくれるって言ってた。実際、学校が襲われた時にも傷だらけになって助けてくれた。……おじさんをかっこいいと思ってるのは、確かに本当だけど。初めて出会ったあの日、ライオンのおじさんは俺と母さんを殺そうとした。だから、まだ……。
「生意気なガキだ。1人くらいなら実験体が減ったって問題ねぇだろ。なぁ、頼むよ!」
「仕方ないですね。その代わり、食べたらしっかり働いてくださいよ」
ネズミの獣人に許可をもらったキリンの獣人が、よだれを垂らしながら俺に近づいてくる。俺は何もできず、後ずさりするしかなかった。
……怖い。……でも、俺はもう逃げたくないんだ!! ライオンのおじさんみたいに強くなって、学校の奴らを絶対に見返してやるんだ!!
逃げ出すくらいなら、少しでも立ち向かってやる! キリンの獣人に向かって俺が突っ込もうとした、その時、物凄い音と一緒に廃工場の天井を突き破って何かが姿を現した。その人は、間違いなくライオンのおじさんだった。
ライオンのおじさんは俺とキリンの獣人から、少しだけ離れた所に着地する。
「半端者のご登場か。よかったな人間共! 貴様らのヒーローが無様に殺される所を見られるぞ!」
「……じゃねぇよ」
「な、何だよ、半端」
「俺の大切なものに、手を出してんじゃねぇよ!!」
今まで見たことが無い程の怒りと殺気を剥き出しにするライオンのおじさんを前にして、キリンの獣人が後ずさったのが見えた。
「は、半端者の分際で、俺に殺気を向けるとはいい度胸じゃねぇか! 俺の雷で一瞬で丸焦げにしてやるよ!」
キリンの獣人はそう言って、両手をライオンのおじさんに向ける。キリンの獣人の口元が少しだけ笑っているように見えた。
次の瞬間、ライオンのおじさんに向けられていた両手が俺の方へ向けられる。
「スパークリング・パワフル・サンダー!!」
「うわあぁぁぁ!!!」
俺に向けて放たれた、視界を覆う煌めく緑色の電撃に思わず叫んでしまった。
でも、次の瞬間俺は生きていた。閉じていた目を開けると、自分の周りを円形のバリヤーが覆っていることに気がつく。前にオオカミの獣人に学校が襲われた時に、俺達を守ってくれたのと同じ物だった。
緑色の電撃でよく見えないけど、かろうじてライオンのおじさんが俺の方に右手を向けているのが見えた。
「キリン野郎!! てめぇの相手は俺だろうが!!」
「ヒーロー気取りの半端者だ。弱点を狙うのは当然だろうが。それに、そんな薄っぺらいバリヤーで俺の雷を防ぎきれると思っているのか? 舐めるなよ、半端者が!!」
キリンの獣人から放たれる緑色の電撃が規模を増して、俺を覆っているバリヤーにひびが入り始める。
「くっ!!」
ライオンのおじさんは俺に右手を向けたまま、俺の方へ走ってくる。俺を覆うバリヤーのひび割れが少しずつ大きくなっていく。バリヤーが破られそうになったその時、ライオンのおじさんはその身体を盾にして俺の前に立ちはだかったんだ。
「ぐぁああああああ!!!!」
肉が焼け焦げる嫌な臭いがしたと思うと、ライオンのおじさんは片膝をついた。今の電撃で、俺が前に貼った絆創膏も一瞬で焼け落ちてしまっている。
「ライオンのおじさん!!」
「馬鹿が!! 放っておけばよかったじゃねぇか!!」
「丁度……いいぜ。そこの人間達が……アキラが味わった恐怖の分だけ……自分が激痛を受けなければ……俺は俺を許せなかった!! 戦う力の無い人間達が安心して住む場所に、人間の数倍の力を持つ戦闘員共が侵入して襲い掛かってくる。実験体にすると言って、拉致される。どれ程の恐怖だ!! 俺を狙った作戦に巻き込まれたせいで、アキラは死にかけた!! 俺の大切な存在に、手を出したんだ!! 覚悟はできてんだろうな!!!」
……俺を巻き込んだから、ライオンのおじさんは怒ってるの? 俺は、ライオンのおじさんを疑って、信じてなかったのに。そんな俺のために!!
それに、ライオンのおじさんが言ってた人間を守るって誓いは、本気だったんだ。ライオンのおじさんはずっと1人で戦ってくれてたのに、俺はそれを疑って……。
ライオンのおじさんが受けた雷のダメージ。それが相当なものだったことが見ていてわかる。ライオンのおじさんは肩で大きく息をしていて、まだ片膝をついたまま立ち上がれずにいた。
こんな奴に、ライオンのおじさんが負ける? そして、殺される? ……嫌だ。今まで疑ってきた罪悪感からだけじゃない。俺達のために、こんなにボロボロになって必死になってくれる人が殺されると思うと悲しいんだ……。
いつの間にか泣いていた俺は、涙声のまま必死になって叫んでいた。
「ライオンのおじさん、頑張って!! このままおじさんが死ぬなんて、嫌だよ!! こんな奴よりおじさんの方がずっと強いんだ!! だから、負けないでよ!!!」
「光、獣人を刺激しちゃ駄目!!」
ライオンのおじさんの耳が、ピクッと動いたように見えた。
「なっ! 獣人である俺が、半端者より劣るってのか!! フン、どうせ食っちまうんだ。貴様ら2人、まとめて死ね!! マイティー・サン……」
「てめぇの技は」
「グッ、ゴボォ!!」
「タメが長ぇ!!」
キリンの獣人が緑色の血を吐き出した。ライオンのおじさんが一瞬のうちに距離を詰め、その腕でキリンの獣人の腹を貫いたのだ。光の粒になって、キリンの獣人が消滅した。
***
「……悪かった。今回の獣人達の作戦は、俺を狙っての面もあったからな。人間をさらってどうするつもりなのかは知らねぇが、危ねぇ目に遭わせちまった」
廃工場に残っていたネズミの獣人達、戦闘員達を全員倒した後、自分が原因で守るべき人間を危険に晒してしまった面もあると言って、ライオンのおじさんは俺達に頭を下げて謝ってくる。
「あなたが獣人達と戦うことで、救われる人がいるのはわかります。でも今回のように、あなたがいるから巻き込まれてしまう人もいるんです。なるべく私達には関わらないでください」
「母さん、ライオンのおじさんは俺達を助けてくれたんだよ!! そんな言い方」
「あなただって、もう少しであのキリンの獣人に食べられていたかもしれないの! 私は、あなたのように獣人達と戦う事、向き合う事が正しいとは思いません。たとえ恥でも、彼らからは逃げた方がいいと考えます」
「……確かに、今回の事は俺のせいである面もあった。だが、逃げ出すことが正しいとは思わねぇ!! 俺は半獣人。逃げてばかりいたら、獣人達に対抗できる力を身につけることはできなかった。困難には向き合ってこそ意味があるんだ!!」
「それは違うと思います!!」
ライオンのおじさんは怒りを感じたのか声を荒げて、母さんを睨む。母さんの方も一歩も引かず、ライオンのおじさんの目を真っ直ぐ見つめ返していた。
少しの間母さんと睨みあっていたライオンのおじさんは、俺達に背を向けて立ち去ろうとする。
「ライオンのおじさん、今まで疑っててごめん!! 助けてくれて、本当にありがとう!! 俺、おじさんを応援してるから!!」
俺の言葉に、ライオンのおじさんはわずかに振り向いた。
「ありがとよ……」
短いけど感謝の言葉を言い残して、ライオンのおじさんは跳躍して廃工場を後にしていった。瀕死の戦闘員が微かに動いた気がしたのが気味が悪くて、俺達もすぐに廃工場は立ち去った。
ライオンのおじさん、大丈夫かな……。酷い怪我をしてた。廃工場から立ち去った後の道中、俺はそんな事を考えていた。
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