第32話 Mona dama Mexicana!⑥
翌日、孤児院での昼食を終えたマリアおばさんたちはイダルゴ市場にて買い出しへ。
その後ろではフランチェスカが子ども達の手を取りながら付いていく。
「
「そりゃそうさ。この建物はもともと駅舎だからね。それを改築したんだよ」とマリアおばさん。
アーチ状の屋根の下、様々な屋台からは威勢の良い呼び声が飛び交う。市場だけあって売っている物は実に様々だ。
八百屋や土産物屋はもちろん日用品やメキシコ名産の刺繍ブラウスなどが所狭しと並ぶ。
「そのトウガラシとあとパプリカを」
「あいよ。毎度あり!」
「マリアおばさん、おれキャンディ欲しいんだけど」
リカルドが飴が並んだ棚を指さす。
「だめ! 余計なものは買わないの」
だが納得出来ないリカルドはふてくされる。そこへフランチェスカが助け船を。
「マリアおばさん、ここはあたしに払わせて。泊めてもらったお礼よ」
孤児たちが「やった!」と喝采。だがマリアおばさんは「でもねぇ……」と頬に手を当てる。
「そうだ! おねえちゃん、この辺りを案内するよ! キャンディのお礼として! それでいいでしょ?」
マリアおばさんの許可を得る前にフランチェスカの手を引っ張る。
「暗くなる前には帰るんだよ!」
「わかってるって!」
娘同然のフランチェスカとこれまた我が子同然の子ども達を見送りながらやれやれと首を振る。
と、パコが残っていることに気付いて驚く。
「パコ、あんた一緒についてかなくていいのかい?」
「おれマリアおばさんをてつだうよ。そのかわりチョコレートちょうだい!」
「この子は!」ぴしゃんと尻を叩く。
†††
「ここが『口づけの小道』だよ」
イダルゴ市場を出て観光案内を請け負ったリカルドがキャンディを舐めながら指さす。
その小道は狭く、人ひとり通るのがやっとといったところだ。
「マリアおばさんがいってた。むかしここにすんでたこいびとが、まどからみをのりだしてキスしてたって」とハビエル。
「それで『口づけの小道』なのね」
見上げながらキャンディーをぺろりとひと舐め。
去年行ったときは死者の日の祭りや奉仕活動やらミゲルを取り戻したりやらで忙しくて観光するヒマがなかったが、こうしてゆっくり歩いて回ると新しい発見があるものだ。
「ねーねーあたしつかれた! かたぐるまして!」
はいはいとルピタを抱き上げ、肩に乗せる。
「ねーおねえちゃんはすきなひととかいないの?」
「ふえっ!?」
フランチェスカの脳裏に一瞬、安藤の顔がよぎったが、すぐにぶんぶんと首を振る。
「いないわよ!」
だが、そう言う見習いシスターの顔は真っ赤だ。
†††
カラフルな壁と壁のあいだの狭い路地を抜け、坂を上る。
迷路のように入り組んだ路地を子ども達は駆け抜ける。それこそ勝手知ったる他人の家よろしくだ。
「ねえちゃんこっちこっち!」
「リカルド、あんま急かさないで。ルピタを背負ってるんだから」
十分後に一行はようやく丘の頂上にたどり着いた。
そこには松明を手にした像が。ハビエルいわく、メキシコ独立戦争の英雄ピピラだそうな。それがピピラの丘と呼ばれる由縁である。
リカルドが見てみて! と指さす先にはグアナファトの街並みが見渡せた。
「わあっ!
「あのまんなかのがサン・ディエゴ教会で、孤児院があのあたり!」とハビエルが指さしながら説明を。
「みんなで写真撮りましょ! ルピタちょっとごめんね」
ルピタを降ろしてポケットからスマホを取り出してカメラをこちらに向ける。
「いい? 撮るわよ。せーの」
「「「テキーラ!!」」」
※メキシコでは「チーズ!」のことを「テキーラ!」と呼ぶ。
「よく撮れてるわ。アンジローにも送ろっと」
送信してスマホをポケットに戻してベンチに腰かける。
子ども達はきゃいきゃいと景色を指さしながら談笑していた。
その微笑ましい光景に思わずふふっと笑う。見上げるとどこまでも透きとおるような晴れ渡った空が。
目を閉じて深呼吸。そしてふーっと息を吐く。
こんなゆっくり過ごすのって、ひさしぶり……。
「ねぇおねえちゃん」
「んぁっなに?」
いつの間にか居眠りしていたようだ。リカルドが目の前で心配そうに見つめている。
「もうそろそろかえろうよ。おそくなるとマリアおばさんにしかられるし」
「そうね、行きましょう。帰りはケーブルカーで行こっか?」
全員一致で賛成が出たのでフランチェスカは人数分の乗車料金の100ペソを支払って丘を降りた。
†††
「ただいま!」と帰宅を告げたときにはすでに孤児院は夕餉の香りに包まれていた。
「おかえり。夕食がもう出来てるよ」
食卓にはすでに皿が並んでおり、その皿には黒いソースがかかった鶏肉の料理が。
「わ! モレ・デ・ポジョだ!」とリカルドが目を輝かせる。
「パコが手伝ってくれたお礼にチョコレートを欲しがってたからね。余ったのを料理に使っただけさ」
「そうだぜ。おれにかんしゃしろよ」ともむもむとチョコを頬張るパコの尻を「ご飯の前に食べるんじゃないよ!」とぴしゃんと叩く。
食前の祈りを唱えてから食事に取りかかり、一口に切った肉を口に運ぶ。
チョコレートを使っているとは思えないほどほろ苦い味わいだ。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、「ごちそうさま!」のあとは片付けだ。
†††
「ほら早く歯を磨く! 虫歯になったら歯医者に連れてくからね!」
風呂から上がった子達にそう脅しつけながら洗面所へ誘導する。
フランチェスカのほうへ顔を向けると「あとであたしの部屋に来てね」と耳打ち。
十分後。マリアおばさんが子ども全員に「おやすみ。天使の夢を見るんだよ」と寝かしつけたあとに自室に戻るとフランチェスカがいた。
「こっちにいらっしゃい」と手招きしてクローゼットから一着のドレスを取り出す。上に掛けられたビニールを外すと胸に施された花柄の刺繍が露わになる。
マリアおばさんお手製のドレスだ。
「わ、
「あたしが若い頃に着てたものだけど、あんたならきっと似合うよ」
試着してみてと言われたので着てみる。まるであつらえたようにぴったりだ。
「やっぱり似合うわよ! あたしの若い頃そのものだわ!」
マリアおばさんがクローゼットからまた一着取り出す。これもお手製で今の体型に合わせて作られている。
「さあ、夜の街に繰り出しましょ!」
ドレスに身を包んだマリアおばさんがフランチェスカの腕に自分の腕を絡めながら言う。
†††
マリアおばさんに連れられてやってきたのはカンティーナと呼ばれる居酒屋だ。
ウェイターに案内され、テーブルに着くとマリアおばさんがテキーラをひとつと注文。
「あんたはなに飲む?」
「あたし、こないだ18歳になったばかりなの。だからワインとか飲んでみたいな」
「18歳! 時が経つのは早いもんだね。ウェイター、良いワインをお願いね!」
「かしこまりました」とウェイターが下がる。
ビオラ、バイオリン、トランペット、ギターによるマリアッチの演奏が酒場を包む。
「それにしても18歳か……ここじゃもう酒飲める年だよ」
「スペインもそうよ。なんか大人になったって感じがあんまりしないけど……」
「みんなそんなもんだよ。慌てなくていいさ」
そこへウェイターが「お待たせしました」と酒を運んできた。
ショットグラスになみなみと注がれたテキーラを掲げ、フランチェスカもそれに倣う。
「
マリアおばさんがショットグラスを傾け、ふぅうーっと酒精を吐き、生まれて初めてのワインを堪能したフランチェスカは「美味しい!」と顔を輝かせる。
「意外とイケるクチだね。これも飲んでみる?」とショットグラスを差し出されたのでちびっと飲んでみる。
「!? かぁっ! なにこれ!? 舌がピリピリする!」
初体験のテキーラにむせる見習いシスターを見てマリアおばさんがあははと笑う。
「あんたにはまだ早かったみたいね。ほら水飲んで」
水を飲んでいると、ソンブレロを被ったマリアッチのひとりがやってきた。
「お客さん、なにかリクエストはありますか?」
「そうだねぇ……じゃ『グアダラハラ』を!」
マリアおばさんのリクエストにうなずいてギターを弾き、よく通る声で歌うとビオラやバイオリンとトランペットが合唱を。
メキシコらしい陽気な旋律に合わせて周りのテーブルから手拍子が。
マリアおばさんが立ちあがったかと思うと、いきなり踊り始めた。曲に合わせて踊り、スカートの裾をつまみながらくるりとターン!
「すごいすごい!」とフランチェスカが拍手すると、マリアおばさんが「あなたも踊って!」とでも言うように手招きする。
最初は渋々ながらもいざ踊ってみると、賑やかさと熱気に包まれていく感覚が心地よい。
「ヤバい! 楽しい!」
演奏が終わると拍手が巻き起こり、マリアッチにチップをやる。
「すごいわ。マリアおばさんがあんなに踊れるなんて!」
「ここはね、あたしと亡くなった主人がよく来てたの。ほらそこの壁に写真が掛かってるわよ」
指さすほうを見ると精悍な顔つきの男性とすらっとした体型の美女が並んで写ったモノクロ写真が。
「ステキね……」
「あんたは誰か良いひとはいるのかい?」
「……いないわ!」
ぐいっとワインをひと息にあおる。
†††
「らからぁ! ほんっとにアイツはにぶいのよ! あたしがアプローチしてもちっとも気付かないんだから!」
顔を赤くしてひっくとしゃくりあげる。
「フランチェスカ、飲み過ぎだよ」
「じぇんじぇん酔ってないわよ! あのキリストだって大酒飲みらったんだしぃ。せーしょのルカ伝だい7しょー34しぇつにそうあるし!」
グラスに手を伸ばそうとしたのでマリアおばさんが取り上げ、手が空を掴む。
そしてそのままぱたりと突っ伏す。次第に寝息が聞こえ始めた。
マリアおばさんがやれやれと首を振り、ウェイターに会計を命じる。
†††
酔いつぶれたフランチェスカをなんとか孤児院まで運ぶと、部屋のベッドに寝かせる。
ふぅっとひと息つく。
「こんなに手のかかる子は初めてだよ」
くしゃくしゃと撫でると娘同然の見習いシスターがぽつりとつぶやくのが聞こえた。
「ばか……アンジローの、ばか……」
「アンジロー? それがあんたの思い人なんだね?」
それに対する返答は静かな寝息に変わった。ゆるゆると首を振り、サイドテーブルのランプを消す。
「おやすみ。天使の夢を見るんだよ」
†††
翌朝。ラパス広場のバス停。
「うう~頭が痛い……」
「おねえちゃんだいじょうぶ?」
「平気よ。すこし飲み過ぎただけで……」
心配そうに聞くハビエルの頭を撫でる。昨夜の記憶はほとんどないようだ。
そこへバスターミナル行きの公共バスがやってきた。
「それじゃ、短いあいだだったけど、みんなありがとう!」
「いつでも遊びにおいで! あんたはあたしの娘同然なんだから」
「ねえちゃんまたね!」
「またサッカーやろう!」
「またえほんよんで!」
「うん。いつかまた来るね!」
キャリーバッグを転がしてバスに乗り込む。ステップに足をかけ、くるりと振り向く。
「
手を振って別れを告げると、ぱたりと扉が閉まる。座席に腰かけ、窓を開けてそこから見えなくなるまで手を振り続ける。
次第にバス停が見えなくなり、極彩色のグアナファトの街から離れていくと窓を閉める。
閉じた目蓋から涙が流れるのは窓から差す太陽の光のせいではないだろう。
その時、着信音が鳴った。ポケットからスマホを取り出す。
「もしもしフランチェスカ?」
「あ、マザー。おはようございます。いまバスで空港に向かってるところです」
「メキシコのですね?」
一瞬言葉に詰まる。
「なぜそれを……」
「安藤さんが教えてくれましたよ。素敵な写真ね」
それでわかった。
アンジロー! 余計なことを!
「でも、たまにはいいでしょう。あなたに言いたいことは色々ありますが、休暇から戻ったらお務めが待ってますよ」
「はい……」
「よろしい」と言い残して通話が切れた。
ふぅっと溜息をついてポケットに戻す。
マリアおばさんもそうだけど、こっちの
ふふっと微笑むとひと眠りするために目を閉じた。
次話に続く。
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