第42話 SKYFALL⑦
「う……? むにゃ……」
街の
「まだ4時半じゃない……」
枕で頭を覆うとついでに耳も塞ぐ。
勘弁してよ……!
次にフランチェスカが目を覚ましたのはファティマおばさんの「ご飯よ!」の朝食が出来たことを告げる声だ。
ベッドから起きてのろのろとした動きでワイシャツを着ると、その上に見習いシスターの修道服に身を包んで階下へと降りる。
「おはよう。今日から学校で授業ね」
「おふぁよ……まだ眠いんだけど……」
「あんた、仮にも先生なんだからしゃんとしないと。眠気覚ましにはこれが一番よ」
そう言うとファティマおばさんはポットにミントの葉をこれでもかというくらいに入れ、角砂糖を入れて蓋をし、コップに注ぐ。
「はい、ミントティーよ」
ことりとグラスを置いたその傍にはハリラというモロッコの庶民的なスープに焼きたてのパンが。
スプーンで啜ると、スパイスの利いたトマトベースの味わいが優しく口内に広がっていく。
自家製だと言うパンをぱくりと口に運び、さらにスープにひたして食べる。
「ここじゃ女性はほとんど、みんな自分でパンを焼くのよ」
「文句なしに美味しいわ! ハエがいなきゃ最高なんだけど……」
そう言って飛んでくるハエをしっしっと手で払う。
「街の外で迎えの車が来るからね。頑張ってらっしゃい!」
†††
一時間後、フランチェスカはジャマ・エル・フナ広場の外の歩道に立っていた。
トートバッグを肩に掛け、腕時計を見る。もうそろそろ来てもいい頃だ。
「フランチェスカ様?」
スペイン語でそう声をかけられ、振り向くとそこにはスーツに身を包んだ男がいた。
「えーと、あなたが運転手さん?」
「はい。お迎えにあがりました」
こちらへと路肩に停められた車へ案内する。フランチェスカが後部座席に乗り込むと、ドアが丁寧に閉められた。
昨日のタクシーとは大違いだ。
「わざわざ運転手が迎えに来るなんて、もしかしてお金持ちの子が通う学校だったりする?」
「フランチェスカ様がこれから教鞭を取られるハミド校はモロッコでも有数の名門校ですから」とハンドルを握りながら答える。
「あーなるほど、それでか」
「はい。理事長がお待ちでございます。フランチェスカ様の御活躍に期待されている様子でした」
ふーんと当の見習いシスターは興味ないとでも言うふうに窓枠に肘をつく。
窓からは路上の物乞いや物売りが次々と過ぎ去っていく。
「あのさ、ひとついい?」
「はい、なんでございましょう? フランチェスカ様」
「その学校ってWi-Fiある?」
「申し訳ございませんが、学生のスマホ持ち込みが禁止されておりますので……」
「そう……あともうひとついい?」
「何なりとお申し付けください」
「そのフランチェスカ様ってのやめてくれる?」
†††
15分ほど走らせると学園の立派な正門にたどり着いた。
車から降りて運転手に見送られながら、校舎の受付にて名前を告げる。
「少々お待ちを」と傍らの受話器を耳に当て、二言三言交わしてから通話を切って見習いシスターのほうへ向きなおる。
「もう少ししましたら、理事長がお見えになります」
受付の言うとおり、間もなく理事長がやってきた。
「ようこそいらっしゃいました。理事長のナディアです」
頭にスカーフを巻いた女性の理事長が流暢な英語で挨拶を交わしたので、フランチェスカも英語で交わす。
「フランチェスカ・ザビエルです。フランス語の講師の代理で来ました」
「あなたが来てくれて助かりましたわ。教室へご案内します」
校舎の廊下をふたりは並んで歩く。
「当校は名門校として、学生に充実した教育カリキュラムを組んでおりまして――」
理事長が延々と話す自慢話を見習いシスターは「はぁ」とか「へぇ」と適当に相槌を打ち、右から左へと聞き流していた。
「ですから、あなたには初等部のクラスのフランス語講師をお願いしたい次第ですの。ここが教室ですわ」
ナディア理事長が戸を開くと、教室内の生徒たちが示し合わせたかのように一斉に立った。その様はまるで軍隊のようだ。制服を着てるのでよけいにそう感じられる。
「では私は仕事がありますので、これで失礼しますわ」
フランチェスカを置いてぴしゃりと戸が閉じられ、生徒一同の視線は見習いシスターに注がれる。
「えーと……まずは自己紹介ね」と教壇へと歩き、そして黒板にチョークで自らの名前を流れるように書く。
「入院したシスターの代わりに来たフランチェスカ・ザビエルよ。よろしくね」
だが、リアクションは皆無だ。
「先生、クラスを代表して歓迎の意を表します。よろしくお願いします」
「「「よろしくお願いします!」」」
先頭の少年が代表し、周りが後に続く。フランチェスカが驚いたのはそれだけではない。
「すごい……! 立派にフランス語話せてるじゃない!」
これじゃ、あたしの出る幕なんてないんじゃない?
「わたし達は社会人の一員となって、世界で活躍するべく勉強をしています」
「競争に打ち勝つためには勉学がなによりも大事だと考えてます」
わお、エリート意識高いわね……この子たち。
「先生、授業をお願いします。36ページからです」と代表者の生徒。
「OK。36ページね」
すでにスペイン語からフランス語に切り替えたフランチェスカはぱらぱらとテキストのページをめくる。
……って、初等部ですでにここまで進んでるなんて、レベル高すぎない!?
「じゃ、授業はじめるわね……」
マジでこの空気ニガテなんだけど……!?
†††
「はぁ……」
授業を終え、校内の食堂にて見習いシスターは、昼食のパスタをくるくるとフォークで巻きながら溜息をつく。
隣では教師たちが談話に興じている。
「まさか、あそこまでレベル高いとは……」
飲み込みが早いだけでなく、逆にこちらがしどろもどろになるほどの返答に困る質問をしてくる。
これじゃ前任のシスターが入院するのも無理はないかもね……。
肘をつきながら、ぱくりと口に運ぶ。
「ミスフランチェスカ、あなたはどう思いますかな?」
英語教師にいきなり水を向けられ、見習いシスターが喉を詰まらせそうになる。
「失礼。ええと、なんの話でしたっけ?」
「この学校の教育方針についてですよ」
「ああ、教育方針ですね……! とても良いと思いますわ」
もちろん適当に答えただけだが、教師陣はやはりと頷く。
「さすがはシスター。貴方ならそう言うと思っていましたわ」と斜め向かいの女性教師が。
「まだ若いのに立派ですな」
「ははは……恐縮です……」
はやくスペインに帰りたいんだけど!
†††
「お疲れ様でしたフランチェスカ先生。明日もお迎えにあがります」
「ん、ごくろーさん」
15時過ぎ。授業を終えたフランチェスカが車から降りて、運転手にひらひらと手を振りながらリヤドへの帰路につく。
広場には相変わらず屋台からあちらこちらで呼び込みの声がかかる。
広場を抜けてスークが並ぶ路地に入ろうとしたとき、露店の少年が目に留まった。昨日も見たあの少年だ。
地面に広げられたシートの上で並んだ商品とともにちょこんと座っている。
気づけばその少年の前まで見習いシスターは来ていた。そしてしゃがんで少年と同じ目線になるようにする。
「へぇ……いろんなのあるね」
シートには菓子類、おもちゃ、タバコなどが並んでいた。
「い、いらっしゃい……」と少年が恥ずかしそうに挨拶を。
「スペイン語話せるのね?」
「すこし……でもよむ、かくできない……」
ペンで字を書くジェスチャーを交えながら話し、「読み書きが出来ないのね」と問われるとこくこくと頷く。
「そう……」
商品を眺める。見たところ、あまり売れていないようだ。
端のほうを見ると、麦わら帽子がぽつんと置かれていた。フランチェスカがそれを手に取る。
「これ気に入ったわ。いくら?」
「ろ、60ディルハム」
OKと財布を取り出す。だが、高額紙幣しかない。
「ごめん。細かいのないから、100ディルハムでいい?」
少年がこくこくと頷く。
「ありがと。ついでにこのガムももらうわね。いくら?」
「え、えっと……ガムが3ディルハムだから、えーと……」
指折り数えようとするが、うまく計算出来ないようだ。そこへ助け船を出してやる。
「全部で63ディルハムだから、お釣りは37ディルハムよ」
目の前の少年は目をぱちくりさせる。簡単な暗算だが、少年には彼女が電卓並みの頭脳を持っているように見えたことだろう。
すぐに釣りを出そうとするが、しゅんとなる。
「おつり、ない」
「そうなの? ま、いいわ。お釣りは取っといて」
「いいの……?」
「いーのいーの。この帽子、かわいいからそれ以上の価値があるわよ」
またね、と手を振って別れを告げる。
少年は彼女が路地の奥へ消えていくまで、見守っていた。そして受け取ったディルハム紙幣を大切そうに鞄のなかにしまう。
⑧に続く。
後書き
コラム 『モロッコ豆知識』②
オラ! 二回目のコラムね。今回はモロッコで話されている言語についてよ。
モロッコはアラビア語のほかに、場所によるけどフランス語、スペイン語が話されているの。
そのほかにも少数民族の言語もあって、そのなかで多いのがベルベル人が話すベルベル語よ。
ベルベル人はモロッコの原住民で、言葉や文字もアラビア語とはまったく異なる言語なの。
ちなみに『ベルベル』はギリシャ語の『わけのわからない言葉を話す者』を意味するバルバロイからきてて、これが野蛮人を意味するバーバリアンの語源にもなってるの!
次回も機会があればまたコラムやるかも? それまでまたね!
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