人の肉を食らう悪魔

「・・・・・・うっうう」


 寝ていた?あぁ、気を失っていたのか。頭がくらくらする。


 目を少しずつ開けるの同時に、椅子に座っていることに気づいた。立ち上がろうとするが、手足が自由に動かせない。ベルトのようなもので絞められているようだ。


「なんだ・・・・・・」


 のどの渇きを感じる。生暖かい空気が体を包んでいるように感じ、身震いする。においはいい匂いとは言えない。股間のあたりがむずむず、する。


「えっ?」


 目線を下に移したときだった。自分が裸だったことにようやく気付く。靴も何も身に着けておらず、放り出されたペニスからは細いチューブが出ていた。


「なんだよ・・・・・・これ!」


 チューブは椅子の下まで伸び、そこに置いてある錆びたバケツに溜められているようだ。よく見ると、体中の毛は全て剃られてしまっているようで、足指の毛、股間の毛もない。誰がこんなことを・・・・・・、頭の毛も剃られているのでは!と思い、頭を振ったが、頭の毛は剃られておらず安心する。いや、安心している場合じゃない。 


「すみませんっ!誰かぁ!誰かいませんかぁ!」


 カチャカチャカチャカチャンッ!カチャン!ぐいぐいっと手足をバタつかせるが解けそうにない。ベルトの金属部分がこすれてカチャカチャと音が鳴る。


「はぁ、はぁ」


 一通り暴れて、冷静さを少しずつ取り戻す。加えて、暴れるほど、ペニスに刺さったチューブが動き、痛みを伴うため、暴れたくても暴れられない。

 

 どうやら、ここはガレージの中のようで、下まで完全に閉まり切っていないガレージシャッターからは外が夜であることがわかる。壁にはシミがついており、床には何かを解体するのに使う道具が散乱している。包丁やペンチ、あれは注射器?ただ、日曜大工をするためのガレージではないことは確か。


 気を失うまでの記憶を思い出す。コンビニで、顔と股間を残して、骨になっていた女性の死体。そしてあの臭い。それを見た直後、正気を失い、走り回った先にあった車に触れて・・・・・・僕の体に電気が流れた。あんなの偶然に起こるもんじゃない。誰かが仕掛けたトラップなんだ。そしたら誰が?この世界にはもう人はいないはずだ。もしかして・・・・・・僕は例の殺人犯に捕まったのか?骨以外の肉をはぎ取って食べる奴に・・・・・・。なんで?殺人犯だって人間のはずだ!


「よっははぁ~起きたな?起きたな!最後の人間!」


 夜の外からシャッターをくぐりながら現れる男。その男は僕の顔をざらざらで細い両手でつかみ、僕の目を見つめる。髪はぼさぼさで服を着ていない。体中の血管が浮かびあがるほどに痩せていることがよくわかった。


「うっ!」


 鼻を刺激する奴の臭い。男の顔はそこら中ぶつぶつに腫れていて、ひっかき後もある。腫れたものをひっかき過ぎて潰れ、中から血が出た後もある。目は赤く充血し、それと同じぐらい舌も赤い。そして臭い。男は乱暴に僕の顔を離すと


「待ってろ。飯持ってくるかんな」


 といい、視界から外れる。


 なんだあいつは、恰好からして普通の人間じゃない!殺人鬼に違いない。ここから逃げないと!

 

「くそっ!くそっ!」


 あそこに刺さったチューブの痛みなど気にしていられるか!これから僕は殺されるに違いない。頭の皮膚だけを残して骨までしゃぶられるんだ!股間は残すのだろうか?いや、男の僕は関係ないだろう。ニュースの情報と照らし合わせると、男性の場合は股間の部分は残されていなかった。つまり、女性であれば残す。つまり、それは・・・・・・。コンビニで見た光景を思い出す。奴は、あの時、あの死体で、食欲と性欲の両方を満たしたんだ!まともじゃない!


 カチャカチャカチャカチャンッ!カチャン!

 

 頭に血がめぐる。頭の血管から血が吹き出そうなほどに歯を食いしばって手足に力を込める。だが、ベルトは固く、取れそうにない。


「暴れるな!」


 ガンっ。奴の拳が僕の後頭部を揺らす。脂肪も筋肉もついていない拳だったが、その分、骨の固さがダイレクトに頭蓋骨に響く。


「いっっ!」


 目の前が一瞬チカチカとひかり、思考が低下する。その間、今まで頭にのぼっていた血が体の方へと流れ、体の疲れとして押し寄せる。


「余計な運動をすると、脂肪が減るだろう!ふふっ大人しくなったな、いい子だ。さぁ、これを食べるんだ」


 男は、トレーにサンドイッチが乗った皿と水が入ったコップをのせ、僕の前に立つ。震える奴の手からサンドイッチが差し出される。パンの色は緑に変色しかけ、なにやら虫が飛んでいる。そんなサンドイッチなど、ただでさえ食べたくないのに、こいつが作ったものなら、なにがパンに挟まれているのか見当がつかない。


「・・・・・・」


 口をしっかりと閉じ、返事もしない。口を開いた瞬間に突っ込まれでもしたらひとたまりもない。


「それじゃあ、先に水だ」


 男はサンドイッチをトレーの上に戻し、水のコップを僕の口元へ。唇にガラスの淵を当てる。水はきっと僕の唇を濡らし、少しずつ口の中に入ってくるだろう。そうなる前に。


「やめろ!」


 大きく顔を右にずらし、奴が持つコップごと弾き飛ばす。飛んで行ったコップは僕の右手に水を浴びせながら、床に落ちてカシャンっと割れた。案の定、あの水の中には何かが入っていたのだろう。濡れた右手がぬるぬるする。


「やっぱり、食べてくれないか・・・・・・」


 奴は、床に置かれていた注射器を拾い、そしてその隣にあった木箱の中から得体のしれない真っ赤な液体の入ったプラスチックの入れ物を取り出す。入れ物をぱかっと開き、その中の液体を注射器で吸い上げ、空になった入れ物を床に捨て、僕の方へ近づく。


「なんだよその液体、やめろ!近づくな!」


「本当はちゃんと噛ませて育てた方が健康的でいいんだけど、食べられないなら仕方ない」


「やめろ!」


 カチャン!ベルトからぬるぬるになった右手が運よく滑り、抜ける。その自由になった手で男を押し倒す。思いのほか男は軽々と吹き飛び倒れる。持っていた注射器はシャッターの所まで転がっていった。


「ぐうぅ」


「ハッ!ハッ!」


 空いた右手で左手のベルトを外すのには時間がかからなかったが、足のベルトを解いたとしても、ペニスに刺さったチューブを抜かなければ、走って逃げることはできないだろう。


「よし、やるぞ・・・・・・」


 右手でペニスをささえ、空いた左手でチューブを少しづつ抜く。痛い、尿道が焼けているような感覚だ。


「うううっ!痛っ」


 思ったより、チューブは長いようだ。勢いよく抜くこともできず、痛みに耐えながら引き抜いていく。


「クアァァァァァァァ!なんでだぁぁぁぁぁぁぁ!」


 倒れていた男が急に叫びながら、か弱い腕で起き上がろうとしている!

 


 一瞬手を止めてしまったが、我に返り再びチューブを抜き始める。男が何か言っているがそれを無視し、チューブを抜き続ける。


「俺が先にこの世界に来たんだ!人間の味を知ったのは俺が先だ!なのに、奴が邪魔をしたんだ!人間を独り占めしたんだ!」


 ついにチューブを抜き切る。ペニスがまだジンジンと痛むが休んでなどいられない。チューブを乱暴に投げ捨て、急いで足のベルトを剥がしにかかる。


「芸術家の兄弟めぇぇぇぇぇぇぇぇ!」


「うわあっ!」


 痛みで男の存在のことを一瞬忘れていた。倒れていた男が、僕に急接近し近づき首を絞める。椅子の背もたれまで体を起こされ、足のベルトを解くことは不可能になり、僕もその男の腕を引きはがそうとする。


「なぁ!頼むよぉ~これで最後にするからさ!大人しく俺の餌になってくれよ~!少しでも太らそうと思った俺がバカだったよ。いまから鮮度が落ちないうちに食べてやるからさ!」


「うっぐうう」


 どんどん締め付ける力が強くなる。しかし、後ろへ急に体重をかけたことで椅子が後ろに倒れる。僕は背中から落ち、男も予想外だったのか首から手を離し、受け身をとる。僕の尿がはいったバケツがひっくり返り、僕の足に着いたのがわかった。男はそのまま転がっていく。


「おえっくそっ!」


 背中に衝撃。小学生の頃、鉄棒から手を放してしまい地面にたたきつけられたかのような感覚だった。残念ながら今は、優しく手を差し伸べてくれる先生も友人もいない。僕を食べようとする男だけだ。


 足が縛られている以上、ここから逃げることは出来ない。むしろ、前かがみがすぐにできないことで足のベルトを外しにいくこともできない。


 男の方を見る。今まで見れなかった僕の背中側を初めて見た。ここで、見なければよかったと後悔する。棚には3人の首が置かれ、そのうち女性の首の隣には、女性の股間の部位が置かれていた。ゴミ箱だろうか、白い袋には、骨や胃腸が集められていた。気分が悪い。


 男はゆっくりと立ち上がり、再び僕の所へ。


「奴らにとられる前に何とか一人捕まえたが、あれだけじゃ一週間ももたない。あの塔に近づいて肉をもらおうとしたが、奴らは許さなかった。一人ももらえなかった!俺は大人しくここで死ぬと思っていたが・・・・・・」


「やめてくれ!話し合おう!」


「ははぁ~、まず足から食べてあげよ!」


 駄目だ、会話なんて通じない。男は椅子によって高く上がった僕の足をまじまじと見つめる。


 何か!何か!手にできる武器は無いのか!自由になった両腕を伸ばし、床に落ちているものを藁にすがるように掴んでいく。しわしわになった紙やプラスチックの袋、床の埃。


 左手がコツっと固い金属に触れる。目線をそっちに向ける。包丁だ! その包丁をガシッと掴み、投げる方向を定めるため男の方へ向く。


「いただきま~す」


 男は左のふくらはぎの肉に噛みついた!


 ギチッギチチッ!!


「あああああああっ!」


 手にした包丁を思いっきり投げる。利き手ではなかったため、うまく飛ばず、男の右目をかすめた。だがダメージは十分。


「ううっ痛あぁぁぁ!目がっ!」


 男はよろけ、さっき手にしていたプラスチックの入れ物を踏み、転んだ。


「うぉぉぉ!」


 この好機を絶対に逃してはいけない。息を大きく吸ってから体を起こし、捻らせながら足のベルトに手を伸ばす。今まで腹筋をもっと鍛えればよかったと思った。


 急げ!急げ!


 左のふくらはぎに歯の痕がついていたが、そんなことに驚いている暇はない。そして左足のベルトを何とか外す。ピントはあってないが、視線の奥の方で男が立ち上がろうとしているのがわかる。


 急げ!急げ急げ急げ!


「ぷはっ!」


 いったん、体を床に戻し、深呼吸。もう一度深く息を吸って今度は右足。これさえ外せば何とかなる!


「痛いよ~!痛いよぉ!」


 男が暴れているのがわかる。完全に立ち上がり、右眼から血が出ているのを手で押さえている。よろつきながらこちらに来ようとするが、また床にあるものにつまずいて転ぶ。


 左手でベルトを抑え、右手で金属部分に触れる。カチャッカチャッと音をさせ、ついにベルトを外すことが出来た。

 

 急いで、椅子から離れ、両足で立つ。


「痛っ!」


 今になって左足の痛みが来る。だが、休んでいられない。出口を探すためあたりを見渡す。残念ながら、出入り口はシャッターのみであの男の横を通り過ぎなければならないようだ。机の上に僕の服が置かれているのを見つけ、その服を手に取る。重さ的にカメラと携帯はポケットに入ったままだ。


 足の痛みがあるが、走ってここを抜けていくしかない。ここを出た後どこに向かえばいいのかは分からないし、どれぐらい走れるかもわからない。一か八か!


 ふっと息をはき、ダッシュする。左足の痛みを無視し、目指すは半開きになったシャッターのその先!


「まっっまっ待て待て待て待て!」


 男がよろつきながら、僕を捕まえようと体当たりを仕掛けてくる。


「くるなっ!」


 その男の体当たりを避けようと、左足で踏ん張って飛ぶ。体当たりをかわし、男は壁にぶつかりもう一度倒れる。しかし、僕も着地でつまずき、倒れる。


「くそっ!動いてくれ足!」


 足を叩き、立ち上がる。服をしっかりと抱え、左足を引きずりながら何とかシャッターの元へ。

 

 シャッターの下を転がるようにくぐり、ガレージを出る。


「はぁっはぁっ!走らないと・・・・・・・」


 来たことのない場所。まして東京の街などどこに行けばいいかわからない。夜で道は暗く、どこへ行けばよいかわからない。だけど、早くここから離れないと!


「待ってくれぇ~!」


 声のする方を振り返る。ガレージからあの男が出てきていた。追いかけてくる気だ!


「お願い!待ってく」


 パンッ



 その音が聞こえた瞬間、男の声は聞こえなくなる。


「えっ?銃声?」


 振り返ってよく見てみる。男が倒れている。死んだのか?誰が?


 その時、死んだ男よりも奥の道路に、一人の女性が立っているのがわかった。月明かりに照らされたこの女性はこちらに近づいてくる。


「あっあの・・・・・・」


「大丈夫。私はあなたの味方よ。とりあえず安全なところへ行きましょ。話しはそれから」


 その女性が、今の僕にとっては女神のように見えた。

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