5-5:エピローグ

 アシュナ平野で行われた戦いは双方に大きな被害を出しながらも、最終的には王国軍の圧倒的な勝利で幕を閉じた。


 巨神を失った点は両軍同じだったが、その後の状況は大きく王国軍に傾いた。


 反乱軍はこの戦いに保有するブラックナイト部隊のほぼ全てを投入し、そして失ってしまったため、王国軍に対抗する力をほとんどなくしてしまったのである。王国軍に兵力も物資も劣っている反乱軍は為す術なく敗戦と撤退を繰り返した。


 こうしてアシュナ平野での戦いから一ヶ月後、王国軍の一団がブラムス反乱軍の本拠地を占領したことにより、一年半近くに及ぶ戦争は終結したのだった。ミゼル王国の本地は平和な日々を取り戻した一方、ブラムス人は王国政府に支配される日々へ逆戻りに……否、かつて以上の苛烈な支配を受けることになったのである。


 ×


 終戦からさらに三ヶ月が経過した。

 ユスティナは退院の日を迎えて、軍病院の病室で出発の準備をしていた。


 バビロンとの戦いを終えたあと、半死半生だったユスティナとプリムローズは後方の軍病院に移送された。

 そうして軍病院にしばらく入院したあと、二人はより安全な王都にある軍病院へ入院することになったのだ。


 ユニティの力で蘇生されたためか、怪我の回復はプリムローズの方が一ヶ月も早かった。プリムローズが早々に軍へ復帰した一方、ユスティナはベロニカに助けられながら怪我の治療とリハビリに専念していたのだった。


「これでよしと……」


 ベロニカが大きな旅行カバンに荷物をまとめ終える。

 ユスティナとベロニカは一休みしようとベッドに並んで腰を下ろした。


 二人ともいつもの着慣れたエプロンドレスを身につけている。戦争中にすっかりボロボロになってしまっていたが、長い入院中にしっかり手直しをしておいた。ただ、背が伸びてしまったせいか少し窮屈に感じる。


 それから入院生活中に髪の毛もかなり伸びてしまった。ユスティナの亜麻色の髪も、ベロニカの三つ編みにした金髪も、腰を下ろしたベッドにまで届いている。ここまで伸ばしていると気分はちょっとしたお姫様だ。


「馬車の時間まであと少しだね」


 ユスティナは懐中時計で時刻を確認する。

 この懐中時計は戦時の働きを賞して、国王から送られてきた品だ。ナタリオが使っているのをうらやましく思っていたので、もらえたときは素直に嬉しかった。他にも二階級特進やら貴族の爵位やらの報奨もあったが、ユスティナはそれらを全て断っていた。


「おっ? 間に合った?」


 ドアを開けて廊下から軍服姿のナタリオが顔を出す。

 同じく軍服姿のプリムローズも彼の後ろからやってきた。

 こうして顔を合わせるのは、彼女が退院した一ヶ月前以来だ。


「退院おめでとう。体の方は大丈夫か?」

「ありがとうございます、もう大丈夫です!」


 ユスティナは嬉しくなってガッツポーズをしてみせる。

 リハビリもすでに終わっていて、今日から畑仕事でもなんでもやれそうだ。


 プリムローズとナタリオを病室に迎え入れる。

 二人とも軍服についている階級章は新しいものになり、胸にはじゃらじゃらと音を立てそうなくらいに勲章がぶら下がっていた。戦争を戦い抜いたプリムローズ隊の仲間たちは、その働きを認められてかなりの報奨を与えられていたのである。そんな二人の立派な姿を目の当たりにして、ユスティナは自分のことのように嬉しくなってきた。


「こちら、お二人のレディに退院のお祝いな」


 ナタリオはピンク色のコスモスを二輪持っており、それをユスティナとバビロンの胸ポケットに一輪ずつ挿してくれる。いつ何時も女性へのプレゼントを忘れない彼らしさにユスティナはほっこりとした気分になった。


「お忙しかったんじゃないですか?」

「あまりに忙しすぎて、ユスティナに会いたくて仕方なかったよ」


 プリムローズが煙草を吸おうとして、ハッとした顔をして残念そうに引っ込める。


「毎日のように軍事裁判ばっかりでな……戦後処理は必要だから仕方ないけども」

「裁判をしていたんですか?」

「反乱軍の中心人物を戦争犯罪者として逮捕したり、王国軍の中でも軍規違反をした人間を取り締まったりな」

「悪いことをした人は王国軍でも捕まるんですね」


 ユスティナは意外に思って目をパチパチさせる。

 てっきり勝てば官軍で全てが許されるものかと思っていた。


「私に言わせてみれば欺瞞さ」


 プリムローズがうんざりした顔をして首を横に振る。


「たとえば愚連隊のアルフレドを覚えているだろう? やつは民間人の虐殺をはじめとする多数の罪で逮捕され、つい先日に死刑が執行された。しかし、やつ程度の悪人は王国軍の中に掃いて捨てるほどいるうえに大半は野放しにされている」

「そうなんですか!?」


 アルフレドが死んで清々したとまでは言わないものの、彼が死刑になったのは当然の裁きであると思う。そして同じ罪を犯している人間がいるのなら、やっぱり同じようにちゃんと裁判所で罪を裁かれてほしいとは思ってはいるが……。


「アルフレドのようないかにも悪人らしい人間を大々的に処刑することで、王国政府は軍全体の犯した罪を精算したとアピールしたいのさ。諸悪の根源は全て絶ったから、もう安心してくださいって具合にな。現代の生け贄だ」

「なんというか、それって卑怯ですよね……」

「ああ、私も気に入らないよ」


 プリムローズが真剣な眼差しをして言い放った。


「気に入らないから国を内側から変えてみようと思っている」

「国を……内側から?」


 どういうことなのかピンと来なかったものの、プリムローズが本気であることは彼女の目を見ていれば分かる。

 プリムローズが胸元に並んでいる勲章をちゃらりとなでた。


「それなりに出世したからな。今までの功績を利用して王国政府の議会に参加する。つまりは国王陛下に直接意見を言える立場の人間になるわけだ。私はそこでブラムスの人たちにも平等な権利を与えるべしと訴えるつもりでいる。このまま圧政を続けていたら、次の戦争が起こるのも時間の問題だからな。他国の横やりだってあり得る」

「――というわけで、プリムローズ隊は今日からナタリオ隊なのさ!」


 さっきからタイミングを計っていたらしく、ナタリオが一歩前に踏み出しながら軍服に縫い付けられた階級章を見せつけてくる。それは戦時中にプリムローズがつけていた階級章と同じ格のものだった。


「プリムローズさんの後を継ぐなんてすごいですね!」

「すごかろう、すごかろう! これからは部隊を俺色に染めちゃうぜ!」


 ナタリオはひとしきりおどけたあと、急に真剣な顔をして呟いた。


「何しろ反乱軍の残党やら、王国軍を抜け出して盗賊になった連中やら、色々と取り締まらなくちゃいけないからな。そんな仕事は俺たちに任せておいて、プリムローズさんはしっかり地固めに専念してくださいよ。王族にも政府の役人にも敵は多いですから」

「もちろん、そのつもりで任命したさ」


 プリムローズが激励するようにナタリオの肩をポンと叩く。

 彼女はそれからユスティナに右手を差し出した。


「この国を立て直すのは我々大人たちに任せてくれ。今は頼りないと思うかもしれないが、この国を変えてみせるときみに誓うよ。だから、ユスティナは安心してコーンヒルの村で待っていてくれないか」

「……はい!」


 ユスティナは力強く頷いて、プリムローズと握手を交わす。

 戦争を戦い抜いた者の手とは思えないくらい、彼女の手は温かく柔らかかった。


 信頼というものに形はない。

 でも、プリムローズの手からはそれがハッキリと伝わってくるのだ。

 そして彼女のこうした後押しがあったからこそ、ユスティナは王国軍をやめてコーンヒルの村へ戻る決意を固められた。


 ユニティを失った以上、自分には戦場で戦う力はない。ロゴス将軍を初めとする王国軍の上層部からは「戦後復興の旗印として残ってほしい」やら「給料は今までの十倍出す」やら言われたが、彼らの意見を聞く気になんてまったくなれなかった。それよりもいち早く故郷のコーンヒルに戻って、村の復興作業や教会の建て直しを行いたい。


「ユスティナを頼んだよ、ベロニカ」


 プリムローズがベロニカとも握手を交わす。


 ベロニカはロゴス将軍から送り込まれた工作員だったものの、戦争が終わったあとすぐに軍を辞めてしまっていた。彼女も「二度と軍の世話になれると思うな」とか「諜報機関の存在を外部にもらしたら……」とか脅されたようであるが、それも全く相手にすることなくユスティナと一緒にコーンヒルの村へ来てくれることになったのだ。


「任せてください! ユスティナのこと、一生離しませんから!」


 ベロニカが力強くプリムローズの手を握り返す。


 一生だなんて大げさなんだから……と少し気恥ずかしくなりながらも、ユスティナは彼女の熱のこもった意気込みにじぃんと胸を打たれた。

 自分はこの戦争で多くのものを失ったけど、心強い仲間とかけがえのない親友と最後まで戦い抜いたという自信を手に入れたのだろう。


 四人はそれから荷物を持って軍病院を出る。

 軍病院の廊下を歩いている間、ナタリオがいきなり「プリムローズさん、このあと時間があったら……」とアプローチし始めて、ユスティナとベロニカは顔を見合わせてくすくすと笑ってしまった。


 恋する人って幸せそうだな、と今なら素直に思える。

 シックスは愛について語るとき、常に激しい感情を剥き出しにしていた。でも、彼女も戦場を離れているときは、もしかしたら年相応の恋する乙女の表情をしているのかもしれない。そんな彼女の表情もいつか見てみたい気がする。


 戦争が終わってからというものの、シックスとノーマンについての話は聞いていない。ブラムスに残っているという情報も、王国軍に捕まったという情報も入ってこなかった。二人が無事にどこか遠くへ逃げおおせたのか、それとも逃げるのに失敗してしまったのか、それは誰にも分からない。


 でも、プリムローズが誓ってくれたようにノーマンも約束してくれた。あのときのノーマンの言葉からは大人のプライドというか、大人の底力を感じたように思う。ユスティナは彼との約束を信じてみたい気持ちになっていた。


 軍病院の前にはすでに一台の幌馬車が到着していた。

 この馬車に乗って一週間も揺られれば王都からコーンヒルの村に辿り着ける。

 ようやく故郷へ帰れるのになんだか踏ん切りがつかなくて、ユスティナは馬車に乗り込むのをためらってしまった。


「行ってこい、ユスティナ!」


 プリムローズに背中を押されて荷台に乗り込む。

 ユスティナはそれからベロニカに手を貸して乗せてあげた。


 二人を乗せて幌馬車が出発する。

 プリムローズとナタリオの姿が見えなくなるまで、ユスティナとベロニカの二人は手を振り続けた。


 幼い頃に憧れた大都会、王都の景色が淡々と後ろに向かって流れ過ぎる。戦争なんて起こらなかったかのようにきらびやかな街をまだ散歩すらしていないけれど、背中を押してもらった今は未練もなかった。


 ユスティナとベロニカは幌馬車に揺られながら話し合う。コーンヒルの村を復興できたら何をしようか? おいしいものを食べたり、綺麗なお洋服を着たり、好きな人を見つけたり、それからそれから……。


(おしまい)

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