第31話 誰かの為の薔薇の女王
「女とは、誠に怖いものだね」
どの時代の、どんな国の、どんな女でも。
美しい薔薇には棘がある様に。
彼女達の美しさの裏には必ずチクリと痛む棘が用意されているものだ。
「彼女は、残念ながら、薔薇の花ではなかったか……」
あの時、この場所で。
自分を殺せるとかと問いかけた彼女の顔を思い出しながら、リュウは笑う。
彼女の顔は、まるで朝食のメニューを決めるには仰々しく、しかしディナーのメニューを決めるには軽々し過ぎる顔で問いかけた。
それは即ち、既に答えなんてわかっていると言う事だ。
リュウは喉の奥から込み上がる笑いを押し殺す。
ローラ・マルティスという女が、どれ程迄にストーリーに富んだ女か誰も理解できない事実がこれ程までに滑稽とは。
彼女は、一人で答えを導き出している。
こちらは数人がかりで積み上げてきたと言うのに。
信じられない。
どれ程の可能性を見つけて、塗りつぶして、何億と言う構想を積み上げて来たというのか。
その事実に、ただただ舌を巻く。
恐らく、彼女は本気だ。
本気で死ぬつもりだ。
それもただ自殺を図ると言うあり触れたものではない。我々の、彼女に取っての過去の供物に成るべく死に向かうのだ。
本当に、彼女は絵に描いたような英雄になる気なのか?
自身が残した著書の内容を思い出しながら、リュウは持っていた本を閉じる。
物語の英雄と言うものは二つの要素が必要不可欠だ。
一つは、英雄に救われる人がいる事。
救う人間がいなければ、英雄は英雄とは呼べない。皮肉なものだ。彼ら英雄の成立には、不幸な人間という者が付き纏うのだから。
もう一つは、英雄に倒されるべき悪役がいる事。
過去のギヌスがどれ程望んでも手に入れられなかった存在。
この存在がなければ、英雄は英雄とは呼ばれない。
要は、人が英雄と言うものを決めるのだ。
神や自然が、英雄を定めるのではない。人が都合良く自分達の味方についてくれる強い奴を英雄と呼ぶのだ。
ローラ・マルティスと言う少女は、恐らく英雄と呼ばれるに相応しい、都合のいい人間の一人なのだろう。
なんたって、彼女はこの二つが揃っている。
物語としては十分だ。
しかし、ただ一つ。
このリュウが憂い嘆くとしたら……。
「リュウ。ローラは、此方の思惑に気付いているのですか?」
本棚の影に身を潜めていたアリスが顔を出す。
そう、一つだけ憂い嘆くとしたら……。
「どうだろうね。でも、死んでくれる気ではいるみたいだ」
我々がその悪役だと言う事ぐらいだろうか。
「そして、彼女は恐らく君に殺されるつもりでいるだろうね。俺に殺せるかと聞いて来たのも、アリス。君が後ろに居るのを知っているからだろうな」
「私はまだ、何もしていないわ」
アリスが鋭い眼光でリュウを睨みつける。
まるで、其方に責があるのでは? そう、訴える様に。
「それは俺もわからない。でも、この世界の仕組みに気付いているんだと思うよ。多少なりとも、ね」
「このヘンテコな世界の何に?」
少女の顔をしていると言うのに、アリスの纏う空気は立派な淑女そのもの。
昔のアリスでは考えられない程の重厚がそこにはあった。
それもそうだろう。
「女王陛下、答えは急かせるものじゃないよ」
少女アリスの中身は、一国の女王なのだから。
「しかし、ローラが此方に気づいたら何だと言うんだい? 困る事、あるかな?」
リュウはわざとらしく首をすくめる。
大袈裟なリアクションに、アリスは溜息を吐きたくなったが、それは少々はしたない事を彼女はよく知っている。
「計画通りに事が進まなくなる恐れがあります」
「意外にローラに頼めば彼女は乗り気でやってくれるかもよ? 王子に殺されてくださいって」
「リュウ。口を謹んでくださらない?」
女王は久方ぶりに会った友人の言葉を諌める。
彼が死んで、早二十年。
老人の彼は随分と丸くなったものだったのだと痛感してしまう。
そして、自分も随分と歳を取ったものだと。アリスは一人、皺くちゃになっていないかつての自分の手を見て思う。
「まだ、彼女の死に方は決定事項ではありませんよ」
もう、少女の様に野原を駆け回った頃の彼女はいない。
もう、子供達に優しく絵本を読んで友人達の帰りを待つ彼女もいない。
そこにいるのは、一国を背負った薔薇の様な女。
それだけだった。
「でも、彼女が死ぬのは決定事項だ」
リュウの言葉は最早自分を納得させるだけの言葉に過ぎない。
リュウはローラを愛している。それは嘘ではない。
彼は、彼なりに、ローラ・マルティスを愛していた。
それが愛か恋か友情かはさて置き、対等な立場で、人として、彼女を思い敬っているのは事実だ。
彼は外見とは反して、実に誠実な男だった。
それは死ぬ迄。彼は誰にでもない義理を果たす為に一人でいた。
アリスは彼の死に際を思い出す。
彼は、死ぬ直前までアリスの良き友人でいてくれた。アリスが女王になった後でさえ、彼は級友として彼女を支え接してくれた。
それは、あの時代に生きていたあの時の仲間として、彼が唯一だったのだ。
時を越える前の女王アリスは、齢九十を越える。
自身の出生など知らずに生きた少女時代。
あの波乱を生き延びた仲間である王子と婚姻を交し国母として生きた大人の時代。
それらを経て、幾つもの絶望と希望を乗り越えて今がある。
「そう。それは、変わらない」
アリスは白い己の手を握りしめる。
ローラ・マルティス。
彼女の中で、幾つもの希望と絶望を与えてくれた、大切な友人を。
彼女は今、殺そうとしているのだ。
「可愛い我が子達の為に」
自分でもゾッとするほどの冷たい声にアリスは目を瞑る。
私は、ローラ・マルティスにはなれない。
憧れ愛していたあの方には、なれない。
でも。
それでも。
私がローラ・マルティスにならなければ。
愛しい我が子達は消えて無くなって、仕舞うのだから。
ごめんなさい、ローラ。
ごめんなさい……。
「変わった所は、これと言ってなさそうですね」
隣の席に座るセーラが、私にボソリと呟いた。
この子は、何も疑う事もせずに私の言葉を信じている。
これは随分と都合の良い事なのだが、少々罪悪感に苛まれそうになるデメリットもある事を初めて知った。
「そう……。そろそろ、何か目に見える変化が起きても良い頃だと思ったんだけど」
イレギュラーが発生して早幾日。
私に取っては、随分とゆっくりとこの世界の時間が進んでいる様に感じる。
魔法騎士たる甲冑の男達を初め、前の時代から来た登場人物達が何故もこの世界に溶け込もうとしているのか。
正直、それが一番ひっかかる。
だってそうだろ?
謂わば、彼らはこの世界の法外化にいるべき存在だ。
言い換えるならば、違う世界に転生してきた存在。
この世界のルールは愚か、この世界においての自分の立ち位置すらわかっていない可能性が高い。
なのにも関わらず、彼らは誰も彼もがこの世界に準じている様にしか私には思えなかった。
流れに身を任すにしても、流石に任せ過ぎだろう。
そんな事をする余裕も、意味も。どこにあると言うのだろうか。
「そう言えば、セーラ。少しシステム上の話がしたいのだけど、今いいかしら?」
「システム上、ですか?」
「システムと言うよりも、仕様の話なのだけど、メニューにマップってあるじゃない。登場人物達が何処にいるか表示される奴」
「あ、はい。有りますね」
「あの表示って、もしキャラクターが存在していない場合にはどうなるの?」
「キャラクターが、ですか?」
「うん。例えば、死んだりとか」
「その様なケースはこちらも仮定していないので分かりかねますが、まだ登場していないキャラクターであれば非表示絶対にされる筈ですよ」
非表示、か。
さて……、何処まで彼女に話すかな。
「貴女が休んでいる時に、フィンがタクトの表示がマップにあると教えてくれたの。でも、この世界にタクトの姿は無いわ。本当にこの世界にタクトがいないか調べたい時って、どうすればいいのかしら?」
「タクト様の? 少々お待ちを。……ああ、確かに。タクト様の表示はありますね」
「けど、そこに行ってもタクトの姿はなかったの」
「試されたのですか?」
「ええ。そう言う性分なもので」
無鉄砲な私に驚くセーラに、思わず舌を出す。
「存在しないなら、非表示になっている筈ですが……。何分、今はイレギュラーな状態。バグではないとは言い切れないですね」
「その場合、タクトの表示は何か別のものに変わっている可能性はある? そして、その検討はつけられたりする?」
「可能性はゼロではないです。例えば、違うキャラクターのアドレスを参照している、または意味もないアドレスを参照している場合も十分に有り得ます。しかし、検討は……。参照しているアドレス場所を確認する権限は今の私にはないですし、大凡ここに飛んだであろうと言う目星は難しいですね」
それもそうだ。
今はエラーの真っ最中。
無理なのは承知の上で此方も問い合わせている。
「そう。有難う」
「敷地内に表示があるのなら、既存するキャラクターを参照している可能性が高いですが、そうとも言い切れないですし……」
「因みに、今は何処に?」
「今は二階の……。あ、共有しますか?」
「あら、お願いできて?」
「喜んで! お任せ下さいっ!」
そう言って、セーラは私にマップの共有を持ちかけた。
次の瞬間、私の目の前はマップの情報に切り替わる。
「敷地内を彷徨いているわね」
「ええ」
「これ、参照外になるとどんな表示になるの?」
「通常であれば、エラー扱いですので非表示に切り替わるかと」
「ふむ……」
非表示ねぇ。
王子もアリス様も、見えるな。
「フィンの表示はないのね」
私の表示とセーラの表示もあるのに。
「彼女はゲストキャラクターですので、登録情報はメイン外の枠組みになります」
「マップにはメインだけだっけ?」
「はい。主人公、そのご友人、攻略対象だけですね」
「私とセーラもいるけど?」
そう言えば、ゲーム内でローラの表示はなかった気がする。
大抵、何処にでもいてつっかかってきてたし、探す理由もなかったから気にしなかったけど。
「これは私が事前に用意したものなので……」
少し照れながら、セーラが笑った。
どうやら、この恋愛ゲームを彼女なりに楽しみたかった姿は本物らしい。
「可愛いアイコン、嬉しいわ」
「ふふ。ありがとう。可愛いアイコン、嬉しいわ」
「はいっ!」
しかし……。
「存在しないキャラクターは非表示なのよね? 存在しないって言う定義は?」
「はい。まだ登場人物しない人物とかを指しますね。お姉様が仰られた死亡した場合のキャラクター扱いは分からないですが」
「そもそも、このゲーム。私以外って死ぬっけ?」
悪役である私以外、死んだっけ?
「死にますよ。けど、お姉様と同様であるキルトだけですが」
そういや、悪役仲間忘れてたな。
キルトよりも数段上のヤバいギヌスが彼の存在を掻き消してくれたもんだ。
「キルトの表示って、ないっけ?」
「ありませんね。キルトの居場所を知らせる必要はないですし。最終決戦までいけば、キリトへ続く道は一本道ですしね」
「そう言えば、みんなが口を揃えてこの先にいるとか言ってたっけ……」
わざわざ用意をする必要がないってわけか。
「……そうだとすると、可笑しいわね」
バグか?
いや、そんなわけが無い。
「お姉様? 何かおかしい所が?」
「いいえ。見間違いみたい」
私はにっこりと笑ってセーラに共有を解いてもらう。
可笑しい。
明らかにこれは、間違い探しの類だ。
「お役に立てずに申し訳ないです……」
「そんな事はないわ。とっても良く、役に立ってくれたと私は思っているのよ?」
落ち込むセーラに私は手を翳して頭を撫ぜる。
アレが、あのマップにはなかった。
映ってなかった。
何故だ。
あれだけの事が出来る、あちら側にいると言うのに。
「私一人では気が滅入っていた頃よ」
人間、生まれる時も一人。そして、死ぬ時も一人である。
だけど、こんな時まで一人だとは……。
どうやら、私は常に一人でいるべき人間だった様だ。
「有難う」
ならば、私に人の暖かさを教えるべきではなかったのに。
随分と酷い神がこの世界には居るものだ。
そう、思わずには居られない。
ああ、また。
孤独の冷たさに凍える夜が、やってくる。
お待たせ致しました!
お休みを沢山貰って申し訳ないです。
続きものを書く集中力がごっそり削られる並にごっそり歯を削りました……。虫歯放置は、やばいですね。人生初の虫歯と歯医者で心が死んでおりました。次からは、気を付けます……。
次回からは通常通り、週一更新に戻ります!
次回更新は4/14(水)の22時となります!読んでくださって有難うございました!
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