春日兄妹は仲が良過ぎる

えどわーど

第一話 新年度

 高校三年、一学期始業式。

 式典が終わって教室に戻り、軽い自己紹介と諸注意、ざっくりとした今後のスケジュールの説明が終わると、半日で解放される。今年の担任は良くも悪くも緩くて適当なことで有名な藤壺ふじつぼ先生ということもあり、ホームルームも速攻で終わった。内心でガッツポーズ。

 先生が去ると、当然生徒たちは次々と席を立つ。まだ顔見知りが少ないから、あまり他の奴らと駄弁ったりすることもない。もっとも三年にもなると、以前のクラスメイトもある程度多くはなるわけで、全くいないわけでもないが。

 と、他の生徒たちと同じように鞄を手に立ち上がった春日かすが陽一よういちに、クラスでは数少ない知り合いが声をかけてきた。

「陽一」

 鎌田かまたまなぶ。中学からの腐れ縁。高校でクラスが一緒になるのは初めてだ。

「よう。とうとう同じクラスになっちまったな、ガク

「その呼び方はやめてくれ。高校に入ってからは正しい読み方の方で通ってるんだ」

「細けぇよ、通じりゃどっちでもいいだろ」

 陽一が昔からのあだ名で呼ぶと、学は憮然として唸った。

 短く几帳面に切り揃えた髪、丸縁の眼鏡、襟まできっちり留めた制服の着こなし。真面目を絵に描いたような姿は、昔から変わらない。中身は見た目の印象より融通の利く奴なのだが。

 根本的に実直な性格かつ、話の通じる質とあって、人望は厚い。その分厄介ごとを引き受けやすい性格でもあるが、率先して働く彼に触発されて周囲が動くこともまた多い。理想的なリーダー体質と言えるだろう。

「まあ、今さら無理に呼び方を変えろっていうのも難しいか」

 予想通り、学はあっさりと納得したように一人で頷いている。物分かりが良過ぎるのも、それはそれで端から見ていて不安にならないでもないが、陽一はわざわざ言及したりはしない。

 短い時間ではあったが、言葉を交わしていた二人を見て、知り合い同士だと悟ったらしい他のクラスメイトが、意外そうにしながら近寄ってきた。

「あれ、学と陽一って知り合いだったのか。今までクラス違ったよな?」

「中学一緒だったんだよ――って香坂こうさかか。お前もこのクラスだったっけ」

「さっきの自己紹介聞いてないのかよ!? いたじゃん! めっちゃいたじゃん!」

 惚ける陽一に、香坂こうさか将也しょうやが喚き散らした。思ったより反応が大げさだ。耳が痛そうに陽一が顔を顰める。

 陽一は詰め寄る将也の肩を押しのけつつ、

「冗談だよ聞いてたよ。やたら元気に「彼女募集中でッす!!」とかほざいてたのもしっかり覚えてるよ。ぶっちゃけ諦めろ。今さら幾ら言っても無駄だ。お前を知らない女子なんざこの学年にはいねぇ」

「辛辣!?」

 流れるように事実を突きつけた陽一に、将也がまたも激しく反応する。が、彼の隣では学も腕を組み、神妙な調子で頷いていた。

 同じクラスになったことは無いが、それでも陽一とは気の知れた仲だ。というのも、将也は彼女欲しいあまり、「とにかく誰からも女子を紹介してもらえるように」と称し、まず学年中の男子と顔見知りになるという奇行に走った猛者バカなのである。今では三年どころか二年の男子のほとんどとも知り合いらしいが、肝心の彼女探しが捗っている様子は微塵もない。そのコミュ力の半分でも女子とのやり取りに費やしていれば、幾らでも状況は変わっていたと思うのだが。

 陽一と学の温情無きリアクションにショックを受けたらしい将也は、苦しげに胸を押さえながら、それでも不毛な執念に燃える両目で彼らを睨んだ。

「くっ、言ってろっ。今から俺は早速一年たちのところへ乗り込む。そして今度こそ、ステキな子を紹介してもらうんだ! 何なら二年にだってまだ告ってない子は残ってる!」

 心底しょうもない発言だ。ほとほと呆れかえりながらも、陽一は一応友人にアドバイスをくれてやる心意気で口を開く。

「その数撃ちゃ当たる的な発想やめたらどうだ? お前、顔と性格以外は身長くらいしか不足してるものないんだから、もうちょっと真剣さを見せればさぁ、なんだ、多少の会話くらいできるんじゃね?」

「ほぼ何もかも足りてねーじゃねえか。おまけにハードル低すぎるわ」

「そうでもないだろう。香坂、お前そもそも女子との会話に持っていくところからして、ロクに上手くいってないじゃないか。見境なしの姿勢を見せているせいだと俺は思うぞ」

 半眼で陽一を睨み返す将也だったが、それに学が口を挟んだ。渋い顔で将也は学に視線を移したものの、反論の言葉は出なかった。

 もどかしそうに無言で佇んでいた彼は、やがてクソでかい溜息とともに大きく肩を落とす。

「……はァ、さっすが、カノジョ持ちの指摘は堪えますなぁ」

 唐突にそんなことをぼやいた将也を、陽一は何を言われたのか分からず、怪訝そうに見つめた。が、一拍遅れて傍らの学に目をやって、気づく。口を横一文字に結んだまま、激しく目を泳がせていた。

「え、何、彼女いんのお前? 初耳だけど」

花園はなぞの。去年の冬からだよなぁ」

「は、マジで? 『高嶺の花園』? はぁぁ、なるほど。やるじゃねぇの」

 口を噤んだ学に代わり、将也があっさりと答える。それに陽一は一層目を丸くして、感心したように唸り声を上げた。そんな二人を、学は顔を赤くしながら極めつけに恨めしそうな表情で、

「話した覚えはないぞ……」

 ドスの利いた声だ。学には珍しく、ささやかながらも敵意を感じる声音でもある。が、将也の方はそれを気にも留めず、妙に気障な笑いを浮かべて嘯いた。

「よせよせ。聞かなくても分かっちまうこの察しの良さは自覚してるが、そんな称賛の眼差しで見つめられても何もお返しできないぜ?」

「気安く話すなと言いたいだけだが!?」

「フッ、人に女の子紹介するより先にカノジョ作ったりなんかするからだ。誰がとか関係ない。ぶっちゃけカノジョいるだけで妬ましい。可能な限りその足を引っ張り倒したい」

「理不尽が過ぎる!?」

 さしもの学のキレ気味である。将也は将也で、異様に切れ味の鋭い笑みで悦に入っていた。彼にしてはなかなか男前に決まった笑顔だ。女子の前でその顔ができれば……

(――駄目だな、これはこれで胡散臭い)

 胸中でぼやいて、陽一は二人から目を離して教室を見渡した。

 陽一たちが無駄な会話に興じている間に、他のクラスメイトたちは帰ってしまっていた。さっきの学の彼女発言が聞かれていれば誰か残っているであろうことを思えば、逆にあれを聞いていた者はいなかったのだろう。将也なりに気を遣ったのか、単なる偶然かは分からないが。

「……ん?」

 さらに視線を巡らせた陽一はそこで、教室の出入り口から顔だけ覗かせ中を窺っている人影に気づいた。セーラー服を着た女子だが、このクラスの生徒ではない。彼女は陽一と目が合うと、感情の薄かった表情を少しだけ綻ばせ、ちょこちょこと陽一の方へ歩いてきた。

 突如姿を現した彼女に、流石の目敏さで将也が、少し遅れて学が気づく。将也が独特の食い入るような視線を不躾に浴びせるのにも構わず、真っ直ぐに陽一の元まで辿り着いた彼女はそこで、自然な動作で両腕を上げ――躊躇いなく陽一の片腕に抱きついた。

「!!!???」

「陽一、かーえろ~」

 将也が無音の悲鳴を上げた。同時に眼球があり得ないほどに痙攣し始め、黒目がスロットマシンのように現れては消えを繰り返す。そんな友人の奇行など気にも留めずに、陽一は抱きついてきた少女の髪に優しく手を置いた。

「おう。待たせたか?」

「あんまり」

「そうか」

 首を横に振る少女の髪をもう一度撫でると、陽一は掴まれた腕ごと少女を引っ張りながら歩き出した。

「んじゃ帰る。また明日な」

「ああ」

 立ち尽くしたまま痙攣する将也の横で、学は平然と手を振った。肩越しに振り返った陽一もそれに手を振り返し、少女も学たちへ一度お辞儀をすると、再び陽一の腕にくっついて、彼と共に教室を出ていった。

 残ったのは自分と、無言となった将也だけとなった学は、一つ息をつくと鞄を握り直した。そのまま自身も帰ろうと思ったところで、

「……んだ」

 背後から掠れた声。一瞬、振り返るべきか、それとも放っておいて帰ろうか迷いを見せた学は、結局その直後の出来事から逃れることができなかった。

「……何っっっだありゃぁぁぁぁ!?」

 ショックのあまり身動き一つとれなかった間に溜まった鬱憤が、一気に炸裂したかのような怒号。嫌々見れば、将也は叫び声とともに激しく身体を仰け反らせている。お人よしの学をして、関わりたくないと思わせる狂乱ぶりだった。

 その思いも虚しく、突如として身を起こした将也は神速で学に掴みかかり、唾を飛ばす勢いで詰問する。

「何だあれ何だあれ!? 誰あの女子!? 人前で恥ずかしげもなくイチャついて帰ってったけど! 陽一いつの間にあんな可愛い子と付き合ってやがったんだテメェこの野郎アアン!?」

「落ち着け」

 ゴッ!

 鈍い音とともに、将也の声が途切れた。頭突きを浴びて涙目でうずくまる将也を見下ろし、学は対照的に冷静に語りかけた。

「お前知らんのか。割と有名だぞ」

「あ~……あの子がか?」

 一応、直前の剣幕は鳴りを潜めた将也が、ゆっくりと立ち上がりながら頭を振る。学は鼻を鳴らして、そんな彼に告げた。

「陽一の妹だ」

「……うっそマジで?」

 顔を上げ愕然と問い返す将也に、学は真面目くさった無表情で頷いた。

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