第31話 サンフランシスコのシスター②


 カリフォルニア州――サンフランシスコの州立大学。

 講義を終えたマティアス教授は聖書とテキストを片手に講堂を出る。

 道行く学生たちはみな彼のことを教授プロフェッサーではなく神父プリースターと呼んでいる。

 実際、白髪で精悍な顔つきのマティアス教授はあだ名通りの風貌と言ってよい。

 神父が腕時計を見る。


 もうこんな時間か。今日のランチはどこにするか……


 ふと隣の建物――図書館のほうを見ると、修道服スカプラリオに身を包んだ、年は18くらいの可愛らしいシスターが入口から出るところだった。


 「フランチェスカ……? シュヴェスタシスターフランチェスカ!」


 「え、マティアス先生レーラァ!?」


 ばさりと聖書とテキストを落としてマティアス教授は懐かしい人物のもとへ走り寄る。

 次の瞬間にはマティアス教授はフランチェスカを我が子のように高く抱き上げた。

 その光景に周りからざわざわとざわめきが。そのなかにはピーターもいた。


 「久しぶりじゃないか! ここでなにをしてるんだ? 我が教え子フランチェスカマイネ シューラリン フランチェスカ!」

 「ちょっマティアス先生! 下ろしてください! みんなが見てますから!」


 だが、かつての恩師は気にも留めず、わははと笑うだけだ。


 †††


 「なるほど、それできみは奉仕活動ということで図書館の聖書の整理をしているというわけだね」


 大学近くのカフェでふたりは昼食を済ませ、デザートを待っているところである。


 「はい。人手不足で私のところにお鉢が回ってきたんです……だって本の整理をするためだけにアメリカくんだりまで来たんですよ!? 信じられます?」


 マザーは人使いが荒いんだから……とぶつぶつ零すフランチェスカの愚痴にマティアス教授がわははと笑う。


 「きみの流暢なドイツ語も、率直な物言いも久しぶりに聞いたよ。まさか、ザビエルの名を冠したこの地できみに会おうとは。

 主も粋な計らいをしてくださるものだ」

 「マティアス先生は大学で教えてるんですか?」

 「うむ。いま受け持っている講義は『聖書の歴史学』だ。覚えているかね? きみがいたビルバオの神学校でも教えていたものだよ」

 「先生の授業は異端的だって他の先生が言ってましたよ」と苦笑する。


 マティアスが笑いながらウインナコーヒーのカップを置く。


 「だが、誤解しないでもらいたい。私はイエスが稀代のペテン師だと証明するつもりはない。聖書の出来事をつぶさに研究し、検証することで――」

 「より神の真理に近づく。ですね? 神学校でさんざん聞かされてきましたから」

 「その通りゲナオ! 最近の研究でノアの方舟らしき木材の破片がトルコのアララト山で見つかっているし、モーゼの海を割った奇跡も実際は浅い海だったという仮説も発表されている」


 その時、ウェイトレスがデザートを運んできた。ザッハトルテの皿を二人の前に置く。


 「私はこのケーキに目がなくてね……この辺りでは一番本場の味に近いはずだ」

 「そういえばマティアス先生はオーストリアの生まれですもんね」


 フォークでケーキをぱくりと口に運ぶ。


 「んん~美味しいデリシオーソ!」

 「気に入ったようだね。ところで私はいま、ガリラヤのイエスについての講義をしててね……きみは実際に水上歩行は可能だと思うかね?」

 「どうでしょう? 弟子たちがイエスの偉大さを知らしめるために脚色したり、でっち上げた可能性もありますし……」

 「今日の講義で学生たちに仮説を聞いてみたのだが、どれも荒唐無稽なものばかりでね。なかには日本のニンジャが使っていた水の上を歩ける履き物を使ったとか、タケウマを使ったとか……」


 馬鹿馬鹿しいとでも言うように首を振り、ふたたびカップに口をつける。


 「このケーキ、ザッハトルテの本家がザッハーか、デメルか争ったように、長年の疑問に私は決着をつけたい」


 フォークを刺して口に運ぶ。


 「このケーキはデメル寄りだが、私はやはりザッハーのほうが好みだ。来週、マーセド湖で学生たちの仮説を立証する予定だが、来るかね?」

 「行けたら行きますよ。そろそろ行かないと……」


 「ごちそうさまでした」と昼食とケーキの礼を述べ、カフェを出ると、後ろから「あの……」と躊躇いがちな声。

 振り向くと、ピーターが立っていた。


 「すこし、お話いいですか……?」




③に続く。


後書き

コラム 『ザッハーとデメルのトルテ論争』


オラ! このコーナー久しぶりね! 今回は作内に出てきたザッハトルテについて説明するわね!

ザッハトルテは1832年にフランツ・ザッハーという見習い少年が作ったチョコレートケーキのことで、彼の息子が開業したホテルのカフェで出されている名物のケーキよ。

ところが1930年代、経営危機に陥ったザッハーが皇室御用達のケーキ屋、デメルに支援をお願いしたわけ。

その時、デメル側が出した条件でザッハトルテの販売を認めさせたの。

で、これが1952年に権利侵害で訴えて裁判に繋がったってわけ。

その裁判の期間が実に10年! よくやるわよね……。

で、結果的にお互いザッハトルテを作っていいってことになって、それ以来ザッハーは『オリジナル』の看板を掲げているの。

あと、同じケーキといっても、それぞれ微妙に味が違うのよ。


ザッハー……しっかりとした甘さのチョコレートとキメの細かいスポンジにアプリコットジャムのバランスが絶妙。


デメル……コクのあるチョコレートだが、甘さはやや控えめ。スポンジはしっとりとしている。


ザッハトルテの特徴のひとつ、ホイップクリームは両方ついてるんだけど、デメルだけ有料なの!

このコラムはまたいずれやるかも? その時までまたね~。Ciao!

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