第六十話 会談の終結
Szene-01 レアルプドルフ、一番地区の宿
遅番の役人に手配してもらった役場最寄りの宿で一夜を過ごすこととなったエールタインたち。
各々は用意された部屋に入って着替えると寝床へ直行して横になり、大して話をすることもなく眠りに就いた――一人を除いて。
「やっとエール様を独占出来たあ。抱き着いても反応ないからつまらないけど。やっぱり戦争って嫌いだ、参戦してみてよくわかった。エール様が危ない目に遭ってしまうし、色んな人が私とエール様の時間を奪ってしまうもの。でもエール様のお役に立てるから悪いことばかりではないのかな。能力いっぱい使ったらみんな褒めてくれるし、エール様もにこにこしてくれるもん」
ティベルダはヒールでエールタインを癒しているが、同時に自身の体も治癒するので元気になってなかなか寝付けない。
よって無理に眠る必要が無いのをいいことに、大好きな主人に抱き着いて甘えていた。
「私にとってのヒールはエール様と触れ合うこと。今この時間が幸せを一番感じられるの、ふふ、素敵なエール様は私のもの――」
エールタインの背中に顔を擦りつけて、我慢していた気持ちを解放するティベルダだが、世界はティベルダの思うようにはさせてくれない。
主人と二人きりの時間を少しでも強く感じようと、半ば必死に甘えていたティベルダの耳に扉を叩く音が入り込む。
「ええええ、何で邪魔するのお」
「エールタイン様、お休みのところ申し訳ありません。スクリアニア公との話合いが終わりました。至急謁見部屋へお越しください」
ティベルダに寝息を聞かせていたエールタインは、睡眠時間が短いにもかかわらず熟睡できたような声で答える。
「ふわあ、話し合い? そっか、そうだった。あれからどれくらい経ったんだろ」
「まだ寝始めたばかりですよお。睡眠時間が短か過ぎてエール様の疲れが取れません!」
「ううん、疲れは驚くほど取れててすっきりしてるよ。ずっとティベルダがヒールしてくれていたんでしょ」
「はい、もちろんです! エール様の従者として重要なお仕事ですから」
エールタインの目をじっと見て力強く語るティベルダだが、扉を叩く音と剣士の声が再び気分を萎えさせた。
「スクリアニア公の回復もお願いしたいので、お急ぎいただけると助かります」
「もお、エール様との時間なのにい」
エールタインは、両手を握り締めて寝床を叩くティベルダの頭を抱きしめて言う。
「はいはい。ティベルダの気持ちはわかるけどさ、話し合いが終わったのならもう少し頑張れば元の生活に戻れるってことだよ。あと一息だから付いてきて欲しいな」
ティベルダの頭を胸に抱えているエールタインは、ゆっくりと離していきながら自身の顔を近づけた。
「ボクにも回復させて。短い眠りでも疲れを取ってくれたお礼だよ」
エールタインは軽く唇を重ねてベッドから下りると、扉の向こうにいる剣士に言った。
「すぐに着替えて向かいます」
呆けた表情で固まったティベルダは、主人に肩をとんとんと叩かれて我に返った。
「久しぶりだったので、何が起きたのかとびっくりしました」
「驚いちゃった? ならしない方がよかったかな――」
「してください! いつでも構わずしてください!」
「あはは、たまにするからいいんだよ」
「いっぱいする方がいいんですよ」
ティベルダは自分のヒールで回復した上にエールタインからの特別報酬により飛び切りの笑顔を見せる。
釣られるようにエールタインも微笑んで、着替えを始めた。
Szene-02 レアルプドルフ、謁見部屋
エールタインとルイーサそれぞれを主人とする二組のデュオは、急いで謁見部屋へと戻って来た。
「ヘルマ」
「お迎えに行けなくてすみません。剣士様が代わりに行くからと止められてしまったので」
「いや、ヘルマはダンに付いていないといけないから、何も悪くないよ。近所の宿へ向かう時に同行してくれたことに驚いたぐらいだし」
「エール様の姿を見ていないと落ち着かなくて……ダン様にお願いしたのです」
「そうだったんだ。もう町にいるんだし、今まで通りいっぱい相手してもらうから安心してね」
「エール様……」
ほっと胸をなで下ろしたヘルマの横からダンが言う。
「全然休ませることが出来なくてすまんな」
「構わないけどさ、お話は全て終わったの?」
「ああ、公爵が思いのほか円滑に進ませてくれてな。ほぼこちらの考えをのんでくれたよ」
「こんな状態でまともな話など出来るわけがあるまい。初めから全てを聞かざるを得ないようにしておいて、どの口が言う」
「はっはっは、あんたに回りくどい言い方は必要無かったな。その通り、こちらの考えを全てのんでもらうためだよ。こうでもしなけりゃ聞く気は無いだろう」
スクリアニア公は呆れ顔で強く鼻から息を吐く。
「ふっ、話は済んだのだからこの体をどうにかしろ。いっそ消し去ればいいものを生き恥をかかせたいのであろう。動けなければ何もせんぞ」
「そのためにうちの剣士を呼び戻したのだ。すまないがティベルダ、完治まで頼む」
エールタインにそっと背中を押されたティベルダは、膨れっ面になってダンの横に座った。
「そう膨れるなよ。エールと一緒だったんだろ」
「時間が短すぎて一緒にいた気がしていません」
「そうか、足りなかったか。でもお前はエールの従者なんだからずっと一緒にいられる。ただしエールに嫌われないようにしていないとどうなるかわからんぞ」
「えっ」
ティベルダが慌ててエールタインへ振り返ると、笑いを堪えつつも胸を張って大きく頷いていた。
「い、今は好きだから、ヒールをやってくれたら嬉しいな」
今にも吹き出しそうなエールタインにルイーサとヒルデガルドも笑みを浮かべるが、ティベルダは心配そうな顔をしてスクリアニア公へと目線を変えた。
「あなたが変な事をしたのに、なんで私が嫌な思いをしているの? ねえ、なんで?」
「あ?」
突然矛先を向けられたスクリアニア公は、徐々に両手を伸ばしてくるティベルダに怪訝な表情を見せた。
ティベルダの両手が公爵の首へと向かっていることにダンが気付き、慌てて止める。
「待て、早まるんじゃない」
ダンに右肩をぐいっと引っ張られたティベルダだが、振り返らずに両手を伸ばす。
しかし向ける場所を公爵の胸へと変えて両手を重ね、目をオレンジ色に光らせた。
「ダン様にもヒールが流れてしまって治癒に時間が掛かります。集中するので手を離してもらえますか」
「そ、そうか……すまん」
ダンは慌てた勢いの止め方に困りつつ、ゆっくりと肩から手を離して町長を見る。
町長は数回小さく頷いてから言った。
「この子はエール様次第。そのエール様から好意的な言葉をもらったのですから、危惧することはないでしょう。こちらは黙って見守るだけですよ」
「町長の方がティベルダのことをよく分かっていらっしゃるみたい。ダン師匠、弟子の従者のこともちゃんと分かっててくれないと困るなあ」
エールタインはティベルダに見せたよりももっと胸を張り、にやりとした顔でダンを見下ろして言った。
「こいつ調子に乗りおって。ティベルダの能力を何度か見てきているとな、心配はするぞ」
「ところで、お話の結果は?」
「話を変えるな……まったく、師匠だの先生だのと言う奴はたいていの場合敬っていないものだ」
「そんなことないよ、師匠」
「……いっぺん見習い剣士からやり直すか」
「えええ、ダンったら大人げないよお」
「お前が大人を敬う立派な子供だったら大人は大人でいられるんだよ」
ダンとエールタインのやり取りが謁見部屋の空気を柔らかくしたところで、ティベルダの治癒が終わりに近づいていた。
ダンはエールタインとルイーサに、スクリアニア公と交わした約束について説明した。
夫人であったザラについては町長との話の際、子供と共にレアルプドルフに戻りたいという意向であったが、公爵の今後の動きによってはレアルプドルフとスクリアニアとの間を取り持つ役を担ってもらうために夫人としてスクリアニアに留まることとなった。ただし公爵が不穏な動きを見せた場合は即刻帰郷するとした。
また、町との行き来は自由に出来ることも併せて約束された。
この件についてはまだ本人に伝えられていないため、暫定の約束となる。
レアルプドルフがスクリアニアに対して危惧していた一つ、ザラの一件についてようやくこれまで耐えて来たザラと町民の心を癒すための一歩が踏み出された。
これまでの時間を取り戻すことは叶わないが、ザラとその子供である兄妹の今後が少しでも明るいものになるための土台作りにはなるだろう。
ザラの件に続いて町にとって大きな事件であるエールタインの父――アウフリーゲンの他界については、剣士である以上誰しもに起こりうることであるため咎めないとした。
しかし今後の交流を円滑にするためには英雄を失くした町民が納得する計らいは必要である、というダンの意見によって、スクリアニア公自らアウフリーゲンの墓へ足を運ぶことも決められた。
「エール――」
「ダン、ありがと。ボクだけじゃなく、町の人たちが納得するようにしてくれるのなら何も言う事はないよ」
「なんだ、今度はいい子になっちまうのかよ。なら大人らしくしなきゃならんな。落ち着いたらヘルマやヨハナだけでなく、俺のところにも来いよ」
「そんなこと、言われなくても嫌がられても行くから覚悟しといて。師匠! って叫びながら抱き着くからさ」
「はあ……ったく、親でもあるってことを忘れないでくれよ」
「あれえ? ボクがダンの娘であることに自信が無いの? らしくないなあ。ダンはさ、見た目通りどこから飛び込んでも倒れずに受け止めてくれる人のはずなんだけど。そこが大好きなのに、違ったのかな」
ダンはエールタインから本音をぶつけられたことに照れを隠しきれず、豪快に後頭部を掻いた。
それっきり言葉を出せなくなったダンに代わり、ヘルマが答える。
「エール様、ダン様には刺激が強過ぎましたね。でも、今泣きたいほど喜んでいらっしゃいますよ。いっぱい甘えてあげてくださいね」
「ヘルマ、余計な事を言うんじゃない」
「あら、必要な事だと思ったのですが……では以後気を付け――」
「ええい、面倒くさいことにするな。お前はいい仕事をしたよ」
エールタインとヘルマのみならず、ルイーサとヒルデガルドも笑った。
「これで完治しました。もう普通に動けるはずです」
ティベルダはスクリアニア公の背中と頭の下に手を差し入れると、ゆっくり公爵の上半身を起こした。
「本当に治っている」
「今日だけは念のため安静にしてください。明日からは普通に動いて大丈夫なはずです」
「このように不可解なことを体験してしまっては、お前たちの話を聞くしかないな。俺よりもお前たちの方が厄介ではないか」
頭を掻きむしっていたダンは公爵に振り返って答える。
「この子らは特別だよ。今までの能力者より遥かに強力なものを持っている。そしてこの時期に二人が現れたということは、この日を迎えるためなのだと考えている」
任された仕事をやり遂げたティベルダは、一瞬でエールタインの元へと移って甘える。
エールタインが肩を抱きしめて労う姿を見てスクリアニア公が言う。
「今思えば、俺は終わり方に困っていたのかもしれんな。国が広がれば何かが変えられる、事が思うように運ぶのだと自分に言い聞かせて必死に領土を広げた。進めるにつれて状況が変わり求めるものも変わると、当初の目標を目指すことが難しくなる。だが回り道をしてでも辿り着きたいという思いは募るばかりで、目標にさえ辿り着けば犠牲や苦しみは全て解消されると思っていた――だがそれは違っていたようだ。人は傷つくし命を落とせば元には戻らない。各々に思いがあり目標がある。俺にそれをぶち壊す権利までは無かったのだな。悔しいが完敗だ」
回復したことを確認するように立ち上がったスクリアニア公に合わせるように、ダンも立ち上がって背中に手を当てて言う。
「そこまで分かってくれたのなら、町のみんなもすぐに受け入れるはずだ。これから大変だが、頼んだぞ」
ダンが軽く背中を叩いて願いの駄目押しをしてからは二人とも無言になり、じゃれ合う少女たちを眺めていた。
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