冥凍【グラキエス】に囚われし姫君


「十三年前――までは? 十三年前に何かが、あった――?」


 ショウマは訊く。無意識のうちに僅かに身を乗り出したその拍子に、手首に嵌められた枷がガチャガチャと短く響く。


 シエンは視線を落とし、ショウマの枷を見やる。


「ショウマくん――だったわね? その身に【覇王アシャ】を宿し、その力を【枷】に封印されている少年と聞いたけど――」


 唐突に自身に話を振られ、ショウマは戸惑うように曖昧に頷く。


「えっ、ええ――そうですけど――」


「そう――これは何の因果なのかしら――覇王アシャというのはね、この世界に伝わる昔話に登場する魔神で、数千年前に魔族マギアイドラを生み出して人類ヒトビトを脅かしたとして語り継がれている存在なの――まさか実在していた上に、今まで夢幻拘束ソルバインドに封印されて世界の狭間を漂っていたなんて――」


 皆の視線がショウマの枷に集まる。ナルが驚いたように呟く。


「昔話に登場する魔神って――そんなヤバい奴だったんだ、覇王アシャって」


 ナルの言葉に、シエンは呆れたように溜息をついた。


「貴女には古典魔術の講義で教えているはずだけど――まあいいわ」


「先程、何の因果か――と仰いましたけど、覇王アシャと十三年前に起こった何かは、関係があるということですか?」


 何かを思案しているかのように瞳を細めて、ミズホは訊く。シエンはこくりと頷くと、机の上に置かれたカップを手に取り短く口をつけ、上目遣いに青髪の少女を見つめる。


「察しがいいのね、貴女。気に入ったわ。弟子にして魔術の手ほどきをしてあげたいくらいだけれど、魔術適性が低いのが惜しいわね――そう、貴女の言う通り、十三年前に起こったとある出来事と覇王アシャとは少しばかり関係がある。そして、今になって覇王アシャをその身の枷に封じた少年と、その枷を断ち切ることのできる少女とを同時に、私の弟子むすめが召喚した。これは偶然ではなく、必然――ともすれは、何かの因果を感じずにはいられないわ」


 シエンはカップに注がれた飲料を啜り、流れるような手つきでそれをテーブルに置くと、その場の全員を一瞬だけ見回してから語った。


「十三年前、この世界に突如として――【魔王】を名乗る、強大な魔力を持つ者が現れた」


「【魔王】――?」


 シエンの発した単語に、少年の頬がぴくりと動く。


「この世界にあらわれた【魔王】は、まず魔族マギアイドラに自身の強大な力を分け与え、配下とした。【魔王】の力によって、魔族マギアイドラはその能力と個体数とを飛躍的に伸ばし、魔族マギアイドラ人類ヒトビトとの対等だったパワーバランスは完全に崩壊した。

 次に【魔王】はザネキソの街を制圧し、魔都ダイスロウプという魔族マギアイドラによる帝国へと作り変えた。そして、そこを拠点として、多くの人類ヒトビトが平和に暮らしていた、聖都サンノミザに攻め入った――」


「侵略――ですか」


 ミズホの言葉に、魔術師は首を横へと振った


「虐殺よ――あれは。私を含めた他の街の高位魔術師がサンノミザの救援に駆けつけた時には、もうすべてが終わっていた。聖都の人々は誰一人として、ヒトとしての原型を留めてはいなかった」


「まったく、非道いよね……」


 ナルが眉を潜め、悔しげに唇を噛む。


「サンノミザ唯一の生き残りは、聖都の姫でもあったスミノ・エコ・ウエンという高位魔術師。でも、彼女の存在こそが、聖都サンノミザが真っ先に狙われた理由であり、その先に続く悲劇の始まりでもあった」


「悲劇の始まり、とは――?」


 少年は呟く。シエンは一段と声を潜めるように。


「高位魔術師でもあったスミノ姫は、その身体に【魔王】に匹敵する膨大な魔力を有していたの。【魔王】はそれに目をつけ、冥凍グラキエスの呪術によってスミノを生きたまま凍らせて連れ去ると、彼女の身体に満ちた膨大な魔力を、自身の目的のために利用しだした――つまり、スミノの魔力を用いて、それまでよりもさらに強力な魔族マギアイドラを生み出し始めた――」


 小さく息を吐き、ナルが俯く。シエンはちらと横目で弟子むすめを見やる。


「そうして生み出された強力な魔族マギアイドラの中でも、最高クラスの力を持った者たちは、四天王として他の魔族マギアイドラを配下に置くようになった。やがて【魔王】を筆頭とした4つの軍団、ダイスロウプ魔軍が組織され、四天王はそれぞれの軍団を統率する幹部のような役割を持つようになり――いよいよ人類ヒトビトを滅ぼそうと、世界各地への侵略を始めた――」


「なるほど――確かに、人類ヒトビトにとっては壊れかけた世界、か――」


 少年は独りごちる。


 シエンは隣に座った弟子むすめの横顔を見つめたまま、続けた。


人類ヒトビトの滅びがほぼ確定してしまったこの世界を、そう呼ばずして何と呼ぶの。こうしている間にも、私のような高位の魔術師のいない街は、何も護ることすらできずに次々と魔族マギアイドラによって滅ぼされている。

 このだってそう――ナルは、十年前に故郷の街を魔族マギアイドラに襲撃されて滅ぼされた中での、唯一の生き残り――救援に向かった私が街に着いた時にはもう手遅れで、幼いこの孤独ひとりで、砂の中に立ち尽くしていた。その砂っていうのはね――魔族マギアイドラの滅閃によって粒子と化した、このの母親や父親の変わり果てた姿だったのよ――」


「非道い――ナルさんに、そういう過去が――」


 ミズホは自身が傷ついてでもいるかのように顔を歪め、ナルの方へと視線を向ける。


「うん、師匠かあさまの言うとおり、あたしは魔族マギアイドラに故郷を滅ぼされ、両親を殺された。あたしは師匠かあさまに拾われて、育ててもらって今こうしてここにいる――正直、幼いときの記憶は殆ど残っていないけど――それでも、この状況をなんだかしなきゃって思ってて、あたしみたいな子供をこれ以上増やさないために、何か出来ないかって思ってて――」


 訥々と呟くナルの言葉を、シエンは引き継いで続けた。


「だから、ある日、このにどうしたらいいかを訊かれたときに教えてあげたの。

 魔族マギアイドラ冥凍グラキエスに囚われているスミノ姫の魔力によって力と数を増し続けている――って。

 彼女を救い出すことを考えたとき、その最大の障壁は、ダイスロウプの軍勢による防衛網でも、【魔王】との対峙でもなく、それ以前のことだった――冥凍グラキエスはね、施した術者自身ですら解くことの出来ない強固な封印呪術。まずは、それを断ち切ることができる能力チカラが必要なのだと――そんなことができる能力チカラは、この世界でも、他の世界でも、たった一つだけ――」


「それが――神秘斬滅ルナイレイズ――?」


 ミズホの言葉に、シエンは深く頷いた。


「そう。まさかこんなに早く見つけてくるとは思っていなかったけど――スミノ姫を封印から断ち切って救い出し、魔族マギアイドラの跋扈に歯止めをかけるためには――神秘斬滅ルナイレイズの少女、あなたの能力チカラが必要なのよ」


 シエンは真っ直ぐにミズホを見つめていた。青い髪の少女は自身が召喚された理由を知り、その重圧を噛みしめるかのように、はいと小さく頷いて見せた。


「ところで――【覇王】と、その【魔王】とやらの関係というのは――?」


 不意に少年は口を挟む。シエンは瞳だけを動かして少年へと射るような視線を向けた。


「そうね、十三年前――聖都サンノミザの救援に向かった私たち高位魔術師が見たのは、冥凍グラキエスによってスミノの自由を奪い、連れ去ろうとする【魔王】の姿。

【魔王イスタ】と名乗ったその男は、私たち高位魔術師など相手にしようともせず、ただ去り際にこう言っていた――。

『この姫の魔力チカラ、尽きるまで存分に使わせてもらおう――そう、人類ヒトビトの滅びの宴の始まりだ――何故なら俺は、かつて魔族マギアイドラを生み出し、人類ヒトビトを滅ぼさんとした、【覇王アシャ】なのだからな――!』と」


 その時、唐突に放たれる、刺すような少年の声。


「デタラメを言うな――竜族ドラコルグス魔術師メイガスよ」


 突然の強い言葉に、ミズホは驚いて隣を見た。


 そこにあるのは、輝くふたつの瞳。爛々とした金色の瞳。ショウマは既に居らず、覇王アシャの人格ココロを表に現した少年がひとり、テーブルの上に置いた拳を震わせていた。



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