第三十八話 捕らわれの夫人

Szene-01 スクリアニア公国、ヴェルム城廊下


「今、あいつらの声がしなかったか?」


 王室から出たスクリアニア公は、廊下に並ぶ数名の侍女と一人の執事を目線でザッと確認して返答を待った。

 執事が代表して答える。


「作業中の女中が業務の伝達を――」

「部屋にいる俺の耳に聞こえるほどの声でか? お前からの教育が足りないのか、お前の教育が足りないのか――。何かが足りないのは確かなようだが、どうする?」

「も、もうし――」

「同じ言葉を聞くほど暇ではない。やるべきことをやれ」


 スクリアニア公は必要最低限の指示を口にすると、珍しく何もせずにその場を去った。


Szene-02 スクリアニア公国ヴェルム城、ザラ自室


 侍女からの助言により自室へと向かったザラ夫人と、その子供であるフォルター卿にケイテ嬢は、廊下での話を続けていた。


「母様は嫌じゃないの?」

「嫌じゃないなんて一言も言っていないわ。怖いばかりよ」


 ザラに握られているフォルターの手は、フォルターの意思とは関係なく小刻みに震えている。


「母様――それならなんで」

「あの人の前では逆らえないでしょう? 黙って聞くしかない」


 ザラは続ける。


「もし本当にあの人が言った方法で攻め込んだとしても、私の姿を見たレアルプドルフの人たちがただでは置かないわ。私はそれを信じているの」

「町の人たちは頼りになるのか?」

「とってもね。私がさらわれたのは、怖くなって逃げ遅れたから。みんなと離れなければ無事だったの――なのに、足が動かなかった」


 フォルターの後ろに隠れ気味だったケイテは、ザラの元へツツツっと寄ると、しゃがんでいるザラに抱き着いた。


「あまり話さないようにしていたけれど、レアルプドルフについて誤解を持って欲しくないから伝えておくわ。でも、皮肉なものね。あの人に見つからなかったらこうしてあなた達に会えなかった」

「そんなの、結果的にだろ! 俺たちが生まれなければ、母様が苦しむことにはならなかったんだ」


 ザラはフォルターを抱き寄せて言う。


「そんなこと言わないで。あなたたちは私の宝物。だから皮肉だと言ったのよ。それでね、私はあなたたちの気持ちを確かめたいの」

「気持ち?」


 フォルターがザラに問う。ケイテもザラの服をつかんでいる手を離さずに母の顔を見た。


「もしあの人と私、今後どちらかと一緒に生きていくのなら、どちらを選ぶ?」

「母様に決まってる!」


 ケイテも兄が言ったのを見て大きくうなずく。


「ごめんね、とても悪い親がすることをしてしまったわ。私はレアルプドルフならなんとかしてくれると信じている。ただ、そのための準備はしないと――」


 ザラが話している途中で、閉められている窓の雨戸からカリカリと音がした。


「あら、お客さんが来たようね」


 ザラは特に驚くこともなく音のする雨戸へ近寄ると、ゆっくり開けながら外へ目をやった。


「まあ、可愛い子が来てくれたわ」


 ザラの目に入ったのは一匹の赤い目をしたリスだ。フォルターとケイテが同時に肩をすくめたが、フォルターはケイテの肩を抱きながら母に言った。


「魔獣だ、母様危ない!」


 ザラは動じることなく手のひらを向けて、リスに乗るよう促した。


「よく慣れているわね。どうやらブーズの子の中に魔獣を懐かせられる子がいるようだわ。私は話すことができないけれど、言葉はわかるわよね?」


 リスは大きな尻尾を振って見せる。


「見ての通り私は元気よ。それに二人の子供もいてね、どちらも無事です。伝えらえるのならお願いね」

「魔獣を懐かせられるなんてできるのか?」

「私の生まれた東地区の子ならば、能力を持った子が生まれるの。どんな能力になるのかはわからないけれど、この子は魔獣を手懐けられる子に出会ったみたいね。やっぱりブーズは面白いわ」

「母様も能力を持っているのか?」

「さあ、どうかしら。何か使えるのなら、すでにどうにかしているんじゃないかしら――そろそろあの人に怪しまれてしまうわ。あなたたちは部屋に戻りなさい」


 ザラはリスを窓枠へと下ろすと、下りていくのを見送ってから雨戸を閉める。

 フォルターはケイテの背中を押しながら、ザラの部屋を出て行った。


「何もなくこのまま終わるのかと思っていたけれど、まだ私は人生を楽しんでいいようね。ブーズの子たちに期待しちゃうけど、大丈夫?」


 ザラは一人笑みを浮かべてベッドに座り、天井を見上げていた。

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