第10話 実々:小心者の戦い。


 二人しか居ない部屋で一人は畳の網目を見つめ、もう一人は畳の網目を見つめる者の頭頂部を見つめていた。

 頭頂部を見つめている方は凄く気まずい。何故なら後ろめたいことがあるからだ。



*****


時は遡ること数分前



 「……ここは?」


私は不思議な空間に来ていた。

 周りを見渡すと綺麗な竹林があり、その右側に一本だけ梅の木が植わっていた。

 そしてその竹林に囲まれるように一軒の木造の家屋?って言っていい程のものかわからないが、なんかこぢんまりとした建物があった。


 そしてその建物の入り口の上部には『山陰亭』と書かれた木の看板が掛かっており、なんか老舗のうどん屋さんとかみたいな感じだなぁーと思った。

 しかし、竹林と梅の木と建物がある以外は空も地面も竹林の奥も真っ白な空間でただただ異様としか言いようがなかった。


 極めつけは私の格好だ。

 夢の中とはいえ大分ぶっ飛んでいる。

 だって人生で大学の卒業式の時に一度しか袖を通したことがない袴姿だったのだから。しかもアレだ……巫女ルックだ。

 こんなちんちくりんの私がこの格好をしたら年末年始の神社のおみくじ売り場の高校生アルバイトの娘にしか見えない。


 上半身は肌襦袢の上から白衣を纏い、下の袴はTHE巫女さんといったような緋袴。

 そして腰の部分には白い上指糸うわさしいとの装飾が施されていた。

 足元は白足袋を履き、赤い鼻緒の白木の草履だった。

 肩より少し長い髪も、後ろで緩く結われていた。

 鏡がないのでちゃんとは分からないが、この指で触った感覚はゴムじゃないな…?紙?和紙っぽい??もので結われていると思う。


 ここが夢の中だとしても現実味がなさ過ぎて心がどうしようもなく落ち着かなかった。

 しかし、いつまでも入り口でウロウロしている訳にもいかないので意を決して山陰亭と書かれた建物の引き戸に手を掛けて「お邪魔しまー…す」と言いながら一歩踏み出した。


 中に入ると直ぐに段差があり、八畳はある広さの部屋の壁、三面全部に和綴じの本と紙の束と木札(木簡?って言うんだっけ?)がびっちり収められており、部屋の広さは実質四畳くらいしか無い。

 また、部屋の隅に申し訳程度に小さい文机があり、その机の上には筆と硯が置いてあった。床は畳張りだった。

 そして部屋の正面真ん中に多神さんが丸い座布団に昼間会った時と同じ格好で座っていた。

 ……部屋と格好のギャップ凄い。

 その向かい側には多神さんが座っているものと同じ丸い座布団が置いてあり、「あぁ、あそこに私が座るのか」と早くも来たことを後悔するのだった。


 もう一度私は呼吸を整え、「……お邪魔します」と言いながら下駄を脱ぎ、畳の上死刑台へと上がるのだった。


 ………


 ……なぜ一言も発さないのか。


 気まずい。

 すっっっっごく気まずい。

 私から何か言わなきゃなの?

 えっ?!なんて言う??「こんばんは〜」とかで良いの!?

 夢の中なのに脇汗ヤバい。……寿命縮みそう。

 私の顔色が段々青くなっていったことに気付いたのか、それとも私の心の声を読んだのか分からないが、


 「良く来たな」


と、一言言ってくれた。

 でも空気の重さは相変わらず重く、私はぎこちなく「…は、はい」と答えるしか出来なかった。

 次は私の話すターン?

 どっちだ??


 頭の中でクエスチョンマークと焦りがグルグル回っていると多神さんが、


 「余に聞きたいことがあるからここに来たのだろう?特に質問することはないとは昼間言っていたが、それは『麻来の前で聞ける質問はない』ということだったのだろう?」


と、いきなり核心を突いてきた。

 こういう話は場の空気を温めてから切り出すのが相場なのに。

 ……まぁ神様と世間話が出来るかって聞かれればそれも難しいが。

 やっぱり神様はあーちの心の声だけじゃなく、私の心もお見通したったんだな、と一人納得した。

 もう知られているんだし、ここは勇気を出すしかない!

 私の小さい心臓よ、どうか耐えてくれ!!


 「はい、あります。…でも返ってくる答えはわかっているんです」

 

 私は思わず俯きそうになる自分の頭を意識して上げた。

 …じゃないともう顔を上げられない気がしたから。

 ちゃんと目を見て話さなきゃ!


 「あーち……麻来の病気は元の世界に戻ったらまた、そうなってしまうんですよね?」


 声に出した途端目の奥が熱くなった。

 思わず唇を噛んで何度も飲み込んだ。

 わかってる、この一年間だけが『特別』だってことは。きっとあーちもわかってる。花粉症とか冷え性とかはどうだって良い!

 ただ……この病気だけは元の世界に戻っても治っていて欲しかった。


 神様は私を見つめた後、何も言わずに瞼を閉じた。

 ……ああ、わかってた。

 わかっていたことだけれど現実を突き付けられるとやはり、目の前が、足下がどうしようもなく暗くなってしまう。

 瞼を閉じている神様を見ていられなくて、私も瞼を閉じて神様を視界から消す。


 きっとあーちは私がこの質問をしたことを知ったら「余計なお世話よ」と一蹴するのだろう。

 でも、今日知れて良かったのかもしれない。

 一年後元の世界に無事に帰れたその時に初めて知るのはきっと、もっと辛くてもっと苦しくなっただろうから。

 この神様がくれた『特別』な時が、より『特別』だと思えるようになっただけ。

 だから私は閉じていた瞼を開き、神様を見つめ、


 「ありがとうございます」


と、一言だけ言った。

 神様は私の返しに少し驚いたようだったが、何も言わず一つ頷いてくれた。

 私はその反応が少し面白くて「ふふっ」と思わず声がもれてしまった。

 この神様は優しい人?なんだと思う。

 もうあの重たい空気はこの部屋の何処にもいなかった。


 「病を治してくれる神様の名前ってご存知ですか?」


 元の世界に戻れた時にはあーちとお参りに行こうと思い、聞いておくことにした。

 神様は一瞬考える素振りを見せたが、直ぐに思い出したのか答えてくれた。


 「……少彦名すくなびこな様だ。共に国造りをなされた大国主おおくにぬし様と一緒に祀られていることが多い」

 「なるほど、ありがとうございます。元の世界に還れた暁にはあーちと参拝しようと思います」

 「うむ。……他に聞きたいことはないのか?」

 「他に……?うーん…あっ!神隠しって仰られてましたが、具体的にはどうなるんですか?存在そのものが消滅するってことですか?それとも黄泉の国へGO!ってことでしょうか?」


 もうついでだから聞いてしまおう!

 どうせ私たちは引き返せないんだから。

 神様の掌の上でコロコロ転がされている小さい命なんだし。

 すると、多神さんの顔色が見るからに変わった。……悪い方に。

 えっ?!こんなに急に顔が真っ青になっちゃう人、あ、神様か、初めて見た。しかも瞳がめっちゃ泳いでいる。眼精疲労起こしちゃいそう。

 ……そしてハイライトがお亡くなりになった。


 えっ?!

 この多神さんが私たちの命を握ってるんじゃないの?この人じゃないとするなら誰なの??…まだ目は死んでるし。


 ……この瞳を私は知っている。


 この瞳は私が働いていた会社のM部長の瞳だ。

 社長や常務、専務に「部下をちゃんと育てろ!」や、「お前がそんなんだから下に示しがつかないんだ!」と上から圧力をかけられ、下から次長や課長に、「上にこの意見を通して下さい」「M部長くらいしか上に言える人いないんで」と板挟みに遭っている…M部長の瞳だ。

 M部長はお元気だろうか…。私が退職する時に何故かカッティングボードをくれたM部長は。

 と、ついついM部長に想いを馳せてしまったが、今はこの目の前の現実(夢の中だとどう言えば良いんだ?)に集中しなければ……

 なのに、神様の目はまだ死んでいる……。

 あぁー、これ聞いちゃいけないやつだ。

 なんか私が悪いことしちゃったみたいだ。なんか…凄く居た堪れない。


 「すみません、言い難いなら良いです。き、気が向いたら教えて下さい」と、言うしかなかった。


 気が向いた時に教えて貰う内容ではこれっぽっちもないが致し方ない。

 神様は私が聞くのを止めたことに心底安堵したようだった。

 …めっちゃ呼吸深い。


 そして、「……っ、すまない」と一言零した。

 …これは何に対しての謝罪なんだろうか。

 今この場で言えないことに対する謝罪か、それとも口ではとても言えない様な末路を送ることになる私たちに対しての謝罪か。

 

 また変な沈黙が流れた。


 そして再びの重たい空気……この空気を作りだしたのはお互いに責任がある。

 ここは一つ神様を持ち上げて元の空気に戻そう!


 「遅くなりましたが、不眠、冷え性、肩こり、視力を治して下さりありがとうございました。、一年だけでもとっても嬉しいです」と、素直に感謝を伝えた。


 あーちの病気に比べれば私の不健康なんて些細なものだが、やっぱり健康な身体というだけで嬉しい。



***


実々の小話 不眠と肩こり


 私の不眠は社会人時代まで遡る。私が入社した会社は正直言うと…ブラックだった。

 朝の朝礼で専務が「労基(労働基準法)は大手(企業)に任せておけ!」と高らかに言ってしまうくらいのブラックだった。


 就業時間はホームページでは9時30分からになっているのに実際は8時30分から朝礼があったりする。

 そして私は1時間半かけて会社に行っていたのだが7時30分には会社がある駅に居て、8時前には制服に着替えて掃除やプリンターの紙の補充などをしていた。

 四月には四人いた仲間が六月の頭には二人になっていた。…いや、五月の真ん中くらいには二人だったか。


 そして毎日20時ごろまで会社に居て、ほぼ12時間働き詰めの日々が続いた。

 そんなの社会人として当たり前だと言われればそれまでだが、残業代はそもそも存在しない。

 毎朝5時30分起きをしなければならず、23時前には寝たかったので、家に着くのが21時を過ぎた時はどんなにお腹が空いていようが食べずにさっさとお風呂に入って寝ていた。


 寝る前に毎日「もし、遅刻をしたらどうしよう…」という強迫観念が頭を支配し、寝付きも悪く、母やあーちの話し声が聴こえてくると「えっ!?もしかしてもう朝なの!?どうしよう!遅刻だ!」と焦って飛び起きることも何回かあった。……時計は23時30分を指していた。

 ……そして目覚ましの30分前には起きていた。


 ストレスフルな環境のせいで不眠だけに留まらず、身体はあちこち不調を起こし始めていた。肩こり、頭痛、肌荒れ、生理不順等など……身体は正直だった。

 そんな毎日にも慣れてきた?六月の初めの水曜日、「取引先の展示即売会で今週末スペース借りてやるからお前ら売り子になれ。土日一人ずつな」と、言われた。

 営業じゃなくて事務なのに…。しかしこの会社においてそんなの関係なかった。


 貴重な週末が!しかも今週末!?既に予定は埋まっていた。


 土曜日:整体(予約済み)

 日曜日:亮とデート(三週間ぶりくらいに会う)


 もちろん私は……

 

 日曜日の販売会に行くことに決めた。

 同期の子だけでなく、先輩や課長まで、デートの方に行きなさいと言っていたがその時の私はデートよりも整体の方が大事だった。


 「そのデートのキャンセルで別れることになったらそれまでの関係だったということです」と言い切ってやった。

 あとついでに、「別れることになったらなんか責任取ってください」とも言ってやった。


 結果としては別れる事にはならず、その日曜出勤で獲得した代休で姉とネズミの国へ遊びに行くというご褒美を得た。

 亮に代休を使わないのかって?

 ……おいおい笑わせなさんな。


 その一年後の夏、結婚して会社を退職し第一次不眠症は治ったのであった。


 第二次不眠症は出産後にやってきた。

 実家に里帰りしている間は母もあーちも姉もいたのでそれなりに寝ることが出来たが、里帰りを終え、家族三人暮らしになった時に寝られなくなった。


 花奏が夜中に三回は泣き、その都度おっぱいをあげ、何かぐずればお腹ポンポンをしたり、オムツを替えたり、亮は夜泣きで起きたことは一度もないが、仕事で疲れてるから起こすのも悪いと思い慌てて花奏を泣き止まらせるという日々が卒乳するまで続いた。


 そして卒乳後は花奏の寝相の悪さで寝られなくなった。

 亮の出張が増え、平日はほとんど家に居ない状態になり、花奏が剥いだ布団を掛けてあげる人員が私だけという状態だった。

 …あ、亮は居たとしても人員としてはイマイチ頼りないか。


 冬の寒い時に布団を剥いだまま朝まで過ごさせて冷たくなった状態で発見!ということになったらシャレにならない!と、私の中のどれくらいあるか分からない『母性』『良心』『義務感』が無意識にも働き、夜中に二回は起きてしまう身体になっていった。

 しかも、全体的に睡眠が浅い。

 私のたった150cmに少し毛が生えた程度の身長の人間の腕の長さじゃ守れる範囲が狭過ぎる。……だってちっこいもん。

 一人の尊い命を守るには不眠と共存するしか私に残された道はなかったのである。    

                    end.


***


 そういうわけでぐっすり眠れる有り難さ、肩を回しても変な所が「ゴリッ」っと鳴らない有り難さ…尊い。


 神様は私の何を見たのか同情の眼差しで、


 「そ、そうか、よ、良かったなっ……」


と、仰られた。


 「あっ!そういえば、あーちとはこれからですか?」

 「…そうだが?」


 私は三つ指をついて頭を下げた。


 「あーちにこの度は機会を与えて下さり、ありがとうございました。まだ無事に元の世界に戻れるのかは分かりませんが、一生でそう何度も無い、全力で一つの事に取り組めるという機会は確かに何かを変えてくれると思います。私もあーちの心を知ることが出来て良かったです。だから本当に神様には感謝しています。一年間?どうぞ宜しくお願いします」


 そして時は冒頭に戻る。



*****


 神は……気まずかった。

 ただただ気まずかった。


 「うむ。……その、な?麻来は勿論だが、実々もしっかりサポートを頑張るんだぞ。『余は』其方らの味方だからな。だからちゃんと……やり切れよ」


 私は頭をゆっくり上げて神様を見つめたが、神様は歯に何か挟まっているのか、何処か居心地が悪いような表情をしていた。

 しかし、表情も気にはなるが、先ほどの言葉の中の『余は』って言い方が、他に『何か』居るって言ってるようなニュアンスがして怖い。

 お化け本当にダメなんだって!


 「…は、はい。宜しくお願いします。頑張ります」


 としか言えなかった。

 神様はもうこの空気に耐えきれなくなったのか、


 「あーっ…帰りは扉を出て暫く歩くと、この夢から醒めるからな。今後の健闘を祈る。何かまた知りたい事や困ったことがあれば来ると良い」


と、ぎこちなく退席を促してきた。


 私は「はい、ありがとうございました」と、一言頭を下げてから立ち上がり、草履を履いて引き戸に手を掛けた。

 そして最後の挨拶をする為に神様の方を振り返り、


 「ありがとうございました。……その、お疲れ様です。この後のあーちの事宜しくお願いします。…あっ!参考文献は文字数に入れて頂かなくて大丈夫ですから。あと、あーちには私が来たことは内緒にして下さい」


と言って最後にまた頭を一つ下げていよいよ扉から出たのだった。


 数歩進んでから来た道を振り返り、竹林の右脇に一本だけある梅の木に目がいく。

 梅の木……この神様は梅の木が好きなんだろうか。

 梅の木と言えば太宰府天満宮の飛梅、そして太宰府天満宮と言えば……


 『梅ヶ枝餅』!


 あれめっちゃ美味しいんだよねー、あーちに今度600文字くらいキンちゃんに多めに打ってもらって、スーパーの冷凍食品コーナーに売ってる五個入りの梅ヶ枝餅買おうよって言ってみよう!


 もう頭が梅ヶ枝餅で一杯になりながらまた建物の反対側へ歩を進め、暫く歩くと視界全てが白色に染まり、どちらが上か下かも分からなくなったと思ったら、少しの浮遊感とともにゆっくりと瞼が自然に閉じられていったのだった。



*****


 「……おぉッ!夜寝てから一度も夜中に起きないで朝を迎えたのなんて何時ぶりだろう!」と、言いながら興奮して起き上がったのは言うまでもない。


 今日から本当に『特別な』一年間の最初の一日が今始まった。


 

 「朝はパンッ!パンパパンッ!」



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