彼方の幻想曲

万年青 遼

Prolog

陽光煌くある夏の日。とある学校の来賓者らいひんしゃ用の部屋。冷房が効いているにも関わらず、部屋の居心地は誰にとっても最悪だと言えた。


「いい加減に認めろよ!お前らが宏人ひろとを自殺に追いやったんだろうが!」


 目元に隈が出来たやつれ気味の男が、テーブルを挟み対面のソファに座る高校生3人と恰幅かっぷくの良い偉そうな男に対し怒声を発する。目を吊り上げ怒鳴る男の隣で女性が堪えきれず顔を覆い涙を流す。

 それに対し恰幅の良い男は僅かにひるみながらも表情を取り繕い、隣で呆気に取られている高校生3人に問いかける。


「君たちは結城宏人ゆうきひろとくんに対して嫌がらせのような行為はしたことがあるかね?」


 彼らは慌てて首をぶんぶんと横に振り、それを見た恰幅の良い男は目前の男へ演技がかったわざとらしい表情で肩をすくめる。


「ふざけるな!!」


 そう言い放つと同時に、やつれ気味の男は目の前のテーブルに拳を叩きつけ立ち上がる。

 やつれ気味の男が殴りかからんとする勢いで詰め寄ろうとするのを、ソファの後ろで控えていた教師が慌てて取り押さえ必死になだめる。



 この無意なやりとりをする空間を俺は呆然と見ていた……。これは夢である。何十回、何百回と見た夢。親友の宏人が死んで以来、一度も見なかったことがない夢。

 当時の俺は涙を流す女性の隣で、ただひたすらに自分を呪っていた。権力者により握り潰される真実。それに対し何もすることが出来ない無力さ。何の力も持たないのに無謀な正義を掲げたこと。そして何より、自分が引き起こした事に親友を巻き込んでしまい、何も気づかずにのうのうと過ごしていた愚かさを呪った。


 夢には必ず終わりがある。もうすぐこの夢もいつも通りの終わりを迎える。

 物語はハッピーエンドで終わるものだけれど、夢というものは幸せな終わりを迎えるとは限らない。


 日が沈みかけ、雲が赤い血で染まった頃、何の成果も得られずに来賓室を後にしたやつれた男と泣き腫らした目をした女性と俺は、無言で誰もいない廊下を歩く。

 誰も喋る気力も気持ちも持ち合わせおらず、重苦しい沈黙が場に流れる。それに相反して校庭からは部活動に励む、学生たちの活気ある声が響いてくる。

 気づけば3人とも、校庭の様子を廊下の窓からを歩きながら眺めていた。

 ーー本来いるはずの生徒が1人いない校庭を。


「ごめんね、ヒロ……お母さんたち、何もできなかった……」


 哀惜あいせき、虚無感、悔恨かいこん……様々な感情が入り混じった声音でポツリと呟く。


「なんでヒロが……なんでヒロなんだよ……!」


 やりきれない、やり場のない黒い感情は心のダムに溜まっていく。どんなに大らかな人間で、例え大人であったとしても、許容量を超え決壊してしまった心のダムをせき止めることはできないだろう。感情という名の濁流は、近くの、丁度良い流れ出せる場所を探し求める。


「そもそもお前が……お前さえいなけりゃ、ヒロは死ぬことがなかっただろ!なんでお前が生きてて!――ヒロが……!」


 10年来の付き合いである親友の両親から、初めて浴びせられた悪意ある言葉。剥き出しの悪意は、何の抵抗もなくスッと身に沁みていった。

 ――そうだよ。何で俺なんかが生きてて、ヒロが死ぬんだよ。誰も納得しないだろこんなの!無価値な俺が生きてて、ヒロが死ぬなんておかしいだろ!!


 夢の終わり。間も無く意識が目覚めるだろう。

 そう、これは夢であり、儀式である。一ノ瀬奏多いちのせかなたという愚かな人間が、己の無価値さを再認識するための。



 長いようで短い眠りから目を覚ます。


「よう、新入り。やっと目覚ましたか!」


 意識が覚醒すると同時に頭上から野太い声が降ってくる。無駄に大きな声に眉をしかめつつ目を開けると、子供が見たら泣き出しそうな人相をしたスキンヘッドの大男が目に入る。身に付けたタンクトップから真っ黒な鍛え上げられた肉体を覗かせており、一目で黒人だと分かる。


「あんまりうなされてるもんだから、目覚めのキッスでもしてやろうかと思ったぜ!」


「そんな事されたら死人も生き返っちまうな」


 ベットから身を起こし、くだらないジョークをかましてくる相手に俺は適当に返事を返すと、大男は「ちがいねえ!」と言いながらガハハと豪快に笑う。

 大男は笑い終わると真面目な顔つきに変え、「それにしても……」と短く前置きしてから話しかけてくる。


「今回はまた酷くボロボロになったな。お前の能力イデアは強力な代償として諸刃もろはの剣なんだから、下手に使って嬢ちゃんたちに心配かけんなよ?」


「……俺がどうなったってあいつらには何の関係もないだろ。それより、次のターゲットは決まったのか?」


 口うるさく説教をしてくるであろう彼女の姿を脳裏に浮かべつつ、ピシャリと俺が言い切ると目前の大男はやれやれといった態度を取りつつ質問に答える。


「ああ、街道付近に召使いサーヴァントが現れたらしいぜ」


「街道か……被害を出す前に還してやらないとな」

そう言うと俺はまだ僅かに痛む身体を無視してベットから降り、壁に掛けられてあった棺に剣が刺さったエンブレムが刺繍ししゅうされた戦闘服を羽織る。


「おいおい、もう行くつもりか!?」

「ああ、早い方が良いだろ」

「そりゃそうだけどよ……まじで死んじまうぜ?」

「俺みたいなのが何かの役に立って死ねるなら願ってもないさ」


 このエンブレムは証なのである。

哀れなるものに死を手向たむけることが許された証。人々の安寧を司る者の証。厄災に抗う力を持った証。勇気、あるいは蛮勇の証。

そしてーー自ら死へと飛び込む愚か者の証でもあった。


「はぁ……。オーケーオーケー、ここに誘ったのは俺だしな。でっかい子供のお守でもなんでもしてやるよ」


 降参のポーズを取りながら呆れと皮肉を込め言ってくる。だがそれも、彼の優しさゆえなのだろう。まだ数週間程度の付き合いだがそれくらいは分かるようになった。

 彼には悪いと思ってるが、俺は自らを使い潰すまでのんびり休むことは許されない。

この世界が与えた能力イデアが言っているのだ。身を賭して罪をあがなえと。



 今日も行こう。

 ――死を求めて、死を手向けに

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