第35話 星空の下で
「失礼します」
昼休み。安藤が通う高校の職員室の戸を開けて入る。
「おぅ安藤。こっちこい」と担任教師の村松が手を振る。
「ここ座れ」
村松が傍らにある椅子に座るようポンポンと叩いたので腰かける。
トントンとプリント用紙を揃えてからトレーへとしまう。
「なんで呼ばれたか、わかるな?」
「はい……たぶん」
「たぶんじゃねぇよ。これだこれ」
そう言って安藤の前に出されたのは朝のホームルームで配られた進路希望に関するプリントだ。
大学または専門学校進学、就職の欄があるが、いずれも空欄のままだ。
「お前、まだ進学するかどうか迷ってんのか?」
「はい……自分がなにをしたいのかわからなくて……」
「そうか、まぁお前の年なら必ずぶつかる壁だよ」
「はい」
「で、お前。こう、将来なにになりたいとかねぇのか?」
コリコリとペンのキャップ部分でこめかみを掻く。
「それは……」
「自分の好きなこととか趣味とかあるだろ? それで将来の仕事に結びつくか考えるんだ。大学に行ってじっくり考えるのもいいし、自分の特技を活かして専門学校に通うのもいい」
とりあえず明日まで待ってやるとプリントを安藤に返す。
「あとな、教師を目指すのはやめたほうがいいぞ。薄給で割に合わないからな」
「それ教師が言うセリフですか?」
†††
「はぁ……」
学校から帰宅して自室の机で安藤はひとり溜息をつく。
目の前には依然として白紙の進路希望のプリント用紙が。
将来なにになりたいかって言われてもな……。
ふと思いついてスマホを取り出す。ラインを開いて同級生に進路のことを尋ねてみる。
参考になるかどうかはわからないが、とりあえず聞いてみて損はないだろう。
そう思っているとすぐに返信がきた。
「まだ進路のことで悩んでるのか?」
「進路というか将来で悩んでて」
「とりあえず大学行っときゃいいだろ? ちな、オレは就職選んだ!」
「どこの会社に?」
「ふっふっふ。聞いて驚くな! オレはユーチューバーになる! だからお前もチャンネル登録よろしくな!」
これ以上は聞くだけ損だと思い、スマホをしまった。
はぁっとまた溜息をついて頭の後ろで手を組む。ぼんやり考えてもうまくまとまらない。じれったさに我慢できずに安藤は部屋を出た。
「次郎、どこか出かけるの? 夕飯もうすぐ出来るわよ」
「ごめん、母さん。すぐ戻るから」
玄関で靴を履いてとんとんと爪先を叩いてドアを開ける。
†††
聖ミカエル教会の礼拝堂の扉が開いたので見習いシスター、フランチェスカがそのほうを見る。
「あ、アンジロー……って浮かない顔してるわね。どうしたのよ? しかもこの時間に来るなんて珍しいじゃない」
夕方のミサを終え、片づけをしていた彼女が首を傾げる。
「実は……」
長椅子に腰かけ、経緯をかいつまんで説明した。
「そう……将来なにになりたいか悩んでるのね」
「はい……」
「でもあたしじゃ気の利いたアドバイスなんて出来ないわよ。やりたくもないシスターやらされてるし、ほかの道を進む選択肢なんてないし……」
そう言ってザビエルの末裔であるシスターは長椅子の上で組んだ足の上に顎を乗せる。
しばし沈黙が続く。それを破ったのはシスターのほうだ。
「あーやめやめ! しんみりした雰囲気なんてあたしには合わないわ! 葬式じゃあるまいし」とがばっと立ち上がって安藤のほうを見る。
「アンジロー、時間ちょっとある?」
「少しくらいなら……」
「じゃ、こっちきて!」
フランチェスカに連れられてきたのは礼拝堂の入り口の左側にあるドアだ。
住居スペースへと通じるドアとはまた別のドアだ。
そのドアを開けると、すぐ右側に階段が見えた。フランチェスカが段差を上ったので安藤も後を追う。
一番上まで来るとまたドアだ。開けるとそこは暗いが、天井の低い木組みの梁が見えた。屋根裏部屋だ。
ぽうっと光が灯ったので見てみると、彼女がランタンを手にして奥へと進む。
「ここ、電気来てないからランタンだけが頼りなの」
ことりと床に置くと、斜めになった屋根裏に手をかけ、あちこち触ってレバーを探し当てて引く。
がこんと軋み音を立てて開いた窓から月明かりが差し込む。
「アンジロー、こっちきて」
フランチェスカに手招きされ、彼女のところへ来ると「そこに腰かけて」と床に直に座る。
見上げると開け放たれた窓からは煌々と輝く満月がよく見えた。
「綺麗ですね……」
「それ告白のつもり?」と隣に柱を背にして腰かけた見習いシスター。
「うぇっ!? いやそんなつもりじゃ」
「冗談よ。あたしね、なにか嫌なことがあったり、家族のことを思うときはここに来るの」
すっと月を指さす。
「世界中どこにいても、あの月が見えるなんてロマンチックじゃない? それと、その周りの星々ははるか、むかしむかーしから配置が変わらないんだって。そう考えるとね、あたしたち人間ってとってもちっぽけなんだなぁって、悩んでることもバカらしくなるの」
「……フランチェスカさんも悩むことってあるんですね」
「そりゃあ、あたしだって人間だし……ね、知ってる? 神さまと人間の違いって」
「人間にはない力があるとか……?」
「ブー。良いセンいってるけど、それじゃ不正解。答えは神さまには悩みというのがないの。悩みは人間にしかないものだって神学校で教わったわ」
くるりと安藤のほうへ顔を向ける。
「悩んで悩み抜いて、それを乗り越えてこそ、人間は強くなるの。神さまには体験出来ないことよ」
「悩むことが出来るのは贅沢なんすね……なんだか今日のフランチェスカさん、シスターらしいですよ」
「そう? そう言われるとなんだかフクザツね」
ふふっと安藤が笑う。
「フランチェスカさん」
「なに?」
同時にくるりと首を向けたので、お互いを見つめるかたちとなった。
それこそ唇が触れるか触れないかの距離に気付いて反射的に顔をそむける。
「あっご、ごめっ! そ、その、ありがとうって言いたくて……」
「う、ううん! 別にたいしたことしてないから!」
月明かりの下、顔を赤くしたふたりはどきまぎする。
「そ、そろそろ帰ったほうがいいんじゃない?」
ランタンを手にしてすっくと立ってスカートについた埃をぱっぱっと払う。
「それもそうすね」
「今回は時間外営業だから寄付金は割り増しね」
「え!?」
「あはは。冗談よ」
「フランチェスカさんが言うと冗談に聞こえないんすけど……」
窓の蓋を閉じ、ランタンを手にしてふたりは屋根裏部屋を後にする。
「今日はありがとうございました。なんだか自分の進む道が見えてきたと思います。それじゃこれで……」
「うん。またね」
礼拝堂の扉の前で互いに手を振って別れ、ぱたんと閉まると安藤は家路につき、フランチェスカは扉の後ろでふぅっとひと息つく。
別にあのままキスしても……って何考えてんのよ! あたし!
ふたたび赤くなった顔でふるふると首を振り、そのまま住居スペースへと通じるドアへと向かった。
†††
翌日。昼休み中の高校の職員室の戸を開いて「失礼します」と入室。
担任教師の村松は自分の机にいた。
「おぅ来たか。ちょっと待ってろ……えーとマル、バツ、バツと……」
赤ペンをきゅきゅっと走らせ、最後に点数を記入。
採点を終えたプリントを傍らに置いて顔をあげる。
「で、持ってきたのか?」
「はい」
プリントを渡す。受け取った担任教師がちらりと見る。
「そうか、これがお前の選択か」
「はい、自分の特技を活かそうと思いまして」
第一希望には「調理師専門学校」とある。
「よし、これで全員分そろったな。もう戻っていいぞ。ご苦労さん」
「はい、失礼します」
「あ、それと気が変わって進路先変更するのは勘弁な。男なら一度決めたことはとことんやるもんだ。あともうひとつ」
ぴんと人差し指を上に伸ばす。
「教師だけは目指すな」
「それ教師の言うセリフじゃないですよね!?」
次話に続く。
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