第52話 アンジローの決意①


 聖ミカエル教会本部――

 窓から陽光の差す執務室にて、マザーは机に向かって書類整理をしているところであった。

 報告書を読み、頷いてから認可の判を押したとき、ノックの音が。

 「どうぞ」と入室を許可すると、入ってきたのは年の若いシスターだ。 


「失礼します。マザーにお会いしたいという方が」

「私に?」


 はて、今日は面会の予定などなかったはずと首を傾げていると、シスターが来訪者の名前を告げると、納得した。


「すぐにこちらに通してちょうだい」

「わかりました」


 シスターが出るのと入れ違いに来訪者が入ってきた。


「お久しぶりですね。安藤さん」

「突然ですみません。マザー」とぺこりと頭を下げ、マザーがにこりと微笑む。

 

「お気になさらずに。教会はいつでも皆さまのために開かれておりますわ。本日はどういったご用件でしょうか?」

「はい。フランチェスカさんの居場所を教えてください」


 予想外の返答に老齢の聖職者は目を丸くした。


「居場所というと……スペインのですか?」

「はい」


 マザーは老眼鏡を外し、まっすぐ安藤を見つめる。


「彼女に会おうというのですか?」

「そうです。ぜひ教えてください! フランチェスカさんに連絡を取ろうとしても、全然反応がないんです」

「安藤さん」


 マザーが若者の逸る気持ちを抑えるように冷静な声で。


「彼女に会って、どうするのですか?」

「それは……自分でもどうしたいのか、わからないんですが……」

「あなたの気持ちはわかりますわ。お転婆でわがままな子でしたが、いざいなくなると寂しいものですね。根はとても良い子でしたし……」


 ですが、と続けて老眼鏡を戻す。


「残念ながら、あの子の居場所がわかるようなものはここにはないのです。確かに、以前本国から手紙が来ましたが、そこにも住所は書かれていませんでした」

「そんな……!」

「ただ……以前に彼女が話してくれたことがありますが、実家はバスク地方のサン・セバスチャンの近くだと言っていました」


 サン・セバスチャン。

 その名前は安藤の持っているガイドブックにも書かれていた。美食の街として知られている。

 マザーがさらに続ける。

 

「それに、ザビエル家の所在は本国でも安全面で秘匿ひとくされています。よって正確な場所はまったくわからないのです。それこそ、現地の方に尋ねてもわからないかと……」


 ちらりと安藤のほうを見る。


「雲を掴むような話ですが、それでもあなたは行きますか?」


 あらためて目の前にいる若者に問う。覚悟を見極めるかのように。

 安藤は少し考えた後に口を開いた。


「それでも、行きます。このままだと俺は一生後悔することになると思うんです」

 

 マザーはそう言葉を発した安藤の目を見つめる。その目は己をまっすぐに見つめるひとのそれだった。

 マザーの口の端が緩み、ふふと笑いが漏れた。


「若いっていいですわね。ほんとうに羨ましく思いますわ。すこし待ってくださいね」


 そう言って机の抽斗ひきだしを開け、そこから便箋を取り出す。

 ペンを手にすると、流麗りゅうれいな文字でなにかを書きつける。

 さらさらとペンを走らせ、最後にマザーのサインで締めくくられると、それをふたつに折って封筒に入れて安藤に渡す。


「私がまだ見習いシスターだったときにお世話になった教会の住所が書かれています。幸運にもサン・セバスチャンにありますから、そこで宿泊しながら探すといいでしょう」

「本当ですか!」


 事の経緯いきさつを書いておきましたからねとふたたびにこりと微笑む。


「ありがとうございます!」

「彼女に会えるといいですね。あなたの旅の無事を祈ってますわ」


 頭を下げながら礼を言い、ドアがぱたりと閉まると、執務室は静寂を取り戻した。

 ふぅと溜息をつきながら背もたれに背を預け、天井を眺める。


  フランチェスカ……あなたは良き友人を持ちましたね。


 かの聖フランシスコ・ザビエルの末裔であるお転婆な見習いシスターに思いを馳せる。


 いけないいけない。仕事に取り掛からないと……。


 そう思い直すと、ふたたび書類整理に取り掛かった。




②に続く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る