3話 No Music, No Life.
「文化祭じゃあああ‼」
「加奈は元気だねぇ。私はもう疲れたよぅ……」
「登校時間早かったからね。おーよしよし」
時刻は午前九時半。
私たちは七時に集まり、文化祭の注意事項や最後の準備に勤しんでいた。
「オッハヨウ、諸君! いやー寝坊しちゃって申し訳ないねぇ」
ドンっという激しい音と共にドアの向こうから翼が現れる。
愛らしいその顔に似つかわしくない形相で加奈が肉薄する。
「遅いぞ翼! もう準備終わってんだけど⁉」
「ほんっとうに申し訳ない! 昨日楽しみで寝れんかったのよねぇ」
平然と寝坊を理由に遅刻をするような翼にはそろそろお灸をすえるべきなのではないか。
「あと少しで始まるから服着替えてきて。隣の教室空いてるから」
うひゃあメンドイ、と一言。
翼は教室を後にする。
「それでさ、ひびき。ちょーっとお願いがあるんだよね」
かなり面倒そうなことを頼むつもりなのだろう。
上目遣いでいかにも、といった感じだ。
「やだよ。私じゃなくて遅刻した翼に頼めばいいじゃん」
「翼ちゃんじゃあ、無理なんだもん」
加奈の視線が左を向く。
「はあ、まあいいけどさ。それで何なの?」
「午後、メイド役を変わってほしいなって」
「うわっ、ガチの面倒事じゃん……」
しかも本当に翼には無理なやつ。
翼はもうメイド担当だし、仮にそうじゃなかったとしても。
あいつが加奈サイズのメイド服を着ることはできないだろう。
なんだか小ばかにされている気がしたが気のせいだろう。
「用事ができちゃったの! お願い!」
ここぞとばかりに畳みかける加奈。
両手を合わせてお願いします、と懇願する。
「用事? 内容を教えたまえ」
「言いにくいんだけど、これ」
渋々といった様子でカバンから取り出されたものは――
「うわっ、ラブレター‼」
「おっきな声出さないで」
私は面倒な頼み事の話を忘れて、加奈が持っているラブレターに興味を持っていかれた。
「ごめん…… それで、渡すの⁉ 渡されたの⁉」
「隣のクラスの、木之崎くんから」
渡されたのか‼ 羨ましいなぁもう‼
「たまに話してたあの人か! 結構な大物が来たもんだ。手紙入れるとこ間違えたんじゃないの?」
「失礼な! でもやっぱり、そうだよね」
恥ずかしそうに赤らめていた頬は私の言葉で元気をなくした。
「ああごめんって。面倒事は引き受けるから、頑張ってね」
グッと親指を突き上げ応援の意を示す。
するとまた教室のドアが勢いよく音を立てる。
「なになに? ここからラブの匂いがするぞ」
「おかえり、加奈がラブレター貰ったんだって」
「詳しく‼」
やいのやいのと話しているうちに文化祭の開始時刻。
しばらくしても客足は伸びず、まだ仕事には余裕があった。
「よお姉ちゃん‼ 来てやったぜ、メイド服は?」
「だから着ないってば。着たとしてもあんたには見せないよ」
「他にもいっぱい居るからいいや。父さんと母さんもすぐ来るよ」
「そう、じゃあこれ。あげるよ」
かずきにあげたのはここで売り出すつもりだった唐揚げだ。
調子に乗って多く作りすぎてしまったので仕方ない。
「それと午後から、体育館でライブやるから行ってきたら? 一個すごいバンドあるからさ」
「へぇ、どんなの?」
「ジャンルはオルタナだよ。ベースがやたら上手いし、何より曲が面白くてね」
「姉ちゃんが他の人を上手いなんて言うの珍しいじゃん。行ってみるよ」
オルタナというのは所謂ロックの一種だ。
正式名称はオルタナティブ・ロックである。
その名が冠する通り、普通のロックとは一味違った曲調が持ち味だ。
「……ここか? あってるか?」
「あってるって。中入ろ」
恐る恐るといった声に反応したのは海斗の方が先だった。
「父さんここだぞ。これ貰った!」
ビシッと唐揚げの入れ物を突き上げるかずきに、おうおうよかったな、とお父さん。
「遅くなってすまんな。文化祭はどうだ、ひびき」
「うん、まあ楽しいよ。お父さんたちは最後までいるの?」
「そうねぇ、もう次無いし、最後までいようかな。ね、パパ?」
「今日はもとよりそのつもりだ」
あれだけ楽しみにしていたのだから最後まで楽しむのも当然か。
お母さんの体力が持てばいいけど。
「俺も最後までいるぞ。今からもうライブ楽しみ」
「それならよかった。まだゆっくりしてく? 客が来ないから暇なんだよね……」
「じゃあお言葉に甘えて。席はあそこでいいかしら?」
「いいよ、お母さんたちにも唐揚げ持ってくるね。今日は奢るよ」
「あらいいの? じゃあそれもお言葉に甘えるわ」
昼頃になると教室が賑わいだす。
それは給仕が不足気味になるほどのものだった。
私はひたすら唐揚げを錬成していた。
もう目を瞑ったままでもいける。
もはや作業である。
この世で最も思考がいらない楽な役、それが今の私だ。
結果、かなり飽きがきて、同時に疲れも感じ始めていた。
ストックもだいぶ貯まったので少しばかりの休憩に入る。
「ひびきーサボりかぁ?」
「サボりはお前さんだろ。どこ行ってたん?」
よお、と手を上げる翼。
こいつにサボりだと咎められるのは少し癪だ。
「いやー暇だったんでね。屋台巡り! お金無くなっちゃたから帰ってきた」
「メイド服着て外出るその度胸とか、お小遣い使い果たすアホさは知ってたけどまさかここまでとは……」
「だからー、金貸して?」
デコピン一発、これだけで許してやった私はなんて寛大なのだろう。
「ひびきちゃん、そろそろ、いいかな?」
やってきたのは制服に着替えなおした加奈だ。
メイド服を「はいっ」と渡される。
「ついに来たか‼ 加奈の告白タイム‼」
「声が大きい」
再びのデコピンに悶絶する翼。
これくらいやった方がちょうどいいだろう。
ストレス発散にもなる。
「わかったよ。行っといで」
にへら顔の加奈に応援してる、とも付け加えた。
ぴょこぴょこと教室を去っていくのを見送った後、隣の空き教室でメイド服を装備する。
翼はまだサボりたい様子でついてくる。
現場は大変なのだが、準備期間の貢献の大きさを考えて皆口出しできないでいるようだった。
なんて自由なやつだ。
突然鳴ったスマホに驚き、何事かとポケットから取り出す。
「え⁉ 新曲来てる⁉」
「何の話や? ああ、ひびきが好きな『ATH』ね」
「新しいの来るなんて聞いてないんだけど⁉ しかも曲名、『HIBIKI』だよ⁉ 私の名前と同じなんだけど⁉ ああマジで‼ 今日‼ 最高ッ‼」
「なんかよく分からんけどよかったじゃん‼ 今日はパーティだな」
「よっしゃああ‼ パーティするぞおお‼」
唐揚げ作りの疲れを一瞬で吹き飛ばし、翼以上のノリで返す。
次にはふぅ、と落ち着き、今度はデュフフッと震えた声に変わる。
「と、とりあえず聴いてくるねぇ」
「あい、行ってらっしゃーい」
そのまま勢いよく教室を出て、近くの階段を駆け上がる。
屋上付近の誰もいない場所でゆっくりと聴くためだ。
震える手を御しながらヘッドホンを耳に当てる。
イヤホンジャックにコードを挿して再生ボタンを押す。
『——ッッッッ‼』
瞬間、轟くギターの重低音はこれまでのどの曲も及ばないくらい重かった。
その衝撃に圧倒され、僅かながら感情が置いていかれる。
暴発寸前の轟音をものともせず、キレのあるベースが続く。
たった数音、まだ歌ってすらいない。
わずかそれだけ、その一瞬のみで、私の心臓は音に押し潰された。
圧倒的な技量と、圧倒的な想いの塊。
それはまさに『異常』だと言う他ないものだ。
普通の曲は、こうならない。
何故ならそれは万人に向けた音楽だからだ。
しかしこれは。
——これは、私だけの音楽だ。
そう断言するのに秒ほどの時間もいらなかった。
「……」
歌い始めは『響き渡る魂の鼓動』、私の名前だった。
すでに頬には雫が伝い、服を湿らせていた。
駆け抜く美声は槍のように突き刺さる。
熱を帯びたひびきの眼光は槍よりも鋭利な光を放つ。
「あはは…… はァ……」
これ以上の興奮は味わえないだろう、震え上がった肌がそう叫ぶ。
もういいだろう。
これで十分だ。
答えは決まった。
——革命だ。
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