夏を閉じ込めたガラスケース

夕凪

第1話

 夏が来た。最早、この夏を過ぎた後には、秋は来ないのではないか。そう思う程に暑すぎる夏に、人類代表として、愛情を込めた憎しみを贈る。

「暑すぎる……」

「こらこら。こんなところでへばっていたら、山城ちゃんの家には着けないぞ」

「そんなに行きたくないんすよ。山城の家」

 思わず、本音が口をついて出てしまう。すると、前を歩く井上先輩は、端正な顔を意地悪く歪めて、痛いところを突いてきた。

「いつも私に恋愛相談をしてくるくせに、いざ家にお呼ばれしたら逃げるのか。そんなんだからお前はいつまでたっても山城ちゃんの横に立てないのさ」

「別に……逃げるとか、そんなんじゃないっすよ」

 これは、偽らざる本心だ。山城に惚れているのは本当だが、山城の家に行きたくないのも本音だ。

「まあ、なんでもいいがな。ただ、いつまでも青春恋愛ごっこに私を付き合わせるのはやめてくれよ」

 最後に、先輩は、振り返りながらこう締めくくった。

「私が学生でいられる期間は、あと三ヶ月しかないのだから」


 山城の家は、町で一番高い丘の上にある。初めて聞いた時は、この冗談みたいな立地に、思わず吹き出しそうになった。しかし、実際に行くとなったら話は別だ。文芸部員であり、典型的もやしっ子のインドア野郎である俺にとって、真夏のウォーキングは拷問に等しい。そもそも、部誌の編集会議を休日にやる意味が分からない。

「親睦会だよ。うちの部活は二年がいないだろう?一年のお前たちが仲良くならないと、私は心配でおちおち卒業もできないのさ」

 先輩は、そう言っていた。先輩は、口調は古臭いが、優しい人だ。山城と俺の仲を心配してくれているのは、本当だと思う。しかし、山城と俺の仲は、どう頑張っても進展することはない。なぜなら、彼女と俺は既に交際関係にあるからだ。


 あれは、先月の終わりのことだった。夜の公園で一人アイスキャンディーを舐めていると、自転車で丘を駆け下りてくる山城が見えた。

「山城?こんな時間になにやってんだ?」

 急用でもあったんだろう。そう思うことにした。アイスキャンディーを舐め終わり、一人で懸垂をしていると、山城が公園にやってきた。この間五分くらいだったと思う。かなり飛ばしてきたことが、山城の荒い呼吸から読み取れた。

「師岡くん、いるんでしょう?」

「いるけど……どうした?」

 なぜ、俺が公園にいることを知っているのか。気になることは山ほどあったが、好きな女子との会話に緊張していた俺は、何も言えなかった。

「私と、付き合ってくれない?」

「え……?」

「だから」

 山城は俺のシャツの胸元を掴み、思いっきり引き寄せて、こう言った。

「私と、付き合ってくれない?」

 こうして、俺と山城は、付き合うことになった。


「ようこそ。ここが、私の家です」

「随分と機械的な挨拶だな。私たちの仲だろう?もっとラフにいこう」

 山城の家に来るのはこれが初めてだが、特に感想はない家だった。普通だ。

「ごめんなさい、人を招くなんてことは滅多にないので、緊張しているんです」

「そうか。親しき仲にも礼儀あり、と言うしな。話しているうちに、いつもの調子に戻るだろう。じゃあ山城、今日はよろしくな」

「はい。よろしくお願いしますね」

 このやり取りからも分かるように、普段の山城は、とても礼儀正しい。あの夜以来、山城の激しい一面は見ていない。もう一度彼女に会いたいような、会いたくないような。そんな感じだ。

「では、私の部屋で。こちらです」

 初めて、彼女の部屋に入る。できれば二人だけで、と思ってしまうのは、我儘だろうか。


「では、編集会議を始めようか」

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