第3話 レシノミヤの街穿つ滅閃と左腕の枷

砂の【記憶】


 それは、あたしの中での最も古い記憶。


 それ以前のことは思い出せない。


 いや――、単に思い出したくないだけなのかもしれない。


 それより昔の記憶にあるものは、今のあたしが失ったもののはずだから。


 失ってしまったものを思い出して、悲しみを呼び起こすのがこわくて、あたしはそれ以前の記憶に蓋をしてしまったのかもしれないから――。



 記憶の中で――幼いあたしは、炎天下のもと砂の上に立ち尽くしていた。


 あたしは、周囲を見回した。視界いっぱいに広がっているのは、まるで砂漠のような砂に覆われた地面と、ところどころが盛り上がっている砂の丘。


 何が起こったのか。ここはどこなのか。


 何もわからず、あたしはただ立ち尽くしたまま、呆然と砂漠を見つめていた。


 しばらくして――あたしは気付いた。少し先のところに、テーブルと本棚のようなものが棄てられたように転がっていることに。


 砂を踏みしめながら、サクジャリと地面を鳴らしながら、何かに誘われるかのように、あたしはテーブルへと歩いていく。そして、それにゆっくりと触れる。


 さらさらと音がする。あたしが触れたそばから、テーブルは細かい粒子に分解し、崩れていく。それに連なるように、テーブルの奥にあった本棚までもが、砂粒となって崩れて散り行き、太陽の光を浴びてきらきらと輝きながら、消えていく。


 その様子を呆然と眺めながら、あたしは気づいた。


 崩れたテーブルは、【いつもあたしが食事の時に使っているもの】だったこと。本棚は、【あたしの部屋のもの】だったこと。


 あたしはあとずさった。足元の砂が揺れる。踏み締められた砂の中から、絨毯のような模様が僅かに覗く。それは見慣れた模様。それは絨毯の切れ端。【あたしの家の居間に敷かれていた絨毯の模様】。


 そう――、ここは、あたしの家だった場所。


 壁は失われ、天井は崩れ、家具は砂と散ってしまってもなお、そこはあたしが生まれ、育ち、家族と一緒に暮らしてきた場所に――間違いなかった。


 家族と、一緒に――?


 あたしの足元で、くしゃりと音がした。


 見やると、そこには横たわっているかのような、ヒトのカタチをした小さな砂の山。下半身に相当するだろう部分は既に崩れ落ちており、その両腕は何かを庇うかのように広げられ、痛みに耐えるかのように歪んだままの、その顔は――。


「おかあさん――?」


 あたしは、ただ認識した現状を、そのまま呟いていた。


 それはあまりに唐突な、感情が追いつかないままに発せられた、抑揚のない声。


 足元で崩れかけの砂山になっていたのは、あたしの母親の変わり果てた姿だった。


 あたしは母親のカタチをした砂山の、その先へと視線を移す。同じような大きさの砂山がもう二つ、折り重なるようにして倒れているのが見えた。


 それは恐らく、あたしの父親。もう一人の方は誰だかわからなかったが、家だった場所にいたということは、親しい誰かだったのかもしれない。


「これは、おとうさん――? どうして、みんな――砂になっているの――?」


 感情が少しずつではあれど追いついてくる。幼い唇が、小さな指先が、震えだす。


 その時、不意に背後から、若い女の人の声が聞こえた。


「これは――なんて非道い有様なの」


 あたしは振り返った。


 長い髪をした、法衣に身を包んだ若く見える女の人が、砂の上に立ち尽くしていた。


 女の人は悲しげな表情をして周囲を見回し、そして、あたしの方を見ていた。


「なんて――こと――あの【滅閃】の中で、生存しているなんて――」


 とても驚いたよう様子で独りごちると、女の人はあたしに駆け寄ってきた。屈み込んで、あたしに目線を合わせて、撫でるように優しく静かに問いかける。


「あなた、大丈夫? 痛いところや怪我はない?」


 痛みは感じなかったので、あたしは素直に頷いて見せた。女の人は、そう――とだけ呟いて、あたしの全身をまじまじと見つめた。


「そう、あなただけが――【生き残った】のね――」


 それ以前の記憶が欠落しているあたしには、女の人が何のことを言っているのか咄嗟には理解できなかった。あたしは、よくわからないとでも言いたげに眉を寄せて、小首を傾げて――その時だった。


「――ん? これは、魔力反応が近い――!? あなた、ちょっと隠れるわよ」


 何かを察したかのように、唐突に女の人は顔を上げた。ぐいとあたしの小さな身体を抱きよせ、ものすごい力で引っ張ると、砂の中へと潜り込むかのように身を隠した。


「悪いけど、声は出さないでね。【敵】に見つかると面倒だから」


 女の人はあたしの耳元で囁く。


 しかし、その声は途中で掻き消された。


 ゴゴゴゴという轟音が響いた。と同時に、砂漠が盛り上がっていく。地響きに砂の地面が震え、砂塵が吹き上がり、もうもうと立ち込める白茶の砂煙の中で、それはゆっくりと姿をあらわした。


 それは、砂の巨人ゴーレム


 砂漠に浸かる様に、上半身だけを外へと出していながら、見えている部分だけでもその大きさは数十メートルはあろうかというほどに巨大な姿。


 すべてを飲み込んでしまいそうなほどの大口を開け、砂塵を掻き分けるかのように、巨人ゴーレムは緩慢な動きで身を起こしていく。


 あたしは砂に身体を埋めながら、分厚い砂塵の奥に蠢く巨人ゴーレムを見ていた。そして、その巨人ゴーレムの肩の上に乗っている――黒い鎧を纏った人影を見ていた。


 黒い鎧は巨人の肩に仁王立ちし、遠くを見据えているかのようだった。


 巨人ゴーレムの大口から、ゴボゴボと音を立てて光り輝く砂粒が溢れ落ちる。


 やがて粒子は宙を舞い、少しずつ巨人ゴーレムの開き切った口元へと収束していく。光を湛え、やがて稲光と輝きを漏らして――。


「不味いわね――チズナ不可視たれデヅン遮りたまえ


 小さな声で、女の人は詠唱する。すると温かな光が、あたしたちを包み込んだ。


 その時だった。


 巨人ゴーレムの大きく開かれた口から、白と黒の混じった極太の閃光が迸った。


 閃光は伸びていく。空を、裂くように、塗りつぶすかのように。


 そしてその閃光は、遥か遠くにあるどこかへ――着弾したようだった。白と黒のペンキを無秩序にぶち撒けたかのように、地平線に光が飛び散っていく。


 遅れて響いてくる爆発音。地面を覆う砂粒が衝撃波によって根こそぎ引き剥がされていき、やがてあたしたちも、女の人の詠唱によって発生した光に包まれ守られながらも、宙へと放り上げられる。


 ガタガタと激しい振動が身体を揺さぶる。やがて頭を打ち付け、あたしの意識は一旦そこで途切れた。



 〜〜



「ふう、危なかったわね――」


 女の人の溜息混じりの声を聞き、あたしは意識を取り戻した。


 あたしは、ゆっくりと身を起こす。全身にこびりついた砂粒が、ざらざらと音を立てて身体から振り払われていく。


「もう大丈夫よ。【敵】は去って行ったから」


 言われて、あたしは顔を上げた。


 砂の巨人ゴーレムも、その肩に乗っていた黒い鎧も、すでにそこには居なかった。


 それだけではなく、そこにはもう、何も残されてはいなかった。


 家の残骸も、家族だったものの名残も、すべてが、真っ平らで白茶い砂漠に塗りつぶされているかのように消えていた。


「あなた――名前は?」


 女の人は、あたしに問いかける。


 思い出せなかった。あたしは無言で首を横に振る。


「そう――ショックで忘れてしまったのね。かわいそうに」


 女の人は近づくと、優しくあたしを抱き寄せて、そして囁いた。


「あのね――名前のないものは、カタチを失いやすいものなの。だから、不本意かもしれないけれど、私が代わりにあなたの名前をつけてあげるわ」


 抱きしめる力が強くなる。服の隙間から入り込んでいた砂粒がポロポロとこぼれていく。


「いい――? 名前は忘れてしまっても、さっきの連中のことは覚えておきなさい。あなたの家族を殺し、故郷を砂に変えてしまったのは、さきほどの砂の巨人ゴーレムから放たれた【滅閃】なのだから。

 そうね――だから、あなたの新しい名前は、ナルにするわ。私の――竜族ドラコルグスの古い言葉で、【もう、忘れない】という意味よ――」


 女の人に抱かれながら、いつしかあたしは泣いていた。


 今度こそ本当に、追いついてきた感情が私の身体を制御不能なほどに震わせていたから。


 泣きながら、泣きながら、あたしは、女の人に言われた通りに、砂の巨人ゴーレムの姿を、それを操るかの様に肩に乗っていた、黒い鎧の姿を脳裏に刻んでいた。


 それは、あたしのおかあさんと、おとうさんと砂粒へと変えて殺した奴だから。あたしの住んでいた家を、故郷を砂に埋めたバケモノだから。


 もう忘れない。黒い鎧の姿を――その鎧の隙間から覗いた――


 サソリが張り付いているかのような、おぞましい人外の相貌。


 あたしはそれを、決して忘れない――。



 〜〜

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