姓名判断

いちはじめ

姓名判断

そう長くは持たないと医者から告げられていた。

 妻は末期癌で、発見された時はすでに手の施しようのない状態であった。

しかし本格的な治療は受けないという妻の意向により、痛み止め程度の処置しか行っていない。

 今日は娘と息子の家族が遠方からお見舞いに来ている。

 意識がしっかりしているうちにお別れがしたいという妻の希望を汲み取り集まってくれたのである。いつもは二人きりの病室が生者の活気を帯びている。

 上半身を起こし、肩にお気に入りのショールをかけ、皆に囲まれ笑顔で談笑している妻を眺めていると、色々な思い出が浮かんできた。

 妻は両親を若くして亡くしていて、家は貧しく苦労の連続であったと聞く。

 しかし彼女はそんなことを微塵も感じさせることのない明るさと美しさを兼ね備えていた。

 私はそんな彼女と出会い、たちまち恋に落ちた。

 積極的な彼女に引っ張られるように交際は結婚話へと順調に進んでいったが、家柄の違いから周囲からは猛烈な反発を喰らった。

 私たちの決心は堅かったが、ともすれば周りに押し流されそうになる私を強く支えてくれたのは彼女であった。

 紆余曲折を経て結婚してからは、一転、両親から愛娘のように可愛がられ、子供を授かったと後もよき母、良き妻としてかけがえのない時を与えてくれた。

 病室が夕焼け色に染まりかけている。

 妻は少し疲れたといって横になった。

 彼らはまた来るからと名残惜しそうに病室を後にした。

 窓際のカーテンがゆったりと裾を揺らしている。

 私は椅子をベッドの脇まで寄せ、妻の手を優しく握った。

「疲れたわけじゃないのよ、これ以上だと悲しくなっちゃうから。それよりあなたに言っておかないといけないことがあるの。本当はお墓までもっていくつもりだったのだけど、あの子たちのおかげで決心がついたわ。でもあなたを悲しませるような話じゃないから安心して。」と言って、うふふと微笑んだ。

 それは思い出の中の彼女とぴったりと重なった。

 「あなたと結婚して本当によかった、これ以上の人生は望めないって思うほどよ。嘘じゃないわ。でもね、こうなることはずっと前からわかっていたの。」

 彼女は悪戯っぽく笑った。

 「生命判断って信じる? 私、貴方と知り合う前にやってみたの。そしたら貴方と結婚したら最高の幸せが得られるって出たの。」

 姓名判断? 知り合う前? 何のことだ、意味が分からない。

 妻は神妙な顔つきになり話をつづけた。

 「実はね、私、産まれたときに病院で取り間違われたのよ。長い間気づかなかったのだけど、姉の子供が白血病になった時、骨髄移植ドナー登録の検査で、ほとんどマッチしなかったの。詳しく調べたら両親の実の子ではないことが分かって。」

 思いがけない告白に私の心臓は強く反応した。

 「もう一人の相手に、私の人生返してってよっぽど怒鳴り込もうかと思ったわ。でもその相手は何も知らずに幸せな人生を送っているようだったし、こんな気持ちになるのは私一人で十分と思って何も伝えなかった。それでも悔しかったわ。もし取り間違いがなかったら私の人生どんな風になっていたのかしらって。」

 妻に穏やかな笑顔が戻っていた。

 「それで未練たらしく姓名判断をしたの。そして気づいたの、その人と結婚したら本当の名前に戻ってしあわせを取り戻せるってことを。」

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姓名判断 いちはじめ @sub707inblue

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