第33話 フランチェスカ、京都へ行く⑨


 京都観光協会は京都駅から歩いて5分ほどのところにある。

 ドアを開けると、カウンターの事務員が気付いてこちらへと応接室へと案内した。

 応接室は会長室と兼ねており、革張りのソファーには会長がすでに腰を下ろしていた。


 「失礼します。昨晩はまことに……」

 「まず、おかけください」


 多江の言葉を遮って腰かけるよう促したので、多江と舞、そしてフランチェスカが最後に腰を下ろすと、がばっと頭を下げた。


 「その、昨夜はすみませんでした! 酒に酔ったとはいえ、あんなことを……」


 それに対する会長の返答は意外なものであった。


 「ああいやいや、頭あげてください。なにか勘違いしてはるようですが、本日来てもろうたのは謝罪の言葉が聞きたいわけではあらへんのや」

 「え?」


 三人とも目が点になる。


 「いや、恥ずかしい話なんやが、昨夜そのお嬢ちゃんの説教を聞いて、おまけに尻をぶっ叩かれて目が覚めましたわ。いやほんまに恥ずかしいわ」


 おおきにと会長が頭を下げ、張本人である見習いシスターは顔を赤らめる。


 「そ、それはつまり、私たちのアイデアを聞いてくれる……ということですか?」


 舞の質問に会長がこくりと頷く。


 「せや。やけど、案内パンフの翻訳だけでは不十分やさかい、なにかインパクトがあるものが必要なんや」


 その時、着信音が鳴った。フランチェスカのスマホからだ。

 「失礼します」と断って出ると、相手は安藤の兄、一朗からだった。


 「出来ましたよフランチェスカさん!」

 「本当に!? でも良いタイミングだわ!」


 通話口を押さえて会長のほうを向く。


 「パソコンを貸していただけますか?」


 会長の机の上のパソコンの電源を入れ、デスクトップからメールを開く。すると一番上に新着メールが来ていた。

 一朗に送ってもらったメールをクリックするとURLが表示された。マウスを動かしてダブルクリック。

 新しく出たウィンドウから琴や三味線による雅な音楽が流れ、和の文様をバックに桜が舞い散り、真ん中に『日本語』、『English』、『中文』、『한글』などそれぞれ各国語で書かれたアイコンが表示されていた。


 「試しに日本語をクリックしてみてください」とフランチェスカの言うとおりにクリック。軽快な効果音とともに現れたのは可愛らしくデフォルメされた二頭身キャラのふたりだ。


 ひとりは修道服に身を包んだフランチェスカ。そしてもうひとりの、巫女の衣装に身を包んでいるのは……


 「ひょっとしてこれ、あたし?」と舞が指さす。

 「うん。こないだ一緒に写真撮ったでしょ? その画像を送ってキャラを作ってもらったの」

 「ちょっと! 聞いてないんだけど!」


 まあまあとなだめ、続きを見るよう促す。するとキャラが話し始めたではないか。


 「はじめまして! そして京都へようこそ!」

 「ここでは観光におけるマナーを説明します!」


 セリフが音声と同時に吹き出しとなって現れ、次にポーズを取る。


 「どういうこと!? アフレコした覚えなんてないわよ!」と舞。

 「合成音声っていう技術らしいわよ。ちなみにあたしも声当ててないけど、それっぽい感じが出てるでしょ?」


 画面ではマナーに関する注意がアニメーションでわかりやすく説明され、ふたりのキャラが動き回る様子は見ていて楽しい。

 三分ほどで映像は終わり、最後にふたりがぺこりと頭を下げて幕を下ろす。


 「可愛いらしいわぁ。フラちゃんのお友だちは器用どすなぁ」

 「それだけじゃないんです。会長さん、ホーム画面の『OTHERS』をクリックしてみてください」


 言われた通りクリックしてみると、ホーム画面にあった各国語とはまた別の外国語の国旗がずらりと並ぶ。


 「まさか、ここにある外国語で全部翻訳できるの?」

 「そう、そのまさかよ! なんでもネットの翻訳ツールを応用して高度なアルゴリズムでプログラムを組んだことで、より広範囲でかつ精度を飛躍的に上昇させたんだとか」


 一朗の知人によって組み込まれた言語翻訳ツールはほぼ世界各国の言語を網羅していると言ってよかった。


 「よくわかりまへんが、とにかくえらいもんを作り上げたっちゅうことでんな! とにかくうちの広報課に話してみますわ!」

 「あ、あたしもアイデアがあるんです」


 舞が昨日思いついたアイデアを話すとそれも快く承諾してくれた。


 「任しとくれやす! このアイデアをうまーく利用して、清水の舞台から飛び降りる覚悟で盛り上げてみせますわ!」


 会長がどんと胸を叩いて太鼓判を押す。


 「「よろしくお願いします!」」


 ふたりがぺこりと頭を下げ、多江も「私からもお頼み申します」と典雅な仕草で頭を下げる。


 †††


 「いやぁ一時はどうなることかと思うたわぁ」


 観光協会から出た多江がのほほんと言う。


 「まったくだわ。ほんと災い転じて福と成すね」

 「そうね。ま、結果オーライってことでいいじゃない?」

 「よく言うわよ」

 「せや、フラちゃん、舞。せっかくここまで来たんやさかい、京都タワー登ってみぃひん?」



 京都タワー。高さ131メートルを誇るそのランドマークタワーをエレベーターで展望室まで上がると京都市内が360度見渡せるようになっている。


 「わあっ!」


 見習いシスターが目を輝かせてたたたっと窓際まで向かう。網目状に広がった街並みが見渡せ、設置された望遠鏡で覗くと清水寺、東寺とうじ、西本願寺などの世界遺産が見えた。


 「絶景ね!」

 「あっちに見えるのが知恩院三門で、その向こうが三十三間堂ね」


 年頃の女の子らしくはしゃぐふたりを見て多江がふふっと微笑む。


 舞はほんまに良い友だち持ったどすなぁ……。


 多江はふたりの後ろで静かに頭を下げる。


 †††


 翌朝。置屋兼実家の玄関前にて、それぞれ荷物を手にしたフランチェスカと舞は多江をはじめとした全員から見送りを受けていた。


 「みなさん、短い間でしたが、お世話になりました!」


 フランチェスカがぺこりと頭を下げる。


 「フラちゃん元気でね。舞お嬢ちゃんもお気を付けて」

 「また京都に遊びに来ておくれやす」

 「ほんまにおおきに。フラちゃんがいてくれて助かったわぁ。舞のこと、よろしくお願いしますわ」


 松風、竹春のふたりが目に涙を浮かべて別れを惜しむ。

 見習い舞妓の小梅が前に出てフランチェスカの手をしっかと握りしめる。


 「こちらこそほんまにお世話になりました! 修行を積んで舞妓になります!」

 「うん、梅ちゃんならなれるよ。立派な舞妓さんに。きっとまた京都に来るからね」


 それじゃと手を振って別れを告げる。多江一同もふたりが見えなくなるまで手を振り、最後に深々とお辞儀を。


 「「「ほんまにおおきにどした!」」」



 京都駅構内。


 「なんだか長かったようであっという間だったわね」

 「ホントにね。色々あったけど、その、あんたと一緒にいて楽しかったわよ。癪だけどさ……」


 フランチェスカがころころとキャリーバッグを転がすと、ぴたりと止まった。


 「ごめん。お土産買いたいから、荷物見ててくれる?」

 「なるべく早く戻ってよ」

 「わかった!」そう言うと売店コーナーへと駆ける。

 ふぅっと舞が溜息をつきながらボストンバッグを下ろす。

 その時、不意に後ろから声がした。英語だ。


 「Excuse me……How do I get to the bus terminal?」


 女性の観光客だ。


 「へ? あ、えーと……」


 反射的に隣を見る。だが、通訳係のフランチェスカはまだ売店コーナーだ。


 どうしよう……? すみませんって謝ろうか? まって、バスターミナルって言ってなかった?


 「あー……バスターミナル?」

 「Yes! I want go to bus terminal!」


 ええと、英語では……あいつはなんて案内してたっけ?


 こないだフランチェスカが隣で通訳していた場面を思い出してゆっくりはっきりと発音する。


 「Go straight and turn left at the end of the road(この道をまっすぐ行って突きあたりを左に曲がってください)」


 自分でも驚くほどすらすらと出てきた。問題は通じたかどうか……


 不安になっていると、いきなり女性から感謝のハグをされた。

Thank you! と手を振る観光客に舞も手を振る。


 通じた……! あたしの英語が、生まれて初めて通じた!


 こみ上げる嬉しさに涙が出そうになるのをぐっとこらえる。


 「おまたせーまいまい……って、顔赤いわよ?」

 「へっ!? いや、べつになんでもないから!」

 「ふーん……ま、いいか。とにかく改札行きましょ」

 「う、うん」


 からからとキャリーバッグを転がして、改札へ向かおうとした時だ。舞が呼び止めたのは。


 「まって!」

 「なに?」

 「その、さ。大阪いかない? ちょうど近いし……」

 「へ?」

 「あんた言ってたじゃない。行きの新幹線でタコ焼きやお好み焼き食べたいって……」

 「……まいまい」

 「しかたないから付いてってあげるわよ。あと、まいまい言うな」


 舞の腕にフランチェスカが自らの腕を絡める。


 「んじゃさっそく行きましょ! ゴチになりやーす!」

 「ちょっ! おごるとは一言も言ってないよ!」




 ――数年後。

 その年のゴールデンウィークも京都の街、祇園は外国人観光客で溢れていた。

 市内を走る京阪電鉄や阪急電鉄の車内のモニターでは一朗が手がけたマナーに関するアニメーションが流れ、駅構内や案内所のパンフでは従来の翻訳パンフに加えてドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語が追加されていた。

 また、駅構内の案内板には撮影禁止、飲食禁止、立ち入り禁止とお馴染みのアイコンに加えて舞妓さんに触れないでという旨のアイコンが新しく加わっていた。舞のアイデアである。

 さらに案内板のQRコードを読み込むと世界各国の言語に対応可能な、マナー案内の映像を応用して作成された市内観光の案内アニメーションが視聴可能となった。

 だが、マナー違反者は少しずつ減ってきてはいるが、いまだにマナーを犯す者はあとを絶たない。


 祇園、花見小路――


 外国人観光客が古き街並みをカメラに収め、ふと振り向くと、割しのぶと呼ばれる髪型に黒の引き振袖に西陣織の帯で留めた舞妓がこぽこぽと響かせながら歩くのが目に入った。

 その美しさをぜひカメラに収めようと舞妓を引き留めようと着物に手を伸ばす。


 「Don't Touch Me!(触らんどくれやす!)」


 目の前の舞妓から流暢な英語が出たので思わず目を丸くする。


 「Don't do that!(そんなことしたらあきまへんえ!)」


 英語で力強く注意する彼女は立派に舞妓として成長した小梅であった。






次話に続く。


後書き

ミニストーリー「大阪にて」


「ここが大阪なのね。京都と違ってなんか賑やかなところね」


はふはふとタコ焼きをほおばるフランチェスカ。


「あんま京都と比べないでほしいんだけどね……とにかく昼ご飯食べに行くよ」

「なにここ?」

「大阪と言ったら串カツさ。このソースにつけて食べるんだよ」

「なんかピンチョスみたいね……」


ちょんちょんとソースにつけて、一口。


「おいしー! 具も美味しいけど、このソースもたまらないのよね。おいしいからまたつけよーっと」

「お嬢ちゃん! ソースの二度漬けはアカンで!」

「ええー……まだ漬け足りないんだけど」

「そういうときはこのキャベツを千切って、すくってかければいいんだよ」

「なるほど、頭いいわね。で、この串はどうするの? 捨てるとこないんだけど」

「ここの筒に入れるの。で、お会計のときに串の数でお会計するってわけ」

「へぇ! スペインのバルと一緒ね! ピンチョスのピンの数で会計するのよ。あたし、こういうところって好き」

「それはわかる!」

「カウンターは店主とお客を繋ぐだけじゃなく、隣のお客とも交流できますさかい、カウンターだけに横のつながりが大事ってね!」

「うまい! まいまい、座布団一枚やって!」

「あたしは笑点の山田君か! あとまいまい言うな!」

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