第43話 夏祭りと浴衣と花火と…… 中編


 翌日の土曜。昨日の雨が嘘のようにからっと晴れわたった正午――。

 聖ミカエル教会の礼拝堂にてフランチェスカは定位置の長椅子でその身を横たえていた。

 午前の説教を終えたばかりの彼女はふわぁとあくびをひとつ。

 「あーつかれた!」とスマホに繋げたイヤホンを装着。ロックの騒々しい音が流れ込んできた。

 途端、くぅと可愛らしい腹の虫の音が。


 「ホント説教って、なんでこんなに腹減るんだろ?」と腹部に手を当てながら。


 冷蔵庫になにかあったっけな、と記憶を巡らすが、結局やめた。この暑いなかでは料理する気にもなれない。

 よし! とがばっと半身を起こす。


 「たまには外食するか! 今月は余裕あるしね」


 そう言うと見習いシスターは颯爽と礼拝堂を出た。


 七月もそろそろ終わりの陽射しが容赦なく照りつけるなか、フランチェスカは商店街のアーケードへ。

 馴染みの店から挨拶と「良いの入ったよー!」と威勢の良い声。

 見習いシスターが向かった先はラーメン屋だ。赤い暖簾をくぐると、カウンターからおばさんが「いらっしゃい!」と出迎えてくれた。


 「ひさしぶりだねぇフラちゃん。今日はなににする?」

 「えーとね……」


 壁に貼られた短冊型のメニューを順に見ていく。

 「あれ!」と指さしたのは期間限定の冷やし中華だ。


 「あいよ冷やし中華一丁ね!」

 「うん! あ、パイナップルやさくらんぼは無しでね」

 「あいよ!」


 おばさんの手際良い調理ですぐに料理が出来上がった。


 「はいおまちどお!」

 「いただきます!」


 パキッと割り箸を割ると、おもむろに麺をすする。


 「んんーっ! おいしっ!デリシオーソ!

 「フラちゃん冷やし中華好きだねぇ」

 「うん! こんな料理、スペインにはないし。期間限定なのが残念だけどね」


 ずるずるっと麺をすすりながら、ふと壁のほうを見ると夏祭りのポスターが貼られていることに気づく。


 「いよいよ今夜からね。フラちゃんは行くの? 夏祭り」

 「もちろん!」


 ふたたびポスターに目をやる。浴衣を着た女性をぼんやりと眺めていると、おばさんが気づいたらしく、「フラちゃんは浴衣持ってるの?」と聞いてきた。


 「キモノとかのたぐいは持ってないの。興味はあるんだけど……」

 「なら貸してあげようか?」

 「え、いいの……!?」


 見習いシスターの顔がぱあっと明るくなった。


 「うちの娘が着てたものだけどね。でもフラちゃんならピッタリよ!」

 「ありがとうございます!」

 「じゃ、お祭り行く前にここに来てね」


 †††


 午後6時。空が夕暮れで染まるなか、安藤は玄関でスニーカーを履いてトントンと爪先を蹴る。

 「じゃ、行ってきます」とドアを出た。


 同時刻。

 神代神社の社務所兼自宅の自室にて下着姿の舞は浴衣を羽織り、後ろから帯を巻き、長いほうを折り畳んで結び目を形づくっていく。

 最後に帯をまわして結び目を後ろに持ってくれば、文庫結びの完成だ。

 姿見で出来映えを確認。前と後ろを交互に見ていく。


 「……よし!」


 満足した舞がうなずき、神主でもある祖父に「夏祭り行ってくるね!」と声をかけ、「気をつけていくんじゃぞー」と背中で聞きながら玄関の戸を開いた。


 一方、フランチェスカは約束通り、ラーメン屋の前まで来た。

 準備中の札がかかった戸をがらがらと開くと、おばさんが「いらっしゃい」と出迎えてくれた。

 厨房の奥へ進むと、幅の狭い階段を上って部屋の中へと入る。

 スイッチの紐を引っ張ると丸い蛍光灯があたりを照らし出す。

 「ちょっと待っててね」とおばさんが箪笥の下段を開き、そこから丁寧に包装された包みを取りだした。

 紐を解いて包み紙を開けると、そこには朱色を下地に梅の花をあしらった浴衣が。


 「わ、カワイイ!」

 「サイズは合うはずだからね。さ、着てみましょうか」


 修道服スカプラリオを脱ぎ、下着姿になると、そこへ浴衣が羽織られる。

 前を合わせ、おばさんが帯を締めるあいだに手で押さえる。

 後ろで帯をぎゅっぎゅっと絞め、結び目を作れば完成だ。


 「はい、これでよしと!」

 「ありがとう!」

 「そこの鏡を見てごらん」


 たたたっとおばさんが指さした鏡のもとへ。鏡のなかでフランチェスカがくるくると向きを変えてえへへと笑う。

 以前、京都に行ったときに初めて着物を着せてもらったが、それと比べて動きやすい。


 「髪も結おうか?」

 「ぜひ!」


 †††


 おばさんに髪を結ってもらい、一旦教会に戻って支度を整えたフランチェスカは意気揚々と駅へ向かう。

 商店街のアーケードを抜ければ駅まではすぐだ。駅の入口が見えたところでフランチェスカはいきなり歩を止めた。

 改札口からよく知る人物――マザーが出てくるのが見えたからだ。

 げっと顔を曇らせ、なんとかやり過ごせないかと思案するが、マザーが気づくほうが早かった。


 「あら、フランチェスカ? その格好はいったい……」

 「あ……ほ、本日もご機嫌うるわしゅうございます。マザー……」


 浴衣姿でしどろもどろになるフランチェスカを見、そしてふぅと溜息。


 やば……このあと教会に連れ戻されて説教のパターンだ。


 だが、マザーが口にした言葉は思いもよらぬものだった。


 「そういえば夏祭りがありましたね。よく似合ってますよ、シスターフランチェスカ」

 「す、すみませ……! …………へ?」


 おそるおそる下げた頭をあげて、マザーの顔をうかがう。

 それは怒ってもいなければ、呆れたような表情でもない、複雑な面持ちだ。


 「しかたないですね、遊んできなさい。あまり遅くならないよう帰るのですよ」

 「は、はぁ」


 母親のように微笑むとマザーはそのまま教会へと向かった。

 彼女の後ろ姿を見送るフランチェスカは困惑顔だ。

 あのマザーが遊びに行くことを許可してくれたのだ。これはただ事ではない。天変地異の前触れかと思うくらいに。


 ひょっとしたら明日は雨どころか雪、いやひょうが降るんじゃない?


 「と、急がなきゃ!」


 腕時計を見ると待ち合わせの時間が迫っていた。フランチェスカは駆け足で改札へと向かう。






後編に続く。

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