消える街【ザカラヅカ】


 部屋の空気が凍りついたような、張り詰めた静寂。


 シエンはしばらく黙ったまま覇王の眼をした少年の姿を見つめていたが、やがて、ふうと一息つき、ゆったりとした動作でカップを持ち上げて啜ると、その目尻を緩めた。


 冷え切ったカップを手に持ったまま少年を見つめる高位の魔術師の瞳。興味深げな底の見えない色を帯びて。


「はじめまして――ね、覇王アシャ。お伽話で語られるほどの伝説的な魔神と、こうしてお話ができるだなんて、とても光栄だわ。でもね、デタラメとは人聞きが悪いわ。十三年前、私は確かに【魔王イスタ】を名乗る男が、自身がかつて【覇王アシャ】であると語るところを見ているのだから」


「語っているのではなく、騙っているの間違いであろう――? 何故なら【覇王アシャ】は俺であり、俺はここにいるのだからな――だがしかし、その【魔王】とかいう奴が何をしようが俺の知ったことではないが、勝手に【覇王俺の名】を騙っているのであれば、そのような偽者には死の鉄槌を下すことも考えねばならぬか――」


 怒っているかのような口振りとは裏腹に、少年の瞳は愉しげに揺らめいていた。まるで、自身を騙る偽者へ死の制裁を加えるのを待ち遠しく思っているかのような。


「なるほど――確かにあなたは本物の【覇王アシャ】のようね。夢幻拘束ソルバインドによって無と繋げられていても、なお感じるその力、まさにお伽話に謳われ、伝説に語られる絶対覇王――ということかしら。私もこう見えてそこそこ長生きして、それなりに色々と経験しているつもりだけれど、正直言って驚いているわ」


 シエンは静かに冷たくなったカップを置く。テーブルがカタリと小さく音を立て、少年を眺める高位魔術師の瞳は、その心の内を覗き込むかのように大きく見開かれた。


「で、覇王アシャ――あなたはその少年の身体に宿って、何をしようというの?」


 アシャの金の瞳が嘲るような色味を帯びて。


「愚問だな、竜族ドラコルグス魔術師メイガス。長命で聡明と言われる種族といえども、その程度か。――我がこれを器とした意味、解らぬか――」


 意味がわからないわねとでも言いたげに、高位魔術師はふるふると首を横に振る。


「ふん――当たり前のようにカタチを成し、当たり前のように身体を持つ貴様たちには解らぬか――それを喪った者の空虚むなしさ切望ねがいなど理解できぬか――」


 少年は瞳を細め、刺すような視線で一同を見回し、そして言った。


「俺はただ、身体が欲しかっただけだ。それ以上の望みなど――あろうはずが無い」



 ○●



「シエンさん、大変です! ザカラヅカの街が――消えました!!」


 突如として響いた声に、張り詰めた部屋の空気は一変した。


 レシノミヤの街の住人と思しき青年が、ドアを蹴飛ばさんばかりの勢いで部屋に飛び込んでくるなり叫んでいた。


「ノックくらいして欲しいものだけど――ザカラヅカの街が消えた、というのはどういうこと?」


 シエンは立ち上がり、青年へと向き直る、青年は全速力で駆けてきたのか、ぜえぜえと息を吐きながら途切れ途切れに答えた。


「そのままの……意味ですよ……何ならこの建物の上から……確認してもらってもいいですが……」


「その必要は無いわ。少し待って」


 シエンは事の重大さを察したのか、眉を潜めて呟いた。掌を広げ、胸元あたりで掲げる。


 ぼんやりとした立体映像ホログラフが高位魔術師の掌の上に浮かび上がった。そこに映し出されていたのは、青々と森のように生い茂った木々と――。


「森の中に――砂漠――?!」


 ミズホは思わず呟いていた。


 上空から見下ろすように立体映像ホログラフに映し出される森林。その中央部分だけが、ぼっかりと抉ったように消えていた。その空白を埋めるのは白く乾いた砂塵。まるでドーナツのように、木々の真ん中を塗り潰してその縁取りだけを残すように、ひとつの集落ほどの広さをもった砂漠が、もともとそこにあった何かを塗り潰したかのように場違いに鎮座していた。


「あの――ザカラヅカの街というのは――?」


 躊躇いがちに訊くミズホヘ、シエンは緊張した面持ちで応えた。


「レシノミヤの隣街よ。森を隔てているから人の行き来はそれほど無いけれど、この建物の上からでも見ることが出来るくらいの距離にある――いや、あった、の間違いね」


「えっ――?」


 シエンは伏し目がちに、自身の掌に浮かべた立体映像ホログラフを見ながら。


「ここに映っているのは、ザカラヅカの街があった場所――もう手遅れよ。この様子だと、街は砂漠に飲み込まれて消えている――」


「そんな――街の人たちは――?」


 ガタリと音がする。アシャは椅子から立ち上がり、不快そうに金の瞳を細め呟いていた。


「この感覚は――【滅閃ラディウス】か。属性は【砂】。とすれば、その街とやらは砂に飲み込まれたのでは無い。道も建物も、住まう人間もすべて――呪いを帯びた滅閃ラディウスを浴び、砂塵と化して崩れ去ったのだ。そこに映っている砂漠のようなものは、それらの残骸――」


 そっ、そんな――ことが――? すべて――砂塵に――? と呟いたミズホの唇は小刻みに震えていた。涙の浮かんだ瞳を揺らし、立体映像ホログラフに映し出された砂の廃墟を見つめ、小さな声で――いったいどうして、こんなことに――。


「そんなの、魔族マギアイドラのせいに決まってる」


 ナルはそれまでとは違う、低く小さな声で吐き捨てるように言うと、何かを思案しているかのように口許に手をやった。


「でも――砂化の【滅閃】って――まさか――」


 その時、ドタドタと足音が響き、また別の青年が部屋に転がり込んできた。


「シエン先生! 消えたザカラヅカの街の生存者がこの街に――! 命からがら、ここまでたどり着いたようなんですが――酷く衰弱していて――」


「いいわ、私が診る。滅閃を浴びているのなら急がないといけないわね。今はどこに?」


 シエンは薄緑色の法衣をぶわりと翻して足早に歩きだす。青年は慌てて引き返しながら声を上げた。


「入口の付近に寝かせています――10代ほどの女の子なのですが、衰弱と怯えが酷くて――」


 扉の前に敷かれた布の上に寝かされた少女の様子は、青年の言う通り酷いものだった。


 少女の傍らへ屈み込み、何やらぶつぶつと呟きながら手をかざすシエンの肩越しにそれを見たミズホは、無意識のままに小さな悲鳴を漏らしていた。

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