第七話 一緒にはいられないの?

 風呂掃除をして洗濯物を干し、リビングに戻ると夕食の準備ができていた。

「いただきます」

「いただきます」

 声を揃えて手を合わせ、箸を手に取る。黙々と食事を進めながら、陽一はさりげなく、それでいて星奈も気づくように、彼女へと目を向けた。視線は向けれど、声に出して催促することはない。話を聞く準備はできている、というアピールだけして佇む彼と向かい合いながら、星奈はしばらく黙ったままだった。

 口を開いたのは、おかずが半分ほどなくなった頃だ。彼女はやおら、箸を置いて真っ直ぐ陽一へと目を向ける。穏やかながらも常ならぬ雰囲気に、陽一も表情を改め手を止めた。

 慎重に手繰るように、二人の視線がぴたりと重なった。それを確認して、星奈は小さく息を吸い、喋りだした。

「ねえ陽一、卒業したらどうするの?」

 のっけから唐突な問いだ。虚を突かれた陽一だったが、すぐに気を取り直して答える。

「大学行こうと思ってるよ。志望校はまだ絞り切れてねぇけど、第一はK大かな」

 県内の国立大の名を挙げる。間髪入れずに星奈の次の問い。

「一人暮らししたいとかは思わない?」

「思ったことねぇな。面倒そうだ……何だ、もう進路のこと考え始めたのか?」

 答えながら、思いつきでそう問い返してみる。だが星奈は、微塵の動揺も見せずにそれを無視した。一方的に質問を重ねる。

「じゃあ、彼女作りたいとか思ったことは?」

「何で今いない前提なんだ……ってまぁ、いたら気づくか。それも思ったこともねぇよ」

 いよいよ訝りながらも、ひとまず聞かれたことには律儀に答える陽一。彼の怪訝そうな双眸を真正面から受け止めつつ、星奈もまた徐々に表情を曇らせた。

 原因が分からず、内心困惑しながらも、陽一は黙って星奈の言葉を待った。

「……陽一」

 どれだけ間が空いただろう。再び口を開いた星奈は、その言葉と同時に俯いてしまう。どこか弱々しい口ぶりで、彼女は黙したまま続きを待つ陽一に向けて問いを放つ。


「私たち、ずっと一緒にはいられないの?」


 きょとんと目を瞬いて、陽一は硬直した。言われた言葉の意味が分からないという反応だ。それでも、星奈は彼からの返答があるのを、じっと待っている。

 困惑の色濃く、それでも陽一は表情を引き締め、伏せられたままの星奈の顔色をどうにか窺い知ろうと目を凝らす。

「何でそんなこと思った?」

 すぐに答えを返すこともできず、代わりにそう問いを放った。先とは違う、はぐらかすことを許さない芯の通った硬い声。星奈はすぐに口を開きはしなかったが、陽一も譲らない。微動だにせず星奈の顔を見下ろしたまま、無言で佇んだ。

 根負けした星奈が、重たい吐息を漏らす。そして小さな声でぽつりと、

「珠代……クラスの子に言われたの。今みたいに、陽一にべったりじゃ駄目だって。いつまでもそうしてはいられないから、って」

 言いながら、まだ彼女は顔を上げない。黙って聞きながら、陽一も無理に顔を覗き込もうとはしない。遅々とした口ぶりで、それでも星奈は語り続けた。

「でも、それが分からない。一緒にいられなくなるって実感がないの……陽一は、どう?」

 そこで、ようやく星奈がゆっくりと顔を上げた。不安そうに半ば瞼を被せた瞳は、泣き出しそうに揺れている。あまり見ない、彼女の弱り切った姿に、陽一は一瞬たじろいだ。だがすぐに気持ちを引き締め直し、さりげなく目を逸らした隙に眼差しに力を込める。

 改めて星奈と互いの顔を見交わしながら、陽一は彼女の言葉を飲み下そうと躍起になっていた。いつまでも一緒にいられない。その実感がない。星奈がクラスメイトから言われたことと、彼女自身の心情を眼前に並べて、小さく溜息をつく。

「……正直、俺も考えたことなかったな。お前と離れ離れになるなんて」

 偽ることなく胸の内を吐露した陽一に、星奈の視線が刺さる。落ち込んでいた表情が、心なしか嬉しげに綻んで見えた。

 彼女の機嫌を取るだけなら、ここで言葉を切るべきなのだろう。それでも、陽一は敢えて、さらに本心をそのまま言葉にする。

「けど、何の保証もねぇなって、今言われて気づいたよ。絶対にいつまでも一緒だなんて、そんなこと言える根拠はない」

 口にした瞬間、星奈が凍りついたのが分かる。分かっていてなお、陽一は慰めの言葉をかけようとはしない。

 彼自身、たった今気づかされた事実に、少なからぬ痛みを感じていた。だがその一方で、それが決して避けて通れない問題だとも理解していた。グッと奥歯を噛み、彼はもう一人の当事者である妹の様子を窺う。

「……陽一、いつか一人で暮らすの?」

「今んとこ予定はねぇ。けど、先のことは分からねぇな」

「彼女、作るの?」

「それも分かんねぇ」

 力のない問いかけに、素っ気なく答える。そのまま陽一は、問答を打ち切るように箸を再び手に取って、食事を再開した。

「……何で、ずっと一緒にいられないの?」

 そんな彼に追い縋るように、なおも星奈が問いを投げた。箸を動かしながら、しかし陽一も彼女を拒むことはしない。少しの間を空けて返すべき言葉を探したあと、

「ずっと一緒にいたいのか?」

 そんな質問を返した。誤魔化すようにも聞こえる一言に、星奈がムッとした顔で陽一を睨む。だがすぐに返そうとした言葉は、いざ言おうとした瞬間に霧消してしまった。

 口にするべき言葉が見つからないことに動揺し、星奈は沈黙してしまう。そんな彼女を、陽一は黙々と食事をしながら見守っていた。

 ようやく口を開いた星奈は、自信無げな声で、

「……ずっと一緒だって思ってた。そうしたいとか、したくないとか、そんなこと考えたこともない」

「だろうな。俺もだよ」

 妹の言葉に、陽一は頷いてそう応える。

「それが間違ってたってだけのことだろ。この先そうなるか、ならないかは分かんねぇけど、少なくともそうなるのが当然ではなかった。それだけだよ。あんま深く考えんな」

 努めて軽い口調で締めくくった陽一は、そこで椅子から立ち上がり、星奈の傍まで歩み寄る。驚いたように目を瞠る彼女の頭に、手をぽんと置いた。頭全体を揺らすように撫でながら、彼は続けて言う。

「少なくとも、兄妹ってことは変わらねぇんだからさ」

「…………」

「先のこととかともかく、何かあれば頼れよ。俺も頼りにしてるから」

 何度も何度も星奈の頭を撫で回して、陽一は彼女の反応を待った。

 星奈は黙りこくったままで、されるがままになっていた。頭を左右に揺らし、それでも声一つ立てない。陽一が少し困ったように眉根を寄せた。

 終わりは唐突だった。ゆらりと持ち上がった星奈の手が、陽一の腕をそっと掴む。

「……分かったから。もういいよ、陽一」

 手を止め、彼女の声に耳を澄ませる。か細くそう言う彼女を、陽一が不安そうに見下ろす中、星奈はまだ弱々しいものの確かに口元を笑みの形に曲げて、

「今は大丈夫だから。また頼りたいときは言うね」

「……ん。なら、いい」

 それを聞いた陽一が、ようやく安堵の息を漏らした。最後にもう一度彼女の髪を撫で、手を離す。そして自分の椅子に戻っていった。

 二人はそれから食事を続けた。垂れ込めた沈黙は、まだ多少の重たさを宿してはいたが、それでも直前よりは幾分気が休まる思いだった。

 ただ――箸を動かしながら、陽一は顔に出さないように考える。

 自分が星奈に言った言葉を、そっくりそのまま胸の中で反芻する。「ずっと一緒にいたいのか?」という問いの矛先を、自分自身に向ける。

(俺は、星奈とずっと一緒にいたいのか?)

 ぼんやりとした考えは纏まる気配がない。纏める気力が何故か湧かない。ほんの一瞬、ちらりと星奈の姿を盗み見て、陽一はこっそりと苦い吐息を吐いた。

(俺は……どうしたいんだろうな)

 自嘲を一人で飲み込み、星奈の料理を胃袋に詰めていく。

 そんな彼を、星奈もまた密かに見つめていたことに、陽一は気づかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る