指し示すのは【断ち切るべき場所】
「なるほど――随分と周りくどい【招待状】――だな」
散り散りになった白霧の残滓を眺めながら、アシャは感情も抑揚も無い平坦な口調で呟いていた。
友人を連れ去られ、瑞穂は困惑しきった様子で震える指先を口元へとあてる。
「あの仮面のヒト――私たちを、
「それにしても――奴は何の為に俺たちを、
その時だった。
灼け焦げた【
奈留は咄嗟に上部を見上げる。そして、何が起こったのかを察したのか、慌てたように叫んだ。
「ちょっ――こりゃヤバイよ。
地響きがより激しく、空気の震えが胸を押し潰さんばかりに強くなっていく。
白と焦げた黒とが混ざった偽りの空は、ビキビキと悲鳴のような音をたてながら、ヒビ割れていく。
「なるほど、領域を展開していた術者が立ち去ったことにより、その維持が出来なくなったか、はたまた崩壊するよう意図的に仕組んだか――うぐっ!?」
呟き終える前にアシャは小さく呻いていた。その金色の瞳が一瞬だけ強く瞬くが、しかしそれ以降ゆっくりと輝きが薄れていく。
「さすがに、そろそろ【時間切れ】ということか――まったく、小娘が半端なタイミングで俺を呼び出すからだ」
わざと【小娘】の部分を強調するようにアシャは言い、その場に膝をつく。
「えっ――あっ、あの――すみません――」
瑞穂は屈み込み、アシャの表情を伺うように覗き込む。その声は消え入りそうで、今にも泣き出しそうなほどに湿っていた。
アシャは切れかけの電球のように不安定に瞬く金色の瞳で、涙目の少女を見つめ返す。少女の小さな掌に握り締められた剣の柄を、すっと指でなぞるように触れた彼は、小さく息を吐き、嗤った。
「ふ――冗談だ。だが、悪いと思っているのなら責任を果たしてもらおう」
瑞穂は当惑したように眉を潜める。
「責任を――果たす――?」
「お前、領域や結界を【断ち切った】ことはあるか?」
突拍子も無い問いかけに、瑞穂は驚いて目を剥いた。慌てたように首を横へとぶんぷん振る。
「えっ――ええっ!? い、いえっ、さすがにそんな経験は――」
アシャは真っ直ぐに瑞穂の顔を見つめたまま、僅かにその口許を緩めた。
「いや、お前なら――簡単だ。結界は基本的に、内界と内界の裏側を【繋ぎ合わせ】、外界から浮くように展開される――それゆえに――その接合部を【断ち切れ】ば――その先は――外界のはず――だ――」
意識が遠のいていくかのようにアシャの頭が揺れる。途切れがちに紡がれる言葉、その語尾は掠れている。
「いいか――お前が、できなければ――皆、崩壊する白に潰され――終わりだ」
瑞穂は息を呑み、頬を引き攣らせながら立ち上がる。その顔に浮かんでいるのは、困惑と不安とがない混ぜになった、今にも泣き出しそうな表情。
「そ、そんな、いきなり言われても――結界の接合部――? なんですか、それ――そんなの、どうやって――どこを、どう斬ればいいのか――わからないですよ――」
あわあわと少女は独りごちる。突然、自信の肩にのしかかって来た重圧に押しつぶされそうな、悲痛な声。
バラバラと音を立てて白に染め上げられていた空間がひしゃげていく。割れた空の隙間から、得体の知れない赤い泥のようなものの蠢く様子が覗く。それは空間と空間の狭間に満ちた、底無しの闇か、それとも虚無か。
剣を握りしめる白い指先が、噛みしめられた唇が、緊張と恐怖の高まりで小刻みに震える。叩き割れたガラスのように砕け剥がれ落ちる空から、断末魔の叫びにも似た不快な音が降り注いでくる。少女の震えは膝まで及び、見開かれた瞳にはじわじわと涙が、溢れんばかりに溜まっていく。
「案ずるな、小娘――」
眠るように瞼を閉じながらもなお、アシャは譫言のように呟き続けていた。
「そうか――視えないのなら――わからないのなら――最初くらいは――俺が――断ち切るべき場所を――教えてやろう――」
少年は完全に目を閉じていた。項垂れたように頭は下がり、その意識は深い眠りの中へと落ちつつあるかのようだった。
ただし――その中で唯一、指先だけは、震えながらも、とある一点を指し示していた。
明確な意思を保ったまま固定されている、その指先の指し示す先を、少女は眼で追った。そこには、何もない。そこには、何も視えない――でも。
それは彼の言っていた、内界と内界の裏側の接合点に違いない、と少女は思った。
何も無かったとしても、何も視えなかったとしても、彼が指し示してくれた場所なのだから、間違いない――少女は自分にそう言い聞かせていた。
それは、結界を結界たらしめている部分。外界への唯一の出口となる箇所。
そして――少女が断ち切るべき場所。
ギリ、と少女は歯を食い縛り、溢れそうな涙を堪えて呟いた。
「あっ、ありがとうございます――アシャさん――あそこを断ち切れば――いいんですよね――」
剣を構えた少女のツインテールが、儚いほどに透き通った白銀の輝きを放ちだす。
瞳を閉じ、瑞穂は剣を振るう。その勢いで目尻から涙の粒が溢れる。もう、我慢する必要はなかったから。
結界の接合点は断ち切られた。
やがて、断ち切られた
○●
二人の少女が気づいたときには、そこはただのアパートの一室になっていた。
ただ呆然と立ち尽くす二人の少女の他に部屋の中にいるのは、気を失った少年。
「はぁはぁ――助かっ――た?」
薄暗く、本やゴミが堆く積まれた狭い部屋の中で、奈留は座り込んだままキョロキョロと周囲を見回しながら呟いた。
「そう、みたいですね――」
瑞穂はぐったりと、脱力したように剣を下ろし、小さく溜息をついた。
少女の足に、何かが触れる。
ふと足元を見やると、少年が小さな寝息を立てて眠っているのが見えた。
腕をだらりと伸ばしたまま、深い深い眠りに落ちている少年。その掌が、少女のくるぶしに触れていた。
人差し指が、何かを指し示すようにまっすぐと伸びている。
――俺が断ち切るべき場所を教えてやろう――。
意識を失う間際の、アシャの言葉が脳裏を過ぎる。
その手首に嵌められた枷は、痛々しいほどに強く喰い込んで。
――何かあったら、これを断ち切って欲しい――。
意識が奪われることを厭わない、翔真の言葉が脳裏を過ぎる。
少女は屈み込み、何気なしに少年のその指先に触れてみた。
不意に胸がとくんと高鳴り、少女は慌てて手を引っ込めて、彼の寝顔をまじまじと見つめた。
この人は誰だろう?
この寝顔は――大人しくて優しい翔真さんのもの――?
この寝顔は――強くて頼りになるアシャさんのもの――?
どうして、この人の寝顔を見つめている私は、こんなにも胸が――。
「もっちー! 何ボサッとしてんの?」
狭い部屋に奈留の声が響き、瑞穂は我に返った。
「えっ、あ――ごめん、奈留さん。そうだよね、そんなこと考えてる場合じゃなかった」
瑞穂は立ち上がり、奈留と向かい合った。
「そんなこと? もっちー、何考えてたの?」
「い、いえ――その、奈留さんには関係ないことです」
瑞穂は一瞬だけ頬を紅潮させかけたが、すぐに真面目な口調で魔術師の少女へと言葉を続けた。
「それより奈留さん――私を、
奈留は小さく頷き、しかし少しだけ片目を瞑って。
「オーケイ。でも今更だけどさ、ゴメンね。こんなことに巻き込んじゃって」
「いえ、友達が拐われるのを阻止できなかったのは、私の甘えが原因です――それに――」
瑞穂は再び俯き、足元で眠り続ける少年の横顔へと視線を落とす。
「いえ――やっぱり何でもないです」
消え入りそうな声で瑞穂は呟く。奈留はそんな瑞穂の様子を気にも留めずに、狭い部屋中に響き渡る大きな声を上げていた。
「よしっ! そうと決まれば、もっかい
○ 第2話 終わり ●
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