第44話 Where have all the flowers gone?⑥


 次郎の兄、そして映像クリエイターでもある安藤一郎はマンションの自室兼仕事場で作業に取りかかっていた。

 マウスを動かし、キーボードをかちゃかちゃ叩いて入力しながら依頼された仕事を遂行していく。

 エンターキーを叩き、指で目蓋を揉む。

 傍らに置かれたカップを取ってコーヒーを喉に流し込んでひと息つく。


 この分なら納期までには充分間に合うな……。


 その時インターホンが鳴ったので、一郎は面倒くさそうに席を立つ。

 壁に設置されたカメラ付きのインターホンのボタンを押す。


 「はい、どなた……」


 液晶モニターにはドアの前に立つ修道服に身を包んだ可愛らしい少女が。

 一郎はすかさずその場を離れ、玄関のドアを開けた。


 「こんにちは一郎さん」

 「フランチェスカさん! どうしたんですか……?」


 そこにはカメラの死角に立っていたフリアンもいた。従者の修道士は車で待機しているようだ。


 「あの、こちらの方は……?」

 「私の兄なんです。実はお別れを言いに来まして……」

 「お別れ? え、ちょっ、ちょっと待ってください。それはどういうことで……」


 事情が飲み込めない一郎にフランチェスカはさらに続ける。


 「日本での修行期間が終わったので、スペインに帰るんです」

 「え、スペインに?」


 こくりと頷く。そして小さな口を開く。


 「今まで本当にお世話になりました。一郎さんがいて、良かった……」

 「いや、俺なんて……でもまた日本に帰ってくるんでしょう? あ、次郎にはもう会いました? 会ってやったほうが」


 そう言うと、いきなりフランチェスカに抱きしめられた。


 「……っ! ふ、フランチェスカさん……?」


 生まれてこのかた女性、それも美少女に抱きしめられたことのない一郎はどきんと胸を弾ませる。


 「本当にありがとう……一郎さんとアンジローがいて、楽しかった……」

 「フランチェスカさん……」


 ぷるぷると震える腕で彼女を抱きしめようとするが、兄のフリアンが腕を組みながらこちらを睨んでいたのでやめた。

 兄がこほんと咳をしたのを合図にフランチェスカが離れる。


 「アンジローにはゆうべ会ったわ。でも……」


 そこまで言って言葉を飲み込む。


 「ううん、なんでもない……もう行かなきゃ」

 「フランチェスカさん……」


 玄関でくるりとフランチェスカが向き直り、何も言わずにこくりと頷く。


 「また、ね……」


 弱々しくもなんとか笑顔を顔に貼り付け、手を振る。

 一郎はその場に立ったまま、兄妹が通路から姿を消すまで見送るしかなかった。

 そしてドアをぱたりと閉じ、仕事場へと戻る。

 椅子に腰かけて作業を再開するが、すぐに手を止めた。ぎしりと背もたれが軋む。

 そして傍らに置かれたスマホを手に取った。


 その頃、フランチェスカとフリアンの兄妹は車に乗り込んだ。


 「もう、いいんだな?」


 窓のほうを向いている妹に声をかけるが、反応もしなければ、こちらを振り向きもしない。


 「おい」

 「いいわ。このまま空港に向かって」


 やはりこちらを見ないままの返答。

 フリアンは溜息をついてから運転手の修道士へ頷く。

 こくりと頷いた運転手はアクセルを踏み込み、その場を離れた。


 †††


 兄からの電話がかかってきたのはちょうど駅の改札口を出て、学校へ向かうところだった。


 「もしもし、兄ちゃん?

 「さっき、フランチェスカさんに会ったんだが、彼女、スペインに帰るんだってな」

 「うん……昨夜会ったよ」

 「その時、なんて言ってた?」


 安藤は昨夜のことをかいつまんで話す。


 「……そうか。フランチェスカさん、そんなこと言ってたのか」

 「うん、家族の問題だから俺が口を挟むことじゃないし……」


 少しの間があってから兄が「なぁ次郎」と。


 「恋人いない歴が年齢と同じで、恋愛経験がほとんどない俺が言うのもなんだが……」

 「? なに?」

 「その、フランチェスカさんはお前に引き留めて欲しかったんじゃないのか?」

 「え、でも……」

 「本当にこのままでいいのか? 今日帰るんだぞ。もしかしたら、もう二度と会えないかもしれないんだぞ」

 「でも……!」


 安藤がなにか言おうとするのを兄が「よく聞け」と塞ぐ。


 「お前、フランチェスカさんのことが好きなんだろ? その想いを伝えなくていいのか? 飛行機の時間はわかるか?」


 昨夜、公園での会話が思い出される。


 午後の四時にね。成田空港から直行便で帰るの。


 腕時計を見る。針は1時を指している。だが……


 「ごめん、これから学校で夏季講習があるから……」

 「そうか……別に受け売りってわけじゃないが、人生はたった一度きりだ。後悔のないようにしろ」

 「…………」

 「そろそろ仕事に戻るからな。切るぞ」


 その言葉を最後に通話が切られた。

 スマホをポケットにしまうと安藤は学校に向かうべくふたたび歩きだす。


 †††


 「よぉ安藤!」


 校舎に着くなり、クラスメートの桧山ひやまが声をかけてきた。なんだか機嫌が良さそうだ。


 「夏季講習なのにテンション高いな」


 すると桧山が指をぴっと立てる。


 「ふっふっふ。実はきのう初めて動画をアップしたんだ」とユーチューバー志望の同級生が自慢気に言う。


 「動画って言うと……ああ、こないだの夏祭りの」

 「イエス! 見てくれ!」


 目の前でスマホを取りだすとすかさず動画を再生。

 そこには夏祭りでフランチェスカと舞の対決がテロップや効果音とともに繰り広げられていた。

 画面の隅には再生数が表示されており、今この瞬間でもアクセス数が増えていっている。


 「どうだ! 初投稿で再生数が3ケタだぞ! おまけにチャンネル登録数も徐々に増えてるんだ」


 ふふんとしたり顔の同級生に安藤は「はあ」と興味なさげに言う。

 それに構わず桧山はさらに続ける。


 「で、モノは相談なんだが……またふたりに出演してほしいんだ」

 「……フランチェスカさんは今日スペインに帰るから無理だと思うけど……」

 「へ? お、おい、そりゃどういうことだよ!?」


 安藤からスマホを返された桧山が驚く。


 「彼女、もともとシスターの修行で日本に来てるからな。その修行期間が終わったんだよ」

 「マジかよ? もっと再生数稼げると思ったのに……なぁ、安藤なんとかならないのかよ?」

 「俺に言ってもしょうがないだろ」

 「頼む! マジで一生のお願いだから!」


 それでも諦めきれない桧山は安藤の肩をつかんで懇願を。


 「おい! お前ら何やってんだ! もうすぐ授業の時間だぞ。さっさと教室に入れ!」


 担任である村松の怒鳴り声が廊下に響き、ふたりは雷が落ちる前に教室へと駆け出す。

 「廊下は走るな!」とまた怒鳴り声。


 †††


 「――であるからしてぇ、この和歌の意味はぁ」


 エアコンの利いていない教室では年配の古文教師が黒板に書かれた短歌の解説を間延びした声で説明する。

 恋心を書いた短歌だ。

 安藤の前の席ではこくりこくりと今にも眠りに落ちそうな桧山が。さらにその隣でこれまたクラスメートの高木が桧山を肘でつつく。

 なんでも昨日、動画の編集にかかりっきりでほとんど寝ていないのだそうな。

 そのなかで安藤はもくもくとノートを取る。


 「恋ぞつもりて、淵となりぬる。これは恋心が積もり積もって、深い淵のようになってしまったということでぇ……」


 さらさらとノートに走らせる指がぴたりと止まる。

 不意に見習いシスターである彼女の姿が思い浮かんだ。


 今ごろ、空港に向かってるところかな……。


 チョークでかっかっかと書かれる音。頭を上げると、黒板に新しい短歌が白い文字で浮かび上がる。


 『久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ』


 「これはぁ、日の光がこんなにのどかに差しているのに、なぜ桜の花は落ちつかなげに散ってしまうのだろうかという意味でありましてぇ……」


 花。


 そういえば夏祭りで、フランチェスカさんと一緒に花火を見に行ったっけ……。


 花火の照り返しを受けて煌めく彼女の横顔を見やり、そして口を開き――


 夜空に花火が大音量をともなって花開く。


 「ん? なに? なにか言った?」と手を耳に当てながら聞く彼女――。


 空にはぱらぱらと火花が散り散りに。


 今度は兄の一郎の言葉が思いだされた。


 本当にこのままでいいのか? 今日帰るんだぞ。もしかしたら、もう二度と会えないかもしれないんだぞ。


 ぎゅっとペンを持つ手に力が込められる。


 人生はたった一度きりだ。後悔のないようにしろ。


 ふたたび兄の言葉が思いだされた時には安藤はがばっと立ち上がっていた。

 教師と生徒一同が何事かと安藤を見る。


 「先生、すみません! 早退させていただきます!」

 「おわっ! なんだ? いきなり大声だして」


 眠りこけていた桧山が安藤を見ると、頭を下げ、鞄を持って教室を出て行くところだった。


 校門を出てスマホを取りだし、ラインを開く。通話ボタンを押して耳に当てながら駅までの道を走っていく。


 頼む、出てくれ……!


 †††


 着信音が鳴ったのでスカートのポケットからスマホを取りだす。

 画面には安藤からの着信を告げるメッセージが。


 「どうした? 友人からか?」

 「ううん、なんでもない……」


 電源を切り、ポケットに戻して窓の外を見ると、そこには空港のターミナルビルが近づいていた。


 †††


 車両から降りて、乗り換え電車のホームを走りながら安藤はふたたびスマホを取りだした。

 フランチェスカからはメッセージも電話もかかってきていない。何度も試したが、反応はいまだゼロだ。

 階段を駆け上がり、案内表示板を見上げる。先発は各停。乗るべき特急電車はその次だ。


 早く……!


 ホームにて安藤は苛立ちを募らせる。時計を見るともう2時だ。

 搭乗時刻は4時だが、移動時間を考えるとぎりぎりである。

 各停列車が停車し、乗客が外に出、入れ違いに乗車して少ししてから扉が閉まる。

 それから五分後に到着した特急に安藤は乗り込んだ。




⑦に続く。

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