永遠の疾風(かぜ)サイレンススズカ

篁戀

沈黙の日曜日

1994年5月1日

父馬サンデーサイレンス、母馬ワキアとの間に生まれたのがサイレンススズカだ。

サイレンススズカのデビュー1年目の成績は名馬と呼ばれるにはまだまだ足りない成績だった。


そんなサイレンススズカは2年目最初のレースで、オープン戦を逃げ切るとそれから重賞5連勝を含む6連勝で秋の大舞台、天皇賞(秋)に挑むことになった。


天皇賞(秋)では当時、世代最強と呼ばれたサイレンススズカの出走と他の有力馬の回避などにより圧倒的1番人気をサイレンススズカが受け、競馬ファンの間ではサイレンススズカが勝つかどうかではなく、サイレンススズカがどういった勝ち方をするかに焦点が当てられた。


騎手は天才武豊、サイレンススズカの仕上がりも前走までのレースで最高の仕上がりとなりまさに負ける要素が無かった。


1枠1番の白い帽子を被った武豊を背にサイレンススズカの運命を左右するゲートが開かれた。


サイレンススズカは好スタートを決めると1000m57秒4の超ハイペースで逃げ同じ大逃げの脚質を持つ馬を遥か後方にルビを入力…いて大欅の木に差し掛かった。


大欅のきを過ぎたあたりでサイレンススズカに騎乗していた武豊は急に速度を落とした。

サイレンススズカの脚から嫌な音がしたからだ。


その音はサイレンススズカの左前脚が砕ける音だった。


サイレンススズカの診断結果は左前脚の粉砕骨折、治る見込みが無いとされ安楽死の処置が行われた。


サイレンススズカのこの悲劇は今でも競馬ファンの間で広く知られ、今もこの馬のファンがたくさんいるのだった。


筆者の私自身、もしサイレンススズカの子供が産まれていたらどんな走りを魅せたのか、とても残念に思う。





短い文ですが読んで頂きありがとうございます。

サイレンススズカのこのレースは動画で見てもらいたいので気になる方はぜひ見てもらえると嬉しいです。


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