新弟子マドカ

 今の弟子は四年目のサキ先輩とカツオ先輩、三年目のアカネの三人。アカネが入った後の翌年は弟子採ってないのよね。理由を聞いたら、


「二年連続で弟子取ったからね」


 ギャフン。最初の下積み期の撮影遅延が経営に響いてたって。たしかにあれはひどかったもんね。あんなもの毎年やってたら、オフィスが潰れてもおかしくないもの。もう一つは弟子入り基準のシビアさ。珍しくツバサ先生が書類審査やってたんだけど、審査の早いこと、早いこと。


「ボツ、ボツ、ボツ、ボツ・・・」


 写真をチラッと見るだけでゴミ箱行き。よくアカネが選ばれたと思うほどのボツの山。溜まっていたのを見る見る片付けて、


「ああ、サッパリした」


 そんな時に面接試験。思い返せばアカネが入門して以来、面接試験なんて一度も無かった気がする。気になるかって、そりゃ気になるから、応接室に普通のお茶淹れて持って行った。


「・・・新田まどかさんね」

「はい」

「経歴は大学卒業後に赤坂迎賓館スタジオに三年間勤務だね」


 あっ、聞いたことある。東京で一番厳しいスタジオって評判で通称『虎の穴』。アカネは虎の穴って言われてもわかんなかったけど、大昔のアニメに出てきた地獄の訓練所みたい。もっとも、なにを訓練したのかはしらない。写真じゃないだろうな。


「こっちに移る理由は」

「自分をより成長させるためです」

「ふ~ん。まあいい、三十分あげるから、ちょっと撮って来てくれるかな。この近所の風景でイイよ」


 懐かしい。アカネもああやって試験されたんだ。


「ツバサ先生、どうなんですか」

「ほら、見てみ」


 渡された写真だけど。上手いのは上手いけど。ここはもうちょっと工夫があってもイイ気がするし、この構図は平凡過ぎるし、これは露出をもうちょっと工夫した方が・・・二年間も修業していた割にはイマイチ感がテンコモリ。


「もう一つって思ってるだろ」

「え、ええ、その、二年やられた割には・・・」

「赤迎にいたんじゃ、こんなものさ」


 どうなるかと思っていたら採用。


「サキ、アカネ、面倒見てやってくれ」


 ツバサ先生の弟子になった。でもちょっとやりにくい。アカネも二十二歳になるけど、あの人は二十六歳。入門年次はオフィス加納ではアカネの方が早いけど、他のスタジオの勤務歴を考えると、えっと、えっと。


「新田まどかです。マドカとお呼びください」


 それはそれは礼儀正しい。話してみると写真理論にも詳しい。サキ先輩に、


「出来そうですね」

「どうかな」


 この日はオリエンして神戸に来るのは、準備もあって数日後ってお話。


「ツバサ先生、マドカさんはどこから始めるのですか」

「あん、アカネと同じだよ」


 マドカさんは朝早くに出勤して来て、オフォスの掃除をしてるのよ。花なんか生けてあって、どこのオフォスかと思ったぐらい。お茶を淹れさせても渋茶なんか出さないし、言葉遣いとか礼儀作法とかビシッって感じ。アカネがさんざん怒鳴られまくった用具の手入れも完璧。でもツバサ先生はボソッと、


「赤迎上がりだからな」


 この日はスタジオ撮影だったんだけど、ツバサ先生から、


「サキ、アカネ、いつもの三分の一ぐらいで動くから、そのつもりでね」


 ああ、あのユックリ・ペースでマドカさんの能力をテストする気だ。でもあれぐらいなら出来るはずよね。


「マドカ、そうじゃない」

「こら、そこにいたら邪魔」

「もたもたしない」


 あれ? デジャブが。どうして出来ないんだろう。こんなにユックリやってるのに。あ、そうか。ツバサ先生の撮影スタイルが読めてないだけに違いない。でも何日経っても、


「マドカ、そうじゃない」

「こら、そこにいたら邪魔」

「もたもたしない」

「泣くな、止まるな、動け」


 ちっとも改善しないのはどうして。なんか三年前のアカネを思い出しちゃった。そんなマドカさんが、ちょっと相談したい事があるって。アカネもサキ先輩やカツオ先輩によく相談させてもらったから張り切って応じたんだ。


「アカネ先輩」

「アカネでイイよ、年下だし」

「少しお聞きしても宜しいでしょうか」


 ここからかみ合わない会話が始まったの。


「麻吹先生や星野先生の自宅の当番は誰がされてるのですか」

「なにそれ、ツバサ先生の家なんか行ったことないよ」

「じゃあ、先生の家の掃除とか、洗濯とか、お買い物とか、庭の手入れは誰がされるのですか」

「自分でやってるんじゃない。彼氏が主夫してくれてるって聞いたことないし」


 なんで他人の家の家事までやらなあかんのよ。


「事務所の掃除はどうされているのですか」

「年末の大掃除の時にはやるかな。ツバサ先生なんて凄い格好でくるから楽しみにしてたらイイよ」

「麻吹先生が自らお掃除されるのですか」

「サトル先生もだよ」

「普段は?」

「スタッフの人と業者さんがやってくれてる」


 なにか異なものを聞くって感じで、


「お茶くみ当番とかは」

「とくに当番はないよ。手の空いてる人が適当にやってる。ツバサ先生やサトル先生も手が空いてれば淹れてくれるし」

「先生が自らですか」

「誰も手が空いてなければ自分で淹れるし」


 他にどうするって言うんだろ?


「まず写真を見て頂くのはアカネ先輩ですか、サキ先輩ですか」

「アカネが見たって意味ないよ。見るのはツバサ先生に決まってるじゃない」

「先生自ら・・・どれぐらい」

「今はマドカさんも余裕がないだろうけど、休日が出来るようになったら撮ったら見てくれるよ」

「何枚ぐらいですか」

「持って行ったら全部だよ。全部見てくれるのはありがたいけど、ツバサ先生はすべての写真にツッコミが入るから、時間がかかるけどタメになるよ」


 そしたらマドカさんは泣き出しちゃったのよね。


「それ本当なんですか。先生の家の掃除や洗濯、買い物とか、事務所の掃除や、お茶くみ当番はここではないのですか」

「見たことも聞いたこともないけど」

「撮った写真も全部ツバサ先生が自ら見て下さるのですね」

「それが師匠の仕事でしょ」


 なんで泣くのだろう。


「マドカさんも、赤坂迎賓館スタジオの時にアシスタントやってただろ」

「はい、アシスタント見習い補佐です」


 なんじゃ、そのゴチャゴチャしたのは。ここも良く聞くと、


 正 ← 副 ← 見習い ← 見習い補佐


 ちなみに見習い補佐になれば、その上の見習いに写真を見てもらえるようになるそうで、師匠が写真を見るのは正アシスタント以上だって。マドカさんは三年目だけど、それまで何してたんだろう。


「アカネ先輩はいつからアシスタントになれましたか?」

「入ってすぐに叩き込まれた」

「一年目でいきなり正アシスタントですか」

「正かどうかはしらないけど、ここでは見習いも補佐もいないの。だってマドカさんも入れて四人しか弟子がいないでしょ」

「それは先生の家に詰めておられると思ってました」


 そういう世界にいればそう考えるのか。


「でもあれだけ失敗して申し訳なく思っています。あれだけ失敗してもアシスタントとして使ってもらえるのにも感謝していますが、もうちょっと勉強させて頂いてからの方が良いと・・・」

「マドカさん。それは絶対にツバサ先生に言ったらダメよ。アカネも悲鳴を上げて弱音を吐いたら、部屋中がビリビリ震えるぐらいの勢いで、


『女の根性見せてみろ!』


 それこそ怒鳴り倒されたもの」


 もう唖然って感じのマドカさんは、


「ここでは失敗は許されるのですか」

「許されないよ。失敗すれば説教付きでガンガン怒鳴られる」

「えっ、あんな懇切丁寧な指導は初めてです。それも先生から直接ですよ」


 どうにもわかりにくかったんだけど、三年も勤めていて師匠とは朝夕の挨拶ぐらいしかしたことがないそう。仕事もすべて『見て覚えろ』だったんだって。ここまで来てやっとわかったのは、アカネがツバサ先生とタメ口とまで行かないにしても、ごく普通に話をしているのを見て、余程の地位にいるとマドカさんは思ってるみたい。


「アカネ先輩はどれぐらいで付いていけるようになりましたか?」

「とりあえず今のペースに三ヶ月かかったけど」

「よし、頑張ります」


 これは黙っておいた良いかもしれない気がしたけど。


「マドカさん。今の撮影ペースは・・・」

「ツバサ先生のペースは物凄いですね、さすがだと思いました」

「いや、そう感じるかもしれないけど・・・」

「これに較べると前のところの動きなんかスローモーションと思いましたもの」


 サキ先輩も似たようなことを言ってたけど、


「マドカさん。脅すわけじゃないけど、今のはマドカさんのための練習用のペースなんだ」

「ひぇ、あれで普段より遅いのですか。じゃあ、普段って今より二割かいや三割ぐらいさらに早くなるとか。それは頑張らないと」

「いや、あの、その、もう少し早い」

「まさか五割ぐらい早いとか。二倍なんてありえないものですね」

「いや、えっと、その、今の三倍ぐらい」


 マドカさんは目をシロクロさせていました。どうにもチンプンカンでツバサ先生に聞いたら、


「弟子の下働きってそんな感じのところが今でも多いんだ。なんか落語家の内弟子修業みたいなものをさせてる感じかな。赤迎はとくにそうだよ」

「なんか意味があるのですか」

「ないよ。単に自分がそうさせられたから、そうさせるものだと思い込んでるだけ」


 なんとなくわかるような。自分が辛かったから弟子にも当然させるってやつ。


「そういうところの『厳しい』は、無駄に辛いだけってこと。マドカの写真が四年目にしたらイマイチとアカネが感じたのは、そんなことやってる時間が長かったからさ」


 なるほど、サキ先輩やカツオ先輩が言っていた、ここでの下働きはすべてカメラのためってのが、やっとわかった気がする。他所の厳しいとオフィスの厳しいは次元がこれだけ違うんだって。

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