第51話 夏と巫女とおみくじ ⑥


 ふたりがモールを出たとき、太陽はすでに傾きつつあった。


「すこし暗くなってきたし、そろそろ水族館行こ?」と舞が腕時計を見ながら。


「水族館かぁ。そういえばずっと行ってないな」

「じゃ行こう!」


 ついに最終目的地である水族館にやってきた。

 エレベーターで屋上まで上がると、そこは水族館の入口だ。受付で入場券を見せて奥へと入る。

 まずはサンゴ礁の海に生息する魚の展示からはじまり、様々な生息地に棲む様々な魚が水槽のなかで泳ぐ。


「アンジローみて! あの魚ブサイク!」

「コブダイって魚みたいすよ」


 隣の水槽では底に敷き詰められた砂から顔をのぞかせているチンアナゴが。


「かわいいー」

「あ、この二匹ケンカしてる」と安藤が緩慢な動きで互いを牽制する二匹を指さす。


「あはは。ケンカしてるようには見えないね!」


 さらに奥へ進むと照明を落としてあるのか、暗い空間に入った。冷房のひんやりとした冷気が足元から伝わってくる。

 そしてふたりの目の前には横に広がった巨大な水槽がライトアップされており、そのなかをミズクラゲが水槽全体を埋め尽くさんばかりにふわふわと漂う。


「きれい……」

「こんな多くのクラゲなんて初めて見た……」

「なんかロマンチックだね」とは目の前のカップルの言葉。

 

「なんだか、宇宙にいるみたいだね……」


 いつの間にか、そばに舞が立っていた。彼女の言うとおりだと安藤は思う。

 見ているだけで吸い込まれそうな感覚すら覚える。

 その時、なぜか遥かスペインにいる彼女――フランチェスカのことが思い出された。

 そんな安藤の横顔を舞はじっと見つめていた。彼の目は水槽のクラゲではなくどこか、遠くのほうを見つめているようにも感じられる。

 きゅっと奥歯を噛み、左手のてのひらをジーンズで軽く拭く。

 それから準備運動をするかのように何度かグーパーを。

 やがて意を決すると、傍らに立つ安藤の手を軽く握った。

 安藤が驚いてこちらを見るのが感じられた。


「ごめん。ちょっとだけ、こうしていい……?」

「え? そ、それはぺつに構いませんけど……」


 安藤の手は握り返すことはしなかったが、それでも舞は満足だ。

 なにより、あの見習いシスターである彼女がいないし、今は自分だけが独占しているのだと思うと、高揚感すら覚える。


「あ、アンジロー……あのね、前からずっと言いたかったことがあるの。あたしね……」


 アンジローのことが――――



 だが、その言葉は不意にかけられた声によってかき消された。


「そこのおふたりさん! 記念に写真はどうですかー?」


 スタッフが水族館の名前入りのパネルを持ちながら二人のところへと。思いがけない邪魔が入ったことに舞はきゅっと唇を結ぶ。

 

「スマホを貸していただければ記念写真とりますよー」

「せっかくだから撮ってもらいましょうよ。神代さん」

「うん……」


 安藤がスマホを手渡し、代わりにパネルを受け取る。

 スタッフの「はいチーズ!」の掛け声と同時にシャッター音。


「はい! よく撮れてますよ!」


 スタッフからスマホを受け取って画像を確認すると、クラゲの水槽をバックにしてそれぞれピースサインを決めるふたりが。

 心なしか、舞の表情は少しこわばっているように見える。


「お似合いのカップルですね」

「え?」

 

 不意にスタッフからそう言葉をかけられ、ふたりは目を丸くする。


「そう、見えますか……?」


 そう言おうとした途端、そばで安藤が打ち消すように手を振る。


「いえいえ、ただの友だちです」

「そうですか? でもカップルに見えますよぉ」


 むろん他意のない一言ではあったが、その言葉は舞の心に影を落とした。


 ただの友だち、か……。


 そうぽつりと呟く。


「あ、神代さん、あとで写真送りますね」

「うん……」


 すでに舞の手は安藤の手から離れていた。

 記念写真のあとは淡水生物や屋外のアシカやカワウソなどの哺乳類ブースを見て回ったが、舞は上の空だ。

 ひと通り見て回ったふたりが館内を出たときはとっぷりと暗くなっていた。


「もうこんな時間か。なんだか充実した一日でしたね」

「うん、そうだね……」

「それじゃ駅に向かいますか」

「うん……あ、まって」


 駅へ向かおうとする安藤を呼び止める。


「あ、あのさ。すこし時間ある?」

「いいですけど……どこか行くんですか?」

「ちょっとつきあってほしいの」

 

 †††


 池袋駅から三十分ほど揺られながらふたりが降り立ったのはフランチェスカのいた教会の最寄り駅だ。

 だが、舞は教会ではなく自宅――神代神社へと向かう。

 神社までの道のりを歩く舞は無言のままだ。

 安藤がどう話しかけようかと思案していると、鳥居が見えてきた。

 石段をあがって鳥居の下をくぐって境内へと。

 自宅兼社務所からは明かりが見える。神主でもある祖父が舞の帰りを待っていることだろう。


「ね、アンジロー」

「え、あはい」

 

 突然かけられた声に安藤が慌てて答える。そして舞がくるりとこちらを向く。


「今日はありがと。楽しかったよ」

「いえ、こちらこそ楽しかったっす」

「うん、あのね、アンジロー。はっきりさせてほしいことがあるの」

「はっきりさせてほしいこと?」


 反芻はんすうしながら首を傾げる。  

 舞がこくりと頷く。


「ね、アンジローはあの子、フランチェスカのことが好きなんでしょ?」

「え」


 一瞬、言葉の意味が飲み込めなかった。だが、すぐに気を取り直す。


「い、いや、そんなことは……」

「ごまかしたってダメ。実際、今日だってスペインレストランで立ち止まってたし、ガイドブックも買ってたじゃない」

「う……」

「それにここは神聖な場所だから、ウソついたらバチ当たるよ」


 ね、とにこりと微笑む。巫女だけにその言葉には説得力があった。

 返答を待つ舞に見つめられると心のなかを見透かされているような気がしてきた。


「……です」

「もっとはっきり言わないと、わかんないよ」


 両腕を腰の後ろに回しながらいたずらっぽく言う。逆光で表情ははっきりとはわからないが、恐らくは笑っているのだろう。

 安藤は覚悟を決めたかのように、言葉に力をこめ、彼女の前で口にする。


「好き、です」


 少しのがあった。静寂を破ったのは巫女だ。


「そっか……うん、わかった」


 納得したかのようにうん、うんと頷く。そして顔をあげて向き直る。


「ありがと……これでスッキリしたよ」

「そ、そすか……」

 

 困惑する安藤を見て、舞がふふと笑う。

 でもと続ける。


「まだ心にしこりみたいなのがあるみたいだね。言いたいことはぜんぶぶちまけたほうが楽だよ」

「言いたいこと……」


 考えあぐねる安藤に舞が助け舟を出す。


「おみくじ引かない? 悩んだり、迷ったりしたときはそれが一番だよ。それにうちの神社は霊験あらたかなんだし」


 ちょっと待っててねと踵を返したかと思うと、たたたと右側に建つ、御守りや絵馬などを販売する授与所の裏へと消えた。

 少ししてから鍵を外す音。続いてドアがぱたんと閉まる。

 「おまたせ」と窓口の戸を開けて言う舞の手には六角形のおみくじ箱。


「引いてみて」

「え、でもこれってお金払わないといけないんじゃ」

「あたしのおごりだからだいじょーぶ」


 引いてみてと箱を揺らすと中でくじがじゃらりと音を立てた。


「じゃあお言葉に甘えて……」


 箱を受け取ってしゃかしゃかと振ってから横に倒すと、穴から一本の細い棒が出た。

 棒の先には番号が書かれている。


「38番だね。ちょっとまってて」


 そう言って横にある木箱から該当の番号の抽斗ひきだしを開け、そこから小さく畳まれた紙片を取り出す。


「どれどれ……小吉だ」と畳まれた紙片を広げながら。

「あんまり良くなさそうですね」

「そんなことないよ。小吉は吉より上なんだし。それじゃアンジローの今後の運勢は……【願望】は思いがけぬ人の助けで叶うみたい」

「へぇ」

「【学問】が自己への甘えは捨てよ。あたしにも言えることだね。あはは」苦笑しながらさらに続ける。

「【待ち人】は来たらず。便りもなしと。【失物】は外に出て探せ」

「外? 方角とかじゃないんすか?」

「こういうのもあるの。ええと、知人や親しい人に悩みを打ち明けろとのお告げだって」


 内容を読み終えると巫女は安藤をまっすぐに見つめる。


「教えて、アンジローは本当はどうしたいの?」

「どうって……ふつうに希望の専門学校に入れたらいいなって」


 その回答に舞はふるふると首を振る。


「違うよ。そんなのじゃない」


 紙片を横に畳んで細くしていく。


「今日のアンジロー、なにか心に悩みを抱えたままに見えたもん」


 そう言うと奥へ消えたかと思えば、授与所から外に出てきた。

 そして安藤のもとへ。


「それにさっきも言ったけど、ここは神聖な場所。あと、あたしは巫女だから、下手な言い逃れは通じないよ」

「…………」

「いつまでも心に抱えたままじゃダメだよ。笑わないから、外に吐き出して」

 

 安藤はふたたび心のなかを見透かされたような感覚に陥った。

 彼女の言うとおり、心のなかでもやもやとしたものがずっと晴れないまま残っている。


 でも――


 そのもやもやとしたものが少しずつではあるが、形になっていきつつある。

 なんのことはない。それがどれだけ馬鹿げていることか、自分でもよく分かっていたから。

 答はとっくにわかっていたのだ。ただ、それを口にするのが怖かっただけなのだ。

 あとは誰かに背中を押してもらうことだけ。

 心のなかのもやもやを吐き出すように、口から言葉が漏れ出た。



「俺、彼女に会いに行くよ」


 

 思った通り、目の前に立つ巫女は驚きで目を丸くしたがすぐに微笑む。

 

「うん。アンジローのやりたいようにやればいいと思うよ」

「そ、そうかな……」


 安藤は今頃になって気恥ずかしくなり、照れ隠しに頬をぽりぽりと掻く。

 いきなり背中をばちんと叩かれた。


「行ってこい! そんで彼女の首に縄をかけてでも連れ戻してこい!」


 ごほっとむせながら振り向くと舞がにかりと笑う。

 

「……なんだか、スッキリしましたよ。なんかこう、自分のやるべきことが見えてきたというか……」

「うん。その意気だよ」

「神代さん」


 あらためて彼女の前に向き直る。


「今日はありがとうございます!」

「お礼なんていいって! このおみくじ、結んでおくね」

「お願いします。そろそろ帰らないといけないんで」

「うん。またいつでも来ていいから」


 互いに手を振って別れを告げ、舞は鳥居の下で見送る。

 やがて彼の背中が見えなくなると手を下ろす。


「はは……ホント、あたしってお人好しだな……」


 小さく畳んだ紙片を広げると、そこには安藤に話した内容は書かれていない。

 ぽたりと紙片になにかが落ちた。

 顔に触れるといつの間にか涙を流していた。


「おかしいな。こうなることはわかってたのに……」


 あとで加奈にグチを聞いてもらって、そのあと慰めてもらおう。

 うん、そうしよう。


 彼女はすとんと石段に腰かけると、そのまま膝に頭を乗せた。



 

 「遅いのぅ。なにやっとるんじゃ……あの子は」


 舞の祖父がぶつぶつと愚痴をこぼしながら玄関の戸を開ける。

 すると、鳥居の下に誰かがうずくまっているのが見えた。

 じっと目を凝らすと、間違いなく孫娘だ。

 

「舞! 帰っていたのならさっさと家に……」


 舞のもとへと近づくと、彼女は小刻みにだが、肩を震わせていた。


「お前、泣いているのか?」


 ぶんぶんと首を左右に振るが、泣いているのは一目瞭然だ。

 舞の隣に祖父が腰かけたので、涙で濡れた顔を向ける。

 祖父はなにも言わずにぽんと孫娘の頭に手を乗せ、頷く。


「なにがあったのかは知らんが、言いたくなければそれでもええ」


 ぽんぽんと力強く、それでいて優しく叩く。


「泣きたかったら思う存分泣いていいぞ。じーちゃんがついとるからな」


 鳥居の下で思いきり泣き叫ぶ巫女のはるか頭上では満月が煌々と輝く。




次話に続く。

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