第31話 サンフランシスコのシスター①
“――夕方になった頃、舟は湖の真ん中に出ており、イエスだけが陸地におられた。
イエスは、弟子達が向かい風の為に漕きあぐねているのをご覧になり、夜中の3時頃、湖の上を歩いて、(中略)弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て幽霊だと思い、叫び声をあげた。というのは、みなイエスを見て怯えてしまったからである。
しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、
「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。
そして、舟に乗りこまれると風がやんだ”
マルコ伝第6章47~56節
「と、このように我々が敬愛してやまないイエスはガリラヤ湖を渡ったのちにゲネサレの地にて奇跡を行ったとされている」
サンフランシスコ州立大学の講堂にて、マティアス教授はマイクを手に学生たちの前で説明し、ドイツ語訛りの英語でさらに続ける。
「また、マルコによる福音書ではイエスの弟子ペトロが登場している。彼はイエスに声をかけられ、最初の弟子としても有名だ。さて――」
マティアス教授は受講生たちを見回し、老眼鏡を外して上着のポケットにしまう。
「聖書の時間はこれでお終い。ここからは真理の時間だ。諸君、イエスは水の上を歩いたとあるが、これははたして可能だろうか?」
ふたたび見回す。すると学生のひとりが手を上げた。
「ミス・ポーター」と指さすと指名された女学生が立ちあがった。
「はい! 私の考えとしては、イエスは
マティアスがうんと頷く。
「実に面白い仮説だ。だが、君は重要なことを忘れている。イエスが渡ったのは海ではなく湖だ。淡水では珊瑚は生息出来んよ」
そう論破された女学生はしゅんとなって席に戻る。
「他には誰か?」
「はい! 俺は凍った水面を歩いたんだと思います!」
「面白いが、凍っていたらそもそも舟が出せないのではないかね? きみはもう少し凝り固まった脳をほぐしたまえ」
どっと周りから笑い声。
次々と学生が我こそはと手を上げるが、その度にマティアス教授に論破された。
「次は誰か……」
ふと、マティアス教授の目にひとりの学生が目に留まった。
眼鏡を掛けた、細身のいかにも弱々しい男子学生だ。
「ピーター君、きみの考えは?」
ピーターという名前の学生は名指しされてビクッと身を強ばらせる。
「きみは人間ははたして水の上を歩けると思うかね?」
「え、ええと……そ、そのぅ……ぼくは……」
言い淀んでいるうちにチャイムが鳴った。ピーターの歯切れの悪さに教授は溜息をつきながらゆるゆると首を振り、
「“口で話すにせよ、手話で話すにせよ、考えや気持ちを伝える能力は神からの素晴らしい贈り物だ”(ヤコブ伝第3章9節)
その贈り物をきちんと活かしたまえ」とぴしゃりと言う。
「
「は、はい……」
「今日はここまで。来週の講義は予定通り、マーセド湖で実験を行う。諸君の仮説を立証してみようじゃないか」
②に続く。
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