第33話 フランチェスカ、京都へ行く⑤
「ただいまー」と置屋兼舞の実家の玄関の戸を開けると、夕餉の香りが。
廊下から浴衣に着替えた松風が迎えてくれた。
「お帰りなさいどす」と化粧を落とした顔でにこりと微笑む。すっぴんでも美人だ。
と、また廊下からぱたぱたと足音。これまた浴衣を着た女性だ。
「お帰りなさい……って、この子が舞お嬢ちゃんのお友だちどすか? ほんまに可愛らしいわぁ。あ、初めまして。
これでふたりの舞妓さんとの顔合わせが済んだわけだ。
「いまお夕飯作っとりますさかい、そのあいだお風呂でも入っておくれやす。竹ちゃん、着物脱がしたってな」
「じゃ、あたしご飯作り手伝うね。風呂場はこの突きあたりだから」と舞。
別室で竹春に手伝ってもらって髪をほどき、着物から浴衣に着替えて風呂場へと向かう。
廊下をぺたぺたと歩いて脱衣所と思しき戸を開こうとした時、隣の襖から弾はじくような音色が聞こえてきた。
そっと襖を開けると、舞の母、多江が三味線をバチで弾くように弾き、その音に合わせて小梅が舞をまうのが見えた。
「ちゃう! なんべん言うたらわかるんや! 手が遊んどるやないか!」
「す、すみません……」
「もっかい頭からや! めそめそしとるヒマがあったら踊る!」
「はい!」
舞のお母さんってうちのマザーと良い勝負ね……。
多江の剣幕に圧倒されながらそっと閉め、そそくさと脱衣所へと入る。
浴衣や下着を籠に入れ、ガラス戸を開くとそこにはタイル張りの壁に大きめの湯船からは湯気がもくもくと立ちのぼっていた。
シャワーで汗を流し、ボディーソープを乗せたスポンジで体中を洗う。
シャワーで泡を洗い流すと、からからと戸が開く音が。
そこから入ってきたのは小梅だ。
「あ、フランチェスカさん」
「お疲れさま。先にお風呂頂いてるわよ」
華奢な体つきをした舞妓志願の少女は「失礼します」と隣に腰かける。
「お稽古、大変みたいね?」
「え!? み、見とったんどすか?」
「ちょっとだけ、ね」
そう言うと小梅の顔がますます赤くなる。
「恥ずかしおす……」
「恥ずかしがることないわ。あたしなんかマザーにいつもこっぴどく叱られてるんだから」
フランチェスカが茶目っ気にウインクすると小梅がくすっと笑う。
「フランチェスカはんは明るいお人どすね」
体を洗い終え、湯船に浸かると「ふぅーっ」とふたりの見習いの溜息。
「疲れがほぐれるー」
「うちもどす……」
フランチェスカの隣で小梅がほぅっとまた溜息を漏らす。
「ね、梅ちゃんはどうして舞妓さんになろうと?」
「……中学生の時に、たまたまつけたテレビで舞妓の取材をやっていたんどす。綺麗な着物で舞を舞ったり、お客さんを楽しませたりして、それからすっかり憧れの的になったんどす」
でも、とうつむく。
「松風ねえさんと竹春ねえさんにくらべたら、わたしなんてまだまだどす……」
「そんなことないわよ。ちゃんと夢に向かって努力してるじゃない。あたしなんて、やりたくもないシスターをやらされてるだけなんだから……」
「そうなんどすか?」
「そうよ。先祖代々続いてるからというだけで……まいまい、あ、舞のことね。彼女のほうがあたしより立派よ。だからもっと自信持っていいわ」
まいまいにはこのこと内緒ね? と唇に人差し指を当てる。
小梅がまたふふと笑う。
「フランチェスカはんは、ほんまに優しいおひとどすなぁ……」
†††
風呂からあがって居間の障子を開けると、卓には食事の用意がなされていた。
「わあっ」とフランチェスカが目を輝かせる。
湯気が立ちのぼる茶碗の眩しい五穀米と菜っ葉と豆腐のみそ汁。
いずれもフランチェスカにとっては初めて見るものだ。
「今夜はフラちゃんの歓迎会も兼ねとりますさかい」と多江が上座に位置する座布団に腰かけるよううながす。
全員揃ったところで一斉に「いただきます」と食前の挨拶。
鰆を口に運ぶと白味噌のほのかな甘さがふわりと広がる。
「ん~
フランチェスカの舌鼓にあははと笑う。
「フラちゃん美味しそうに食べるから腕を振るった甲斐があったわぁ」と竹春。
「市内観光いかがどしたか?」
松風の問いに「はい! すごく楽しかったです!」
でも、と少し顔を曇らせる。
「マナーの悪い観光客もいたので、同じ外国人としては申し訳ないと思ってます……」
「フラちゃんが謝ることなんてあらしまへん。やけどマナーの悪さはいまや深刻な問題となっておりやす」
そこまで言うと多江が姿勢を正して頭を下げる。
「フラちゃんの語学力を見込んで、おたの申します。翻訳や通訳に力を貸していただけまへんでしょうか?」
「私からもおたの申します」と小梅はじめ、松風と竹春も頭を下げる。
「わかりました。どこまで出来るかはわかりませんが、やるからにはベストを尽くしたいと思います」
湯気の立ちのぼる茶碗を手にして掲げる。
「この米、おろそかにはしません」
「おおきに、ほんまにおおきに……!」
多江が深々と頭を下げる。
「それ、七人の侍のセリフじゃないの?」と舞。
†††
食事を終えたフランチェスカは舞の部屋にいた。
「悪いわね。ベッド使わせてもらって」
「いいよ別に」とベッドで横になるフランチェスカにこれまた布団で横になった舞が言う。
「で、正直言ってどうなの? なにか考えはあるの? 観光客ひとりひとりに注意を呼びかけるんじゃ、あんたが何人いても足りないわよ」
「特にこれといってってのはないんだけど……ねぇ外国人観光客向けの案内パンフってある?」
「それなら駅とか案内所に行けばあるよ」
「OK。まずはそこからはじめてみようと思うの」
「ん、頼りにしてるよ」
おやすみと丸型蛍光灯のスイッチの紐を引っ張る。
⑥に続く。
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