第27話 誰かの為の加速

「僕を選べば、君をローラにしてあげる。本物のローラ・マルティスに……」


 目が閉じれない。

 何度も何度も渇望した本性が、呼ばれてる気がした。

 

「僕を選んで、潔子」


 私を呼ぶ声に心臓を掴まれる感覚を覚えた。

 ローラ・マルティスに私はまたなれるのか?

 この男を選んだら、私はまた、ローラとして生を送れるのか?

 私だけの高嶺の花に。

 私だけの完璧な人間に。

 潔子とは違う。周りのヘドロに紛れながらも、両親の愛の元ローラは確かに私とは違う人生を歩んでいた。

 何もなかった潔子とは違う。

 お飾りでも、使う場所がなくても。次期妃の座を持って、誰とでも対等に渡り歩いていた。

 潔子とは違う。

 いつも怯えて、力がなくて、それを嘆くだけの度胸もなくて。

 惨めでしみったれた、クソの様な女とは違う。

 私は、またローラになりたい。

 ローラになって、また、あの爽快感を味わいたい。

 誰からも愛されて、それを気にすることもなくて、自由で奔放でそれでいて淑女なあの女に。

 私の持っていなかったもの全てを持っているあの女に……。


「おい。死体を抱いた手で私を抱くな。衛生上も精神的にも不愉快極まりないっ」


 馬鹿を言え。

 何を本気で考える事があるんだ。

 ローラにならせてくれる? は? どうやって? どんな意味で? こいつに何が出来ると言うんだ?

 こいつは、ただの王子だ。

 何も魔法使いでもなければ神様でもない。そんな無力溢れる雑魚が、何を出来ると言うのだ。

 そうだ。

 考えるだけ時間は無駄だ。

 これでも、私はギリギリの理性だけは残っている。

 残している。

 ローラへの、嫉妬に妬かれるにはまだ早いのだ。

 私は王子の手を払い除けると、まるで汚い物を触ったかの様に見えない汚れを手で払った。


「……何だよ」


 きょとんと私を見る王子に、思わず視線が鋭くなる。

 ブスが粋がってるとでも言いたいのか?


「いや、意外に君は素直なのかもね」

「……はぁ?」


 腹が立つ言い回しをしやがって。


「もし、それが演技なら演技で凄いと僕は思うよ。新しい君を見た気分だ」

「何を気持ち悪い事を……」

「だって、今迄で一番君が分かりやすいんだもの。心、揺れる姿も素敵だったよ」


 は?


「……あ?」


 何を言ってる?

 馬鹿にしてるのか?


「僕の言葉を頭で噛み締めていたよね。理解しようとしていた。いつもよりも呼吸が乱れていたし、反応も遅い。反応が遅いのは噛み締めていた以上に、本当に自分がローラになれるのか、またどう本物のローラに僕がするのかの検討及び何故自分がローラになりたいのか自己解析の時間かな?」


 思わず、背中に悪寒が走る。

 気持ち悪い以上に、得体の知れない感覚。

 はぁ。

 マジで何なんだよ。

 こう言う奴、海外ドラマでよくいるよな。前のシーズンとキャラクターの方向性変えてくるクソ準レギュラーキャラクター。

 間違いなく、こいつもそうじゃねぇか。


「……は? 気持ち悪さで吐き気を我慢していただけだけど?」


 やっとランティスが言っていた理由がわかった気がする。

 兄貴は、ダメな所が多いけど、凄い天才って、抽象的なダメの見本一みたいな褒め方はこの事を言っていたのか。

 随分と前に此奴と飯を食った時のことを思い出す。

 あの時も、此奴の誘導は上手かった。

 警戒をこれ以上なく持っていた私に、パンを食わせるぐらいには。

 不味いな。私との相性は最悪だ。

 私は用意周到に相手を嵌めるが、此奴は違う。私は何度も情報を咀嚼し、自分の期待する展開迄持っていく。しかし此奴は、前の瞬間見たもの全てを次の瞬間相手の土俵に割り込ませて取引の材料として使ってくる。

 潔子の名前を出したのも、私の表情の機微を感じ取ってアキレスだと判断したんだろう。

 そして、それを何食わぬ顔で試せるクソみたいな強メンタル。心底思う。

 お前、狂ってるのか? と。


「それは失礼。僕の勘違いだった様だね」


 勝ち誇った顔が心底私を苛つかせた。

 だが、これも一種の駆け引きだ。乗って馬鹿を見るのは私だけ。

 ここは冷静に。

 冷静にだ。

 冷静に、自然に公爵令嬢を演じろ。


「随分と馬鹿にされた気分だ。気分が悪い。私は部屋に戻るわ。貴方も早く帰ってもらえる? フィンが来る前に」

「わかった。今日は出直すよ。本当に悪いことをしたね、ローラ」

「謝罪はいい。しばらくはお前の顔を見たくない。私から連絡が入るまでは精々大人しくしてろよ」

「わかったよ。では、ローラお休み」

「ええ。精々震えて寝てろ」


 これ以上喋っていたら分が悪い。

 最悪な相性だ。

 じゃんけんで言えば、私がグーで此奴がパー。優しく包み込むんじゃねぇーんだよ。窒息させるつもりで首を絞めてくるんだよ。

 こいつの肝の座り方、可笑しくないか?

 私が死んでから何があった?

 いや、今は知らない方がいいか。

 精々タクトの亡霊に怯えていろよ。

 ん?

 あれ?

 でも、アレだけ怖がっていたのに、アレだけ取り乱していたと言うのに、此奴は何故一人でここまで来たんだ?

 私の話を冷静に聞けたんだ?

 あれ?

 あれ……?

 おかしくないか?

 いや、おかし過ぎだろ。

 キャラ変してる奴が、何でそんなに怯えるんだ? 弟の死体見捨てて、私の死体だけ拾った事にこいつが本当に良心の呵責なんて大それた事を思うか?

 絶対に思わないっ!

 私がこいつなら、絶対に、絶対にっ! 思うはずがないっ!

 いや、それ以上に。それ以上に、だ。

 死体を部屋に担ぎ込むクソガバ倫理観とそれを外に漏らす事はないクソ理性が鬩ぎ合ってる奴がどうして私に私の死体保有を明かしたんだ?

 漏らした事による損益は計り知れないが、私の王子へ向ける方向性は確実にコントロール出来る。

 どう考えても、それは取引材料に他ならない。

 そこから?

 そこからこの男は、私を……。


「お前、まさか……っ!」


 私が思わず振り返ると、直ぐそこに王子がいた。


「なっ!?」


 帰ったんじゃなかったのか!?


「おやすみのキスを忘れていたからね」


 そう言って、私は顎を掴まれる。

 は?

 あ?

 こ、この野郎っ!

 まだ、ランティスとも数回しかないって言うのにっ!

 絶対に利用するだけ利用したらぶっ飛ばす! フィンに頼むからなっ! 覚えておけよっ!

 もうダメだと、目を閉じた瞬間だ。

 王子の手が離れ辺りから焦げ臭い匂いが漂う。


「何だ、あれは……」


 何が?

 私が薄らと目を開けると、王子は空を見ていた。

 しかし、私は床に視線を落とす。

 だってそこには……。


「矢?」


 炎を放った矢が撃たれていたのだから。

 場所は私と王子の丁度間。

 ここは、外だぞ?

 高層のバルコニーだ。

 そのバルコニーの床に、矢?

 少し遅れて、私も空を見上げた。

 そこには、馬に乗った赤の甲冑を惑った騎士が馬に乗って浮かんでいたのだ。


「……魔法?」


 間違いない。あのムービーで見た赤い甲冑の騎士だ。

 これが、魔法?

 いや、それより何でここに?

 フィンは?

 青色もいるのか?


「君が言っていた魔法使いって彼の事かい?」

「……ああ。そうだ。もう一体いるけどな」


 いや、それよりも。

 なんの用があっての訪問だ?


「……へー。怒ってるのかな?」

「はぁ?」

「いや、そんな気がしてね。君が怒っているからかな?」

「何だそれ」

「……へー?」

「あ?」


 さっきから何だ此奴は。

 鳴き声ならさっさと鳴き止めよ。駄犬が。


「いや、そんなものなんだと思って」

「お前、絶対喧嘩売ってるだろ?」

「え? 喧嘩? んー……」


 王子は少し考えたフリをするとパッと笑って私に言う。


「今のはそうかも」


 おちょくってんな。この野郎。


「お前の喧嘩を買う暇はないんだよ。時と場所を選べ」

「そうだね。僕達が敵う相手じゃないし。ここは逃げた方が良さそうだ」

「逃がしてくれると思うか?」

「勿論」

「はぁ? 何を根拠に?」

「殺すなら、もう殺されてるよ。僕達二人は王子様とお姫様で騎士でも戦士でもない。非戦闘員相手にわざわざ警告を出す意味ってなんだろね?」

「……馬鹿で申し訳ないな」


 わざわざ疑問系で解説する意味。

 いや、でも、確かにそうだ。

 お姫様ではないが、私も王子も戦闘能力は低いだろう。

 武器も持ってない丸腰の二人相手に空から弓を放ち放題のサービス且つボーナスゲーム。

 わざわざ最初の一手を外ずして警告を決めてくるぐらいなのだから、私たちを殺すつもりはないのは明らかだ。

 でも、何で私と王子の密会を止める必要がある?

 私たちが何を企んでいるのか、いや。違う。私が何を企んでいるのかなんて、誰一人として知らない筈だ。


「取り敢えず、僕はそのまま帰るよ。だから君も室内に。今日はここに戻ってはいけないよ?」

「頼まれても戻るかよ。でも、何で私達に警告を……?」


 ぽろりと疑問が口から飛び出す。

 何故か。

 わからない事を思わず口から飛び出るのは、人の性だ。

 そんな私に、王子はニヤリと笑った。


「矢張り、偽物の王子様はダメだね」

「……は?」

「君の愛は偽物ってことさ」

「は!? 何だとっ!?」

「では、ローラ。失礼するよ」

「言い逃げすんなっ! クソっ!」


 自分が甲冑の騎士の攻撃対象にならないように、王子が姿を消すと同時に私も室内に入らなければ。

 何が偽物の愛だ。

 舐めてんのか!?

 私がっ!

 私が……っ!


「そんな事、一番疑ってるのに……っ!」


 蹲る私への追撃は来ることがなかった。




「ローラ様、戻りました」

「フィン! 無事だったのね!」


 もう夜も明けようとしている時間に私の部屋の扉が開く。


「ええ、でも、何とか、です」


 制服は至る所が破け焦げていた。

 焦げると言うことは……。


「騎士の魔法を見たのね?」

「ええ。厄介ですよ。剣技がクソでも、リーチも測れないですし」

「どの騎士と戦ったの?」

「青です」


 成る程。だと言うと、私の前に現れた赤はフィンとは会っていないのか。

 しかし、一人でこれだけの負傷……。

 ……負傷。


「アスランは無事なの?」

「丁度、アスランと別れた時に応戦しました」

「そう……」


 成る程。


「取り敢えずは、貴女が無事で良かったわ」

「逃げ切っただけですよ。ローラ様の見立て通り、魔法という言葉は範囲が広い。私がみた以上にまだ何か隠し球を持っていてもおかしくないです」

「顔は?」

「甲冑だったので」

「貴女は見られた?」

「え? 顔を隠して逃げていたわけではないので、……恐らく」

「そう。となると、此方の陣営も相手にバレていると考えた方がいいわね」

「はい。申し訳ございません」

「いいえ、いいのよ。私のところにも、赤いのが来たから」

「赤色の騎士ですか? 一体なぜ!?」

「分からないわ。ただ、炎の矢を放って警告をして来ただけ。言葉も交わしてないの」

「何かわかりそうですか?」

「いいえ。甲冑だし、炎と空を飛べるって事ぐらいしかわからないわ」

「空、飛べるんですか?」

「馬に乗って浮いてたもの。青色は飛んでなかった?」

「……ええ。何も」

「使える魔法が違うのかもね。色が違うと言う事は、司るのも違うと言うことかしら?」

「一人と応戦しただけでは何とも。けども、彼らの目的が分かりました」

「あら。それは凄いわ。お手柄じゃない」

「ええ。そして、最悪な結果です」

「最悪、とは?」


 大凡当たりは付いている。


「ローラ様の見立てが当たっていました」

「と言う事は、矢張りアリス様か」

「ええ。それも最悪に。彼らは、魔女アリスの処刑を執行するためにここに来たようです」


 私思わず椅子から立ち上がった。


「魔女? アリス様が!?」

「ええ。彼らはアリスを魔女だと捉えている」

「処刑だなんてっ! まだこの時代には魔女狩りなんてものはなかった筈よ!」

「あの時代、あの世界ではないのですよ、ローラ様。ここは、歪な世界。あの時代の話ではない」


 眩暈がする。

 急速だ。

 急速に、加速を始めている。

 物語への、いや。違う。間違った流れへの濁流の様に。


「……何故、貴女はそれを?」

「この情報は、彼の部屋に忍び込んだ際に手に入れだものです。彼らは、アリスの捕縛計画を実行しようとしている」

「何故、大々的にやらない? たかが、平民一人じゃない」

「彼らはアリスの出生を知っている口ぶりでした」

「出生を知っていて、アリス様を捕縛し処刑に? 仮にも一国の王女よ?」

「ええ。なので、彼らは捕縛しようとしているのです」


 フィンの綺麗な白い肌が目に映る。


「彼等の狙いは、砂漠の国との全面戦争。アリスはその供物になるんですよ」


 ああ……。そう言う事か。

 矢張り……。


「なん、ですって……?」


 フィンは嘘を吐いている。



次回更新は27日水曜日となります!お楽しみに。

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