第10話 誰かの為の成れの果て

「クソ……ッ。肺が痛ぇな……」


 たった、たった十分だ。

 アスランは剣を手に茫然と立ち尽くしていた。

 今見ている物は幻か何かだろうか?


「あー、クッソ……」


 ゲホゲホと咳き込みながら、空に向かって大の字になり暴言を吐く。

 初めて見た。

 こんな姿を。


「嘘、だろ……? フィシストラ……」

「あー……?」

「お前が、お前がっ! この俺に一撃も入れる事なく、膝をつくなんて嘘だろっ!?」


 何という冗談なんだ。

 これは。

 あの、圧倒的な強さを持つ戦士が、たった十分だ。たった十分、自分と打ち合っただけで膝を付いている。

 フィシストラ・テライノズは、そんな無様な姿を晒す戦士ではない。

 女でも子供でも、何でも。

 フィシストラという人間の強さは正に誰よりも高みにいた筈なのだ。

 あの兄と、ギヌスと対等に唯一戦い、国一の剣聖であるゴードンに齢十にも届かぬ歳で勝ち誇り、誰にも彼にも散らせられる事はない気高き百合の花だったというのに。

 目の前にいる女は、何だ?

 フィシストラと同じ剣先を真似るばかりで先がない。技もなく、力がない。気迫もなく、センスもない。

 どれもこれも、似てはいる。しかし、それだけだ。あの圧倒的な強さを狂い咲かせるあの女の、足元にも及ばない。


「……声がデカい。肺が痛いと大の字になでてる人間に話をさせんな。少しぐらい待てないのか、お前は。言っただろ? 私はフィシストラであって、フィシストラではない。フィシストラ・テライノズの成れの果てだって」


 そう言って、アスランの知っている筈の、知らない女が笑う。


「弱い、だろ?」


 脇腹を抑えながら、フィンは立ち上がる。


「……弱い。いや、戦士としては十分な力量だ。だが、フィシストラならもっと……」

「慰めるなよ。惨めになるだろ? 自分でもわかってる。何一つ、出来ないんだよ」


 フィンは呼吸を整えて、アスランの前に立ち手を差し出した。


「この手で、昔出来ていたことが、何一つ、出来なんだよ」


 現代に生を受けた時から、フィシストラ・テライノズとしての記憶はある。

 フィシストラとして、フィンとして、あの時代を生き抜いた自分のまま、この争いも何もない時代に生を受けた。

 ただ、それだけだと思っていたのに。

 現実はいつでも残酷だ。


「今の私は、自分の頭の動きにすら追いつけない」


 頭では何処をどう動けばいいのか全てがわかっている。

 相手が何をしてこようが、関係ない。

 何処を見て、何を見極めれば、どう対処できるのか。それもよりも早く動けば他には要らない。

 全ては生きる為に詰め込んだ知識が頭の中にあると言うのに。

 今のフィンの体は動いてくれない。

 飛び抜けた運動神経と言われても、それは周りと比べるばかりだ。昔の自分と比べればクソより劣る。

 悔しいことに、フィンのが鬼神の様な強さを得ていたのはあの呪われた一族の、弛まぬ歴史の努力の恩恵である。

 恵まれたのだ。

 あの、一族の血に。身体に。

 戦いに必要なものを詰め込んだ遺伝子たちだけを後世に伝え続けたあの一族から唯一与えられた、身体そのものに。

 あの身体だからこそ、全てが出来た。

 現代ならいい。

 死闘なんてない。負けて死ぬ事もない。

 こんな貧弱な体だろうが、関係がない。

 それでも、フィンは絶望の中にいた。

 誰がわかってくれると言うのか。

 明らかに、弱くなったこの身体に埋れゆく強さの全てを。彼女は二度と手にする事ができない絶望を。

 鍛え上げれば、一から直せば? そんなものなどないのだ。

 これ以上の速さで剣は触れない。少しだけ激しく動けば息が上がる。集中力が、確実に途切れる場所がある。

 限界が、わかる。

 身体の限界が分かる。

 だって、自分の身体なのだから。

 誰も居ない現代で、その事実に行き着いた時、彼女は泣いた。

 生まれて初めて。あの時代でも、死んだ時も流れなかった涙が、止め処なく溢れてきた。

 早く走れる。剣術なら誰にも負けない。

 親にも先生にも周りからも羨望の眼差しで褒められても。

 何をしても、何を得ても。

 あの時には戻らない。

 もう、私はフィンではないのだ。

 その事実だけが、空っぽの彼女の中に唯一残った。

 もう、あの頃には心も身体も戻れない。


「フィシストラ……」


 ゲームの世界ならば。

 昔の姿ならば。

 そんな都合の良い夢を見ていた。

 けど、そんな夢みたいな事は矢張り夢の中の様だ。


「満足に剣一つ振るえない。これがフィシストラ・テライノズが死んだと言う証拠だよ。お前の目の前にいる私は亡霊でもなんでも無い。生きて生まれ変わってしまった出来損ないだ。わかったか? アスラン」

「……信じるしか無いんだな。お前は、本当に死んで生まれ変わった。フィシストラ・テライノズではない誰かに」

「そうだ。今はお前の方が随分と強いさ、剣聖様」


 アスランの知るフィシストラは、もう何処にも居ないのだ。

 その事実を理解した時、アスランは怒りにも近い感情を覚えた。

 アスランにとって、フィシストラとは上り詰めた先で尚も空高く進む理想の戦士だったのだ。

 それが、今やただの紛い物。

 嘘であって欲しかった。

 姿形をどれだけ変えても構わない。ただ、あの天賦の才だけは、彼女から奪わないで欲しかった。

 それは、憧れか。

 それとも、幼い儚い恋心か。

 今となってはわからない。


「やめてくれ。それでも、お前だって負けてない。勝てないだけだろ? 現に俺はお前に一撃も喰らわせられなかった」


 アスランは自分を落ち着かせるために、差し出された手を取った。

 小さな手は変わらない。

 そうだ。

 あの才は無くなっても、彼女は弱くはない。

 強くもないが、弱くもないのだ。

 それが、現実だ。

 有りのままを受け止めなければ。


「間合いを取ってただけだろ? それぐらいの事しか出来ないんだ。察しろよ」

「それも、強さだ。確かにお前はフィシストラ・テライノズではない。けどな、弱く儚くもない。お前は、死なない」

「一丁前に慰めているつもりか? 下手くそめ」


 パッと彼女が手を払うと、そのままアスランの襟元を掴む。


「そんなもんはクソ程いらん。それよりも、相手の動きを見極めろ。こんな弱い私の剣にかするな。決め手に掛けるからとおそろかにするな」

「……それに対しては言葉もないな。それにしても、なぜ俺の服を脱がせたんだ?」

「お前の大袈裟な動きにあの制服は幾分窮屈だろ? 流石にハンデを渡す程、落ちぶれてないんでな。相変わらず、動きがデカイぞ。でかい身体に胡座をかくな」


 もうアスランは戦士として死んだ後だと言うのに。

 どうやら、どちらが死んでも、両方死んでも兄弟弟子という立ち位置は変わらないらしい。


「弱くなったんじゃなかったのか?」

「はっ。私が弱くなったのは昔の私にだけだよ。態度には関係ないだろ?」


 確かにフィシストラ・テライノズはもういない。

 だが、彼女のその姿には、昔の彼女と同じ笑顔だった。




「よく分からんが、良くないのは分かるな」

「お互い頭の悪い一族の出だと痛感する言葉だな」


 フィンは呆れながらアスランを見るとため息をつく。

 現状を軽く何の配慮もなく説明すれば、この言葉だ。


「俺が死んだ数百年先の時代に居るお前と会っているんだ。女神の理に反しているだろ?」

「女神どころかすべての理に反しているさ。恐らく、ここは一度消される。この後私はローラ様にお前の事を報告するから、すぐにセーラがこの世界のリセットを掛けるはずだ。そうなれば、二度とお前に会うこともないだろうな」

「そうか……」

「何だ。寂しいのか?」


 まるで自分は寂しくも何ともないと言いたげなフィンの言葉に、アスランはため息を吐く。


「寂しい、とは違うな。俺もどうせこの後は星になる……事もないだろうな。お前を見ていると」

「人が星になろうなんて痴がましい考えだと言う事が嫌でも分かるな」

「俺はどうなるんだろうか……」

「さあ? 死ぬだけだろ? 悩む事も考える事もないだろ」

「お前が死んだ時はどうだった?」

「私? ああ、そうだな……。ローラ様の事を考えてた」


 フィンは笑いながら言う。

 あの時、確かに彼女は自分の愛する人のことだけを憂いていた。

 馬鹿みたいな話だろ?

 自分でもそう思うと、彼女は続けた。


「あの人との約束を果たせないのかと言う不安と、あの人のいく末の心配。それだけだ。自分が死んだ後なんてこれっぽっちも考えなかったし、思い浮かべてすらいなかったな。だって、死ぬってそう言うことだろ? 終わりには、何も無い。本もそうだ。捲るページがないんだから」

「……お前は、矢張り強いよ」

「嫌味か? いい度胸だな」

「違う。お前は、心が強いんだよ」

「……弱いよ」


 フィンは髪をかき上げるとアスランに背を向ける。


「一人で生きていけないぐらいには。さて、別れの時だ。アスラン」

「ああ、もう行くのか?」

「説明義務は果たしたし、これ以上喋っていれば名残惜しくなるだろ? ここらが丁度いい」

「それも、そうだな」


 淡々としたフィンの口調が彼女らしくて、アスランは少し笑った。

 永遠の別れだと言うのに。


「じゃあな、アスラン。死ぬなよ」

「死んでるんだって。……フィシストラ・テライノズ」

「ん?」

「有難う。死ぬ前、いや、後か? どちらでも良いか。最後にお前に会えて良かった。ローラにも宜しく伝えてくれ」

「だから、様をつけろよ。ああ、後それと。フィシストラと呼ぶのはこれっきりにしてくれ。私はローラ様の騎士、フィンだからな」


 どれ程弱くなっても。

 どれ程無力になっても。

 彼女が騎士だと言うことは変わらない。


「そうか。そうだったな。では、騎士フィン殿。失礼する。良き、終焉を」

「ああ、剣聖アスラン殿も」


 そこには握手もなく、礼もなくても。

 二人の騎士は振り返ることなく己の道へと進みだした。

 もう二度と交わることはない。

 



次回の更新は17日(月)の12時を予定しております

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